4-(8)
場所・時刻不明(海岸または堤防、夜間)
「遅かれ早かれ気付くとは思っていましたが、要らない連中まで連れてきた様ですね。コルラードの一件であの2人を引き合わせたのは少々悪手だったかもしれませんが、娘の方は……どうとでもなるでしょう」
「ケルベロスといったか。てっきり脅し文句の風聞と思っていたぞ」
「実在を確認できなければそうもなりましょう。政府側も、若かった彼を徹底的に隠してきたんですから当然です」
特徴の薄い顔、平板な声。何一つ印象に残らないのに、構成要素すべてが薄気味悪い。『黒石』は、今まさに犠牲になろうとしていた外国人旅行者を一瞥してから『合同会社ホットエピック』の元社員を見た。
冬なかばにここに訪れた彼は、卜部とは別行動をとる関係上ここに残り、そして『眷属』を増やしていた。すべてはヴォジャノーイという悪魔としての本能と、ルサールカ……否、卜部と社の為ならばという忠誠心から。
水面から顔を出す眷属の数はそれなり以上、おそらくレギオンだの執行官だのが絡もうとハフグファが訪れる時間稼ぎにはなろう。
なにより、満月が限りなく近い月齢なら、悪魔憑き一人やふたりを向こうに回しても彼が負ける道理が見当たらない。
「少し早いでしょうが、町を混乱に陥れるのもアリでしょう。警戒はされているでしょうが、市街地に被害を与えれば数日稼げます。そしてこの2人の行方調査で更に数日……少しうるさいですよ」
『黒石』はそう提案してから、悲鳴を上げ続ける旅行者の腹につま先をめり込ませた。少しの咳込みの後、ぐっと声が出てこなくなる。
「どちらでも、構わない。ハフグファは間もなく訪れる。満月を待たずとも、この戦い勝ったも同然」
「自信過剰になるのはよろしく有りませんが……まあ、そうですね。よろしくお願いしますよ」
ヴォジャノーイの憑依者は、この時点で勝利を確信していた。
街を荒らし、ハフグファによる猛威でダメ押しをして街に再起不能の被害を出す。後始末に追われる街から人々を少しずつ攫い、途中で生まれる犠牲を回収。
最悪、手駒が全滅させられても残るのは行方不明者の亡骸だ。同定と諸々の法務処理で対策課やレギオンは釘付けになる。ハフグファが倒されようと、亡骸が残れば……更なる混乱の火種となる。
作戦は荒くていいのだ。積み上げてきた5ヶ月程度の時間を、今ここで解放するのだ。
新たな従僕の生誕に感謝を! そしてこれから起きる混乱に、祝福を!
7/11 19:30 旅館『
「……みたいな策略を巡らせてますよあいつら。決行予測は今晩、夜の間に混乱させて昼にも大手を振って歩き回れるようにするのが狙いとみて間違いないでしょう。なに、眷属程度なら
右手に箸、左手にスマホ、視線は目まぐるしくアタシや鱗音さん、戸惑う仲居さんに向けつつおじさんはまくしたてる。未だ聞こえてくる困惑の声を無視して電話を切った彼は、そのままむっつりした顔で刺し身に手を伸ばした。
河童達から話を聞き、当面は隠れているように指示。そのうえでアタシ達3名は一旦旅館に戻り丸一日かけて温泉と観光を堪能し、書き込みを終えてこうして夕食にありついている。河童達から話を聞き、とってかえして過去数ヶ月の新聞を鱗音さんから拝借して確認したおじさんは、行方不明者のほぼ全部が眷属として上陸するという推測を立てた。ホットエピックの一件が遠因として絡んでくるなら、『黒石』がこちらで旗振り役をしていることも想定している。
「黒石っていう怪しいあいつ、本人が仕掛けてくると思う?」
「まず有り得ないだろうな。狙いはこっち側の戦力を分断して、海辺から視線が切れたところでのハフグファによる壊滅、この国で……ええっと何件目だ? 2桁いくかいかないかの事例になる
『祓魔空白地』。ありていな言い方をすると『死の都』というか、要するに自我と人間の特徴が薄くなった魔憑きと元・人間だけになった悪魔達の解放地である。悪魔界に比べ娯楽と快楽を存分に得られる人間界は、一部のモラルが欠如した中上級悪魔、教育されず持ち合わせない下級悪魔、そしてそれと強い適合を果たしたインモラルの権化のような悪魔憑きにとって、
「でも、祓魔空白地っていままで全部、周辺からの総攻撃と全力の復興で潰されてるよね?」
「当たり前だろ。国のなかにもう一つ国が出来るようなことを放置できるほど、この国は法治国家として終わってないぞ」
「……今回、止められる?」
「私と麗は『敢えて無視する』。市街地に放つのは全部眷属だからだ。本命はハフグファの接近で起こすであろう津波と沿岸部の大捕食。漁船を10も潰されれば、街への打撃は免れないだろうからな。恐らく、ここに姿を見せる」
素早く食事を進めながら、おじさんは言葉を返す。お吸い物を啜ってから膳を脇によけて取り出した地図には、海上に赤ペンで×印が記載されていた。堤防からおおよそ14km離れた海上。ここが、ハフグファの出現位置の第一候補である。
「I市の沿岸は隣の市にまたがってゆるく弧を描いていて、沿岸から波が押し寄せれば市街中心部の川へ向かって波の流れが押し寄せる。川から逆流する海水、津波となれば単純に周辺市を含めて被害が起きるだろう。だから、弧の中心にあらわれて、ひと暴れ……っていうのが大方の予想だ。ボートで今から現場まで向かうが、ヴォジャノーイが泳いでくる以上は正確な場所までは分からんし、ハフグファが出てから対処することになるかもしれない。少し危険だが、勘弁な」
「勘弁な、じゃないよ! 流石に海に落ちたらアタシもおじさんも泳ぎに自信あるタイプの悪魔憑きじゃないんだから勝つのは厳しくない?!」
「まあな。そこは少し無理をすることになるが……」
「じゃ、じゃあ私もご一緒してもいいですか? 最悪水に落ちても、お2人を助けることが出来ますし」
アタシとおじさんは、その言葉に「確かに」と思いつつも、揃って顔を見合わせた。飽くまで一般人(妖怪)の鱗音さんを騒動に巻き込むのは適切じゃない。けど、水中戦になったときに無事でいられるか、というと保証がない。
連れていくしかない……のだろうか? 少し迷う間に、おじさんのスマホが鳴った。
「……は? なんでこの人から電話が……はい、織絵です。ご無沙汰で……はい、はい……はい?」
顔をしかめたおじさんが電話を取ると、その表情が見る間に曇っていく。電話を切るや否や、焦ったように立ち上がるとアタシ達の方を向いた。
「急いで行くぞ! 『あの人』が仮に間に合ったらお前も鱗音さんも、ジェルトルデ達もロクな事にならん! なにしろ俺が後始末全部押し付けられることになる!」
「え、何、誰? 誰、今の電話?」
「教えねえからな! お前とあの人で名前を知ることすらアウトだそんなもん!」
「……誰……?」
おじさんは慌てていた。そして、電話の主が誰なのかは教えてくれなかった。……その瞬間まで。
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