プロローグEND 「夏の始まり」

 翌朝のことだ。


「おねぇーちゃん! そろそろ起きなよ!」


 妹の声とカーテンの隙間から差した朝日のせいで、目が覚める。

 昨日は嘘みたいな日だった。特に夕方からの記憶があまりにも変だ。


 ビルの屋上を駆け回って、今時珍しい廃ビルに連れ込まれた。そこで知らない人達と出会い、空飛ぶ箒にまたがって向かった空港で、50億円の借金を背負ってまで手に入れた市内一等地のビルを、いとも簡単に崩落させ借金だけが残った。なんて。


 あぁ、なんて素晴らしい世界だっただろうか、ほんと。

 いや、普通かつ冷静に、慎重になって考えても、こんなことはあり得ない。

 夢だったような気さえする。というか夢だろう。

 だってあり得ない。

 そんなことを思いながら歯を磨いて顔を洗って、リビングに顔を出す。

 私のことながらなんと想像力豊かな夢だったことか。


 焼けた食パンにバターを塗って咥えたところで、絶句した。

 零れ落ちるパン。


「お姉ウケる。リアルにそんな反応する人ほんとにいるんだ」

「……」

「そんなに驚く? まぁ、びっくりはするよね。このビル街中にあるから、よく見てたし」


 そのビルとはそう、昨日壊したあのビルだ。

 やっぱりどうやら、夢じゃないみたい。

 施行の不備か、という見出しで大々的に取り上げられている。

 それも今話題の二楷堂にかいどうことはが所属している事務所も入っているから、話題にならないはずもない。って、ちょうどその話が報道された。


「亡くなったの? 二楷堂にかいどうことは」

「あー、みたいだね。たまたまその時間にビルにいたって。でも瓦礫の中から遺書とロープも見つかったみたいだから、自殺するつもりだったんじゃないかって言われてる」


 リビングにしっとりとしたサウンドが流れ出したのは、ちょうどその時。


「また流れてる」

「また?」

「うん、『ことばの世界』。二楷堂にかいどうことはが作った曲が、遺書と一緒に見つかったって。いい曲作るのに、もったいないよ」


 どうやら兼継かねつぐたちが想定していた通りにことが運んだみたいだったから、それ以上妹に何も聞かなかった。


 遺書とロープを用意しようって案は、ことは本人が申し出たこと。そこに自分が作ったまま出せずにいた曲も一緒に置きたいって言うのが、最後のお願い。誰も反対はしなかった。

 デビューで一回、幕引きで一回。

 たった二曲しか世に出さなかったシンガーソングライター二楷堂にかいどうことはは、それでも世界にしっかりと名前を残して、この世を去った。

 するべきことをわかっていても踏み出せずにいた臆病な自分。そんな自分から見ていた世界。それをありのまま歌詞にして、バラードとして歌ったこの曲をそこに残したのは、きっと置いていきたかったからだろう。

 そんな自分も、悲しい世界も。


 みんなそれぞれ自分だけの世界を持っている。

 私にもいつかわかるのだろうか、自分だけの世界が。

 周りを見渡してみるがわからない。

 今はどうにも、しっくりとこなさそうだ。




 夏休みの初日だった。あの日から2週間が過ぎていた。


 特にあてがあったわけでもないけれど、街中に繰り出した。

 数日前まで、ここに建っていたビル。今は瓦礫が堆積しているただの空き地となっていた。

 やっぱり夢ではない。しかしあの日、みんなと連絡先の一つも交換していない。廃ビルの場所も、あんな連れ込まれ方をしたからわかるわけもない。

 私からみんなを探す方法などないけれど、けいなら私を見つけられるはずだ。それでも接触がないってことは、つまりはそういうことなのだろう。

 まぁ私は世界を持っていないし、当然といえば当然か。

 借金返さなくて済むかな、なんて思った時だった。


「おう、香織かおりじゃねーか!」

「か、兼継かねつぐ!?」


 街中を駆け回る金色少年が、とてつもないスピードでこちらに向かってきていた。


「ちょうどいい! 行くぞ!」


 ちょうどいいって何?

 そう思った時には既に、手を引かれていた。


「リーダー今香織かおりって言った?」


 どこかから、けいの声がする。よく見ると、兼継かねつぐの耳にインカムがついてる。


「ああ! 今からそっちに向かう! たまには遅刻もいいもんだな!」

「たまにじゃないから!」

「ちょっと待って! 私の予定は!?」

「は? お前今退屈そうにしてただろ?」


 なんで見ただけでわかるんだ。


「確かにそうだけどさ」

「ならいいじゃねーか、てかお前も夏休みだろ? 休み中の暇な日は10時からアジト集合って決めたじゃねーか」

「じゃねーかって言われたって私知らないし!」

「なら今言った、いいから行くぞ!」

「はぁ!? なにそれ!!」


 あーあ、またなんとも騒がしい。

 でもそれがどこか心地いいと感じる私は———

 もちろん、言葉になんて絶対しないけど。

 兼継かねつぐに手を引かれながら思う、どうやら今年の夏休みは本当に、退屈する暇なんてなさそうだ。

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