4-(11)

「そう言えばお前はずっと彼女なんて居なかったな。悪かったよ」

「謝るところはそこじゃねえよ。あれを見ろ、喚び出したヴォジャノーイが意識失ったから俺らに狙いつけてるしこっちは一般人同乗してんだよ! っていうか何しに来たんだアンタは!」

 外見がもう観光気分な河浜に、私は叫ぶ。プレジャーボートに轢かれたアレはもう助かる見込み薄だ。海面から顔を出したハフグファは、左右に複数備わった大きな目を一斉に向け、続けて笑みを思わせる歪み方をした。ゆらゆらと体を揺らしていることから、波でボートの動きを止め、丸呑みするまで考えていそうだ。

「そりゃあ、聖徒のお嬢さんへのお礼参り……お前んとこの姪のツラを観に……違うな、デカブツ相手に好き放題していいって聞いてブチ込みに来たのさ!」

「どれもロクでもねえ理由だな。警視庁の対策課が人手不足なのも分かるわ。手伝いに来たなら、もっと沖に誘導して仕留めるぞ! アンタは右、俺達は左だ!」

「せっかちだなあ。『そっち』もせっかちなのかい?」

「何ならハフグファに食われて死ね、この色ボケが」

 不純すぎる動機と共に現れた河浜という男を、私はとても好きになれない。この通り不真面目なのは執行官共通の態度なので100万歩譲るとしよう。この男のナンパ癖と下ネタへの要求度とバブリーな気質は明らかに私と合わないのだ。

 だが文句を言っている場合でもない。板長に針路を告げると、2台のボートは沖合に向けて左右に舵を切る。いずれを追うか迷ったハフグファは、こちらに狙いを定めたらしい。

「おじさん、あの人……河浜さんって確か」

「私も聞き覚えがあります。あの、」

 『悪魔系インフルエンサーの』。麗と鱗音さんの双方から異口同音に発せられたそれも、私が彼女たちを引き合わせたくなかった理由だ。河浜駒四郎という男は、珍しく公に顔と名前、そして憑いた悪魔を表明して活動する外部執行官である。甘い、とはいえないがワイルドな顔立ちとナンパ師を表明して憚らない態度、執行官としての収入を豪快に使い、『失われる前の日本』を体現したバブリーな生き様を配信業に回すことで更なる収入を実現する。金はあるべきところに回る典型例だ。

「『その』河浜だよ。業腹だが、悠さんの件で後始末を任せたのもアイツだ。私はアイツと相性が悪い、仲が悪い、見てるだけで気分が悪い」

「滅茶苦茶嫌うじゃん……」

 ボートの速度は限界まできている。残り燃料と相対速度を考えると、捕まるのは時間の問題。大口開ければ危ういまである。だが、私は振り返らなかった。

「けどな、アイツを認めなきゃいけない点が一つだけある。……板長、300m先で左90度旋回。河浜のボートが迫って来るけどぶつかりゃしない。全速維持」

「いやいや、逆方向に向かったんじゃ……!」

 板長は悲鳴交じりの抗議を上げながら、舵を切る。大きく旋回したボートを追うハフグファは気付いていない。

「憎まれ口は利くけどやるこたやるなぁ、そういうトコは嫌いじゃないぜ真琴!」

「アンタの腕だけは認めてんだよ、一発で仕留めろ!」

 ハフグファの横合いから、プレジャーボートが迫る。オート運転にしたのか慣性に任せたのか、舵を離した河浜は座席後方に預けていた長物を取り出すと、ハフグファ目掛け解き放つ。

 ――その外観は、捕鯨銛だった。通常なら船舶に固定するタイプのそれを、あろうことか彼は携行火器のように構えて撃ったのだ。板長を除く全員が、銛と彼を見たなら気付いただろう。憑依体がそれを覆い、毒々しい色へと変色させていくさまを。迷い過たず突きこまれた銛が爆発を起こし、それでも暴れようとするハフグファに、銛の後部に備わったシリンダーが押し込まれ、見る間にその巨体を崩壊させていったことに。

「う、わぁ……」

「冗談みたいに口癖にしてますけど本当なんですね、あの……毒、というか病魔……?」

「なんだい、二人とも俺のリスナー? いいねえ、サインあげよう。何ならほかのものもあげようか?」

「相変わらず話が早ェよ。まずは報告と後始末だろ。ここからじゃ電話が通じねえんだよ」

 呆然とする二人をよそに、ボートに横付けした河浜は気さくに話しかけてくる。だが、私はそれを遮った。……燃料切れを起こしたのだ、こちらのボートが。にっちもさっちもいかないとばかりに肩を竦めた板長を見て、ため息。

「なるほどね。俺が引っ張っていこうか? 嫌かい、真琴」

「そうするしかねえな……」

 背に腹は代えられない。何時の間にやらボートの縁に体を預け、「引っ張っていくよ」と言わんばかりの河童5体を敢えて無視し、私は河浜の提案に乗ることにした。帰路、ずっと河童達が抗議を続けたのは言うまでもない。


7/12 17:00 旅館『鱗礁館りんしょうかん


 混乱の一夜は、帰路に就くなり河童達が市街地に出向き混乱の後始末の手伝いに向かい、やることをやったとばかりにすっきりした顔の久住母娘が早々に東京へととんぼ返りを決めたり、それを送ろうかとナンパ半分に河浜が切り出したりと、それはもう面倒ごとのオンパレードだった。なお、相馬の死体は流れ上、河童達が回収していたので被疑者死亡ということで地元警察が引き受けた。彼等はこれから、街に現れた多数の死体の身元確認と遺族引き合わせを余儀なくされるので相当な期間バタバタしてるだろうが、市街地の機能停止よりは億倍マシだろうから頑張って貰いたい。

 なお河浜は、旅館の温泉を堪能してから夜の街に消えていった。多分、ほぼ営業止めてただろうによくやることだ。ざまあみろ。

 ともあれ、河童達に対する疑義は消え、ハフグファによる津波や大規模捕食の危険性も潰えたことで一件落着ということになった。

「申し訳ない、滞在時間の延長なんて……」

「でも、明けて10時では心も休まらなかったでしょうから、構いませんよ。街を助けていただいたのは確かですもの」

 して、現在。

 帰りの電車は19時頃だが、ひとまず遅いチェックアウトを済ませて鱗音さんと別れの挨拶を交わしていた。物陰から河童達が見えるが、今から一勝負していたら電車に間に合わないので無視をする。

「戻ったら周りにもお勧めしますね!」

「お前に勧められる友達なんていたっけ?」

「大学時代の友達とかね。結構いるよ、アタシ」

「そうかい、そりゃ頼もしいことで」

 麗がそう言うならそうなんだろう。河浜も温泉に入っていった縁で紹介すると言っていたような気がするので、混雑が加速する気もしている。

 河童達の疑惑を晴らすのが目的だったが、とんだ悪縁が結ばれていたことに頭が痛くなる。今後、何の因果でなんのトラブルに巻き込まれるのか分かったものではない。正直勘弁願いたいが……。

 と、少し考えているところに電話が鳴る。相手は事務所ビルの大家である。

 一気に現実に引き戻された感覚に頭痛がするが、致し方なし。

「はい、お久しぶりで」

「お久しぶりで、じゃないわよ! 今無事!? 麗ちゃんにも怪我ないでしょうね!」

 3コールで出たら、いきなり安否確認から始まった。しかも麗まで。一体何があったのか。

「はい、まあ。ここ数日はM県に出張に来ておりましたので」

「……そう。無事ならよかったわよ、家賃とりっぱぐれるからね」

「そっちが大事でしたか。で、一体何が?」

 あんまりといえばあんまりな大家の言葉に嘆息しつつ、事情を訊くことにした。碌でも無い事なのは間違いなさそうだ。

「そうそう、それよ!」

「どれですか」

「あんたの事務所のビル! あんたしか入ってなかったけど! ついさっき崩落したのよ、真っすぐ縦に!!」

「…………は?」

 事務所が? ビルが潰れた?

 ショックのあまりその後の記憶がすべて飛んでいるが、私が理解したのは目の前にある倒壊したビルの姿であった。

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