2ー(3)

「……色々言いたいことは積りに積もってますが、後回しにします。ネット広告経由で出回ってる薬品以下のサプリメントがどうしました?」

 深く呼吸を繰り返してから改めて問いかけると、黒田警部補が自分に向かって何かを投げつけてきた。顔面ライナーのそれを受け止めると、そこには無色透明のピルケース。中には『いかにも怪しい薬です』ってテイストの青と緑の錠剤が入っていた。

「飲んでみて貰えるかな。多分倒れたりはしないと思うけど」

「それってつまり、私以外だと倒れることもあったりするってことでは?」

 課長は答えない。ニコニコとこちらを見ている。黒田警部補は様子を見ている。

 これは飲まないと多分どうしようもないモノなので、色々言いたいことを錠剤ごと飲み込んだ。

 日本のサスペンスだと「何も起きないじゃないですか」って言いかけた時に限って倒れるのだが、私が反応するより早く左手が動いた。

 喉に吸い付くように手が閃き、人差し指と中指が喉仏に。傷一つないその場所から引き抜いた指には、半透明のオタマジャクシのようなものが見て取れる。……見えなかった。一が文字通り光らせていた目でも。

『お兄さん、これお腹壊すよ』

『ナイスサブ。午後の依頼調査がふいになるところだった』

「どうやら何か憑いてたみたいだね。私達には見えないし、他のトコでも執行官が1~2日調子狂ってたらしいからウラがあるとは思ってたんだけど」 

 あどけない思考発声――三の忠告に、私は素直に礼を言った。ニコニコとこちらを見ている課長の目はしかし笑っていない。各地で大事な執行官をモルモット代わりにしたということは、一般人にはもっと色々起きているということだろうか? 聞いたことが無いが。ひとまず左手の異物を握り潰すと、クリップボードを手に『聞こえてるか?』とジト目を飛ばす黒田警部補に無言で話を促した。

「今の薬は、お前が言ったようにネットでしつこく広告が出てるサプリの一種だ。それが販売開始してこっち、悪魔憑き事案なんだかDSD-Ⅰの頃の症候群なんだか曖昧な事件があちこちで起きてる。お前がホットエピック相手に大立ち回りしてる裏で、こっちも引っ掻き回されてたんだよ、ソレに」

「それで、事件を起こした連中の個別の事案でサプリが見つかる。凄くよく見つかる。薬品レベルで解析に回してもカフェインと法に引っかからない程度の興奮成分しか見つからない。執行官とかに回してみてもさっき言った通り。人体実験を続けて各地で人手不足になられても困るからね。織絵君でも分からなかったら行き詰ってた」

 言葉を引継いだ課長の言葉で、一通り理解ができた。

 つまりサプリ(?)のせいと見られる『症候群』の罹患者が多発し、彼らは当然ながら精神疾患ではないので『飲むエクソシスト』が効かず、さらにさらに、憑いている事実を執行官クラスでも看破できなかったからお鉢が回ってきたそうだ。探偵業ほんぎょうが忙しい時期に人体実験すんなと言いたいが、件の話で忙しい時期にホットエピック社相手に一晩で色々やらかしたのは自分なので黒田警部補には頭が上がらない。だがそれだけだと、遅かれ早かれ目敏い悪魔が憑いた執行官、ないし聖徒エンゲルが見付けていそうではある。つまりアレか。

「……それだけではないですよね? 悪魔憑きに対して訴求する広告があるか、裏で評判になってるとか。ありますよね?」

「話が早いね。『悪魔憑きでもバレずに恋愛したい』とか、『悪魔憑きにも明るい家族計画を!』とか、そういう触れ込みが出回ってるんだ。思い当たるところないかな?」

 自分の言葉を最後に膝から崩れ落ちた私の姿を見て、袴田課長は「やはりか」と首を振っていた。知ってたんじゃねえか……。


4/25 14:33 織絵個人探偵事務所


 ゴールデンウィークを直前にして、弊事務所はとみに依頼件数が増えつつあった。そのため生活リズムが狂い、帰宅時間が遅くなりつつあるものの、預かり猫又のマリーのケアは手を抜けない。幸い家に自動給餌機と給水器を置いている限り文句はなく、3日と空けず高級缶詰を開けることで手を打ってあった。

 そのうえで依頼の難易度と必要と携行機材での遂行の可否、そして日ごとのブッキングを調整する必要があった。そういう意味ではこの依頼、話が切り出された時点で正直悩みどころだった。

 別に、事務所に来る人間がすべて浮気相談ではない。尾行が必要な仕事ばかりでもない。依頼人の相良 悠さがら はるか氏は見るからに才媛といった様子で、栗色の髪にショートボブが似合う28歳。経理を担当していたが、1年前に寿退職したそうだ。

「なるほど、旦那様が悪魔憑き、と……」

「はい。主人は結婚直前になったことが街頭で判明し、聴取と各種適性テストが行われ、問題なしとして登録され、放免されました。会社の方は、元々業績がよかったですし、悪魔憑きの採用枠で難儀していた時期だったので歓迎されたと聞いています。問題があるとすればで……その、ごめんなさいね。生々しい話で」

 ここで一言『ごめんなさいね』が出てくる時点で人柄と育ちが窺える。しかし最近になっていきなり、か。憑いている悪魔は祓魔新法でも個人情報の範疇だが、問題になるということはそれなり以上の知恵持ち、且つ精神共有に恙無い理性持ちか。理性があるから逆に、というやつか。この辺の事情は麗がいないときで助かった。根掘り葉掘り詰められたらたまったもんじゃない。

「いえ、助手は出払っておりますので、私が聞く分には。ご存知かもしれませんが、彼女も悪魔憑きである以上何れ理解すると思いますが……」

「所長さんはその、悪魔憑きについて専門であると聞きますが……あなたも?」

 舞さんの問いに、私はジャケットの胸元を持ち上げた。私個人は諸々のから徽章の着用は免除されているが、先日の事件があったので通常の悪魔憑きである、という証明だけは欠かさないようにした。夫と同類と知り、彼女はハッとしたような顔で詰め寄ってきた。

「で、でしたら対処法についてもお詳しいので?!」

「いえ、私は恋愛感情に拠らない、トラブルにならない形での対処法しか。欲求ごと処理してしまうのでそれ自体不可能になります。最悪、不倫を疑われても悪魔憑き側に証明できませんのでお勧めできません」

「そう、ですか……」

「と、ところで、本題はその点ではないんでしょう? お話、聞かせていただいても?」

 露骨にがっかりされると私も困るが、本題を忘れられると茶飲み話に来ただけになってしまう。互いの為にもよくない。促されて思い出したのか、悠さんは改めて話し始めた。


 悪魔憑きになったことで大きく軌道修正を余儀なくされた相良夫妻の家族計画だったが、つい先日進展があった。夫である邦彦くにひこ氏が、「いい話を聞いた」、とスキップせんばかりに浮足立った様子で帰宅したのだそうだ。

 変化があったのは数日後。邦彦氏は意気揚々と帰宅すると、着替えもそこそこに悠さんに迫ったという。悠さんは満更でもなかったし、離れかけていた距離が戻ったような気分がした。だが、それでも。何か言い知れぬ違和感を覚えた彼女は今度にしましょう、と断ったのだという。

 今思えば、邦彦氏の変化はあの日からだったと述懐する。

 一部の悪魔憑きにみられる、精神の均衡を崩す初期症状が薄かった邦彦氏であるが、夜の営みを拒否してしまった日を境に少しずつ様子がおかしくなっていったのだそうだ。

 返事が素っ気なくなる、というかぼうっとしている時が増えた。

 趣味で出掛けることはあったが、頻度が上がっているように思う。

 女の影や風俗の痕跡はない、どころかスマートフォンはお互い開示しているものの、仕事用の鞄だけはガードが非常に硬い。

 そして、安価でこそあれクレジットに継続的な使用履歴があったが、それについては「二人のためなんだ」といって聞かない、などなど。

「……現状ではなんとも言えませんね。家に入れておられる額が変わらないなら、今後の収入等を増やすための試みをなさっているという可能性もあります。反応が薄いのも、寝不足とか」

「でも、邦彦さんは悪魔憑きになったばかりだし、私とあの人の間で関係がないし、何よりあの日、邦彦さんじゃないように思えて拒否してしまったのが……」

 つまり、負い目から見る目が変わってしまっていやしないか、何事か抱えていないかを調べてほしいということだ。定期的に外出しているなら曜日などを聞いて張った方が効率がいい気もする。

「……クレジットの引き落とし日、何日でした?」

「え? ええと、確か最初が12月2日、以後2日から5日の間に引き落とされています」

「GWはご主人もお休みでしょう。お出かけになるご予定などは仰ってましたか?」

「旗日にはありませんが、2日に中出勤でしたので……」

 つまり、それが物品であれば発送日、ないし定期決済日か。少なくとも、スマートフォンは相互でバレるからアプリなどではないはず。

 そして、仕事用鞄を後生大事にしているなら――。 

「わかりました。来月2日、1日分で一先ずお受けします。簡単な尾行ですので代金はこの辺りで如何でしょうか」

「は、はい! よろしくお願いします!」

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