6話-(5)

2023/9/17 F市内喫茶店・「温故知新」


「……えーっと、早川はやかわ 史絵ふみえさん? でいいの? 見た感じ新卒、行ってても3年目ぐらい?」

「は、はいぃ……高校新卒ですぅ……」

 不倫調査から一週間後。

 と、いうか不倫調査なんて常にあるようなものなので、正確には「最後の調査」から一週間後、か。ホテルから出た男女はそのまま女性側の自宅へとなだれ込み、出てきたのは家主の帰宅する30分前であった。

 まあ、その話は報告書と一緒に家主である依頼人の手に渡り、所長おじさんの長い知り合いの弁護士に話を振ったので、あとは彼らがどんな末路を迎えようと構わない。おじさん曰く、「ここまで警戒してない連中も珍しい」らしい。

 だが、問題はその不倫調査そのものではなく、その前後辺りからおじさんの周囲を嗅ぎ回る人間が居たことだ。しかも複数。その話を聞き、すわ同業者の仕業かと身構えたアタシをよそに、おじさんはあっさりと当事者の一人を引っ掛け、この会談の場を設けたらしかった。年の近い相手と話した方が良い、と。場所は相手方指定、10分以上本題に入らないか、周りが怪しいと思ったら土下座の姿勢をとれと言っていたが、ストーキングされた叔父の為にアタシが土下座させられるのか?

 この怯えっぷりを見るに、バレた時に相当怖い目でも見たのか、怖い出来事が起きた時を見たのか。後者だったら誤魔化しが利かないなあという気持ちと、新卒にパパラッチ紛いをやらせるなよという呆れ、そしてタブロイド紙の記者からすれば場末の興信所の所長でしかないおじさんに何をもって接触したのか、皆目見当がつかなかった。

 否、ひとつだけ思い当たりがあるが、そんな馬鹿な――

「その、あなたが白織 麗さん……ですよね? 10年前の拉致未遂事件の」

「…………アタシの名前で間違いないけど、その事件って」

「そ、そうですね、個人情報は厳重に伏せてありますし、報道記録も余り残されていませんでした。でも、ごく一部の報道関係者は『国民の知る権利』を楯に貴女の名前と顔写真を報道しました。そして、『特憑依体』である貴女は成人後、公的機関に名前が公開されています。徽章も付けておいでなので、なんとなく」

 こういう時、『知る権利』という言葉はこれほどまでに毒かと思い知らされてしまう。12年前、報道倫理というものがろくに整っていなかった(今もだが)時代の爪痕が、こんなところで自分を刺しにくるなんて。

 どころか、そういうのって「被害者」として確定した後、鬼籍に入った人間を蹴る為の道具だと思っていた。しかし、口さがない連中経由でその情報を仕入れて調べ上げたこの女性も、なかなかに危険人物だ。

「じゃあ、おじさんにターゲットを絞った理由は?」

「織絵さんが、白織さんの件で色々と巻き込まれたというのは資料などで知りました。でも、その。それ以上は調べても全く出て来なくて。白織さんを10年も預かったうえに自分の部下にするような人です、なにか裏があるんじゃないか……と」

「まあそれはそう」

「ということは、何か怪しいことや後ろめたい話が?!」

「あるわけないでしょ。『それはそう』っていうのはおじさんが胡散臭くて脇が甘そうって話。多分腋は臭いけどね加齢臭で」

 早川さんの口から乾いた笑いが漏れた。どうやら、ウケが悪かったようだ。

 それにしても、今の話を総合するとおじさんの立場は決して安全圏ではない、というのは分かった。

 日本という国、一部の悪魔憑きと協力関係にある国家機関の介入、国内の宗教組織との関連性――など。関わりが多いということは、それだけ情報が漏れるチャンネルが多いということでもある。

 実際、この子が今知っている情報を丸裸にしたうえで営業妨害になるから二度と来ないでね、と言ったところでおじさんは「複数に嗅ぎ回られている」と言っていた。以前の暴力団へのカチコミとか、悪魔憑きに対する検挙への協力事例が世に出れば、おじさんが一般人でないことはすぐ分かるだろう。F市の外に出ないのは土地柄、そしておじさんに助けられた人が多いからで、不倫をするような外部の人間には余り関係しないからだ。……あれ? つまり今この状況って。

『レイ』

『……うん、この娘はシロだよね』

『シロよねえ。でも、周りがクロね』

『アタシもしかしてハメられた?』

『この娘が悪いっていうよりもこの娘とケルベロスが接触したのが失当だったと思うわね』

『なるほど』

 つまりは、彼女がおじさんと接触したことで他の連中に目をつけられた可能性があって、そのうえで。

「……早川さん、ここで話すのもなんだから事務所に」

「いえ、行けません」

 早川さんがそう答えるなり立ち上がったのは、居合わせた客のほぼ全員。

 なお何れも悪魔憑きであるらしい。徽章無しイリーガルであることは間違いないが。

「…………!」

 色々な状況が悪い意味でつながった。

 タブロイド紙かカストリ雑誌か知らないが、そういうところの人間であるというのは真。

 おじさんについて詳しく知らないというのはやや真寄りの偽。

 そして、この場に話し合いに現れたというのは間違いなく偽だ。

 都合20……いや30はいるか? 悪魔憑きの集団がこちらを見ている。マスターは本当に何も知らないのだろう、しかし「またか」という呆れの表情を見せてから伏せた。カウンターの裏に伏せたのだ。

 アタシはおじさんの言葉と、マスターの動きに倣うことにした。

 伏せようとした視界の隅で、今まさに動こうとしたうちの一人の横面に「それ」が叩き込まれたのを見た。

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