世界の終わりは三度も来ない

矢坂 楓

序章

序1 1999/6/30

 私の両親は『駆け込み需要』で殺された。


 あの頃、巷は連日のように世界終焉が来るだの来ないだのを真剣に議論するコメンテーターが多かったし、それに伴って終末論を大真面目に信じる人間があちらこちらでトラブルを起こすなり犯罪を起こすなり、していた。……とはいえ、世間の大半はそんなものを信じてはいなかったし、『来るなら』で刹那的に生きるより、『来なかったら』で建設的に現在を積み重ねて未来へ向かおうとする人間が大半だった。

 だってそうだろう。『1999年7の月』とかいう妄言から半年と経たぬうちに、『2000年問題』という現実に起こりうる事件を直視せねばならぬのだ。

 来ないであろう終わりにまで、人は神経を割く余裕を持ち合わせていない。

 私は10歳だったので、『ノストラダムスの大予言』とかいうものはTVアニメや漫画の題材としか思っておらず、しかし『終わったらどうしよう』程度の心配はしたもので。

 その日だって、子供には立つのが厄介な風と興奮するような勢いの雨を背に受け、合羽と長靴で飛び跳ねるように家路へと就いたことを覚えている。ランドセルにかけるはずのカバーを忘れたので、教科書が湿って貼り付くだとか、乾かさなければとか、子供らしく考えていた筈だ。

 筈だ、という言葉でしかモノを語れぬ理由は単純明快で、家に着いてからの記憶がすっぽり抜け落ちているからだ。

 家に向かって――或いは家から伝って――点々と続いている赤い斑点や、古いアパートだからと思考から切り離した鉄さびの匂い、若しくは飛び散った肉片や赤いペンキで描かれたいかにも不格好で円すらフリーハンドで描けなかった愚物が弄んだ生命の痕跡だとか、諸々の断片情報を除いては全く。

 次に記憶が残っているのは10日後のことで、病院のベッドの上だった。

 なんでベッドにいるのかも分からぬまま、色々聞かれたが何を口走ったのか覚えていない。

 かっちりとしたスーツを着た大人達(おそらくは警察だろう)が「はんにん」が「こうちしょ」で「しんだ」と、鎮痛な面持ちで伝えてきたのを覚えているが、当時の私はそれらの言葉の意味を何一つ理解できなかった。だから彼らがなんでそんな表情をしているのかが分からなかった。

 ……あとから聞いた話だが。

 私はその日の5日ほど前から目を覚ましていて、昼夜問わず錯乱状態が続いていたそうだ。全く覚えていないが、喉が腫れていたのはそのせいだろう。

 繰り返すが、私の両親は『1999年7の月』という流言飛語の終末へと駆け込もうとした猿以下の知能しか持たないなんちゃって悪魔崇拝者による駆け込み需要の犠牲になったのである。

 である、が。

『死んだ? あやつ死んだの? わしを下手な儀式で呼んでおいて?』

 世界に終末は訪れなかったが、少なくとも私の少年時代はこの煩いわめき声と共に終わったのだな、ということだけは明確に理解できた。

 1999年7月凶日。

 世界の終わりは訪れなかったが、代わりのようにこの世界に、というか日本国のニュースを突拍子もない報道が賑わせることとなった。

 それは一見すると半期に1、2度見るであろう謝罪会見の光景だった。全員かっちりとしたスーツに身を包んでいる。

 だが、一つだけ重大な相違があったのは、その中心にいた存在がおよそ人間と似つかわしくない凶相をしており、その左右を固めるのがこの国の首相と官房長官だったということだろうか。

 見出しは『魔界王サタン、謝罪「100万ほどが不正入界を」 近く新法制定へ』。

『ええ……』とかいう声が聞こえたのは暫く聞かないフリをしようと思った私の目の前では、後に義父母となる遠縁の老夫婦が、なんとも言えない顔で自分とテレビに視線を往復させていた昼下がりの病室、という状況が繰り広げられていた。

 この後の話は非常に面倒かつごちゃごちゃした話になっている(のと、私が幼少期の話である)ため省略するが、要するに世に言う世界の終わりというやつは1999年どころか5年ほど前からその徴候が現れていたのだという。少なくとも、この国にとっての『世界の終わり』とやらは1945年8しゅうせんであり、1995年1じしんと同年3テロルであったわけで、説明と概ねブレていないのが腹立たしい限りである。

 会見の内容を要約しよう。

 魔界王、世界的な俗称で「魔王」と呼ばれるサタン曰く、先日――人間界時間で言うと数年前に遡るが――とある悪魔が突如として失踪したことを契機に魔界と人間界との出入りを監視する仕組みが機能不全に陥り、以て今までは限定的且つ取るに足らぬ小悪魔のみを対象にしていた『悪魔召喚の儀式』がより簡素化され、多量で強力な悪魔を人間界に引き込めるようになったのだとか。それを唆した悪魔も人間界に潜伏しており、今も尚流入しているのだとか。特異なのは、悪魔達が安定的に召喚できる素地が人間界では日本およびアフリカ大陸のごく一部にしかないこと、それを嗅ぎ付けた悪魔崇拝者が暗躍していること……である。

 要するにキリスト教徒およびそれに属する悪魔に対する敵意耐性の低い国々が、間欠泉のような役割になってしまったと。そういうわけであった。

「ええっと……それで僕はなんでここに?」

「サタン閣下から、あなたを此方に連れてこいとの要請があったのです。ご足労をおかけします」

 そして一ヶ月後。二週間の入院の後に政府関係者を名乗る黒服の男性達に連れられ、最低限の準備のもとで訪れたのは総理官邸でも国会でもなく、厳重な警備を敷かれた某国領事館であった。なんでもアフリカ南部の『その国』との連携を図るためにサタンが滞在しているのだという。

 私の中にいる『声』は、ここに来る過程でしきりに帰りたいだの解放してくれだの喚いていたが、人に憑いた悪魔の解放手段など誰も知らないのでどうしようもなく。

「やあ、君が……うんうん、分かっているとも。呼ばれた理由だね?」

『逃げよぉぜェ相棒ぅ! オレもう無理だよサタン様に言い訳利かねえよう!』

 そして、応接室に通された私の前に現れたサタン『閣下』は以前映像で見た時よりも人間的な顔になっており。

 しかし、『声』が怯えるのも無理もないほどの威圧感を身に纏っていた。尤も、これは『悪魔憑き』のみが感じるものかもしれないが……。

「言い訳、言い訳か。殊勝な心がけだね」

『ヒェェェ!?』

 閣下はといえば、おもむろに『声』の言葉に言葉を返した。この声は、どうやら聞こえる存在には聞こえるらしい……全く今まで思い至らなかった事実とともに、少年の私はこの二人にただならぬ関係があることを理解した。

「サタン……さま、もしかして僕のなかの声がきこえているんですか? 誰か、知っているんですか?」

「話が早くて助かるよ、織絵 真琴君。君の中にいる声は、言うまでもなく悪魔、正確には魔獣だ。そして……君のご両親を殺した不届き者が身の程知らずにも呼び出したその名を」

 ケルベロス、と。

 それが私、織絵おりえ 真琴まこと十歳の夏のことであった。


 そしてこの後。

 イタリア、フランス、イギリス、ロシアあたりのキリスト(教義により色々分別されるが)の祓魔集団が日本にわたってきて国際問題一歩手前になるとか、両親を殺した男の所属していた悪魔崇拝組織を壊滅させるのに小学生のガキを引っ張り出すクソみたいな日本の発展途上の『祓魔法ふつまほう』の法整備に巻き込まれるだとか、恐らく見るものが見ればヒーローショーじみた出来事に青春の大半を費やされることになるが、その代わり義両親が平和に過ごせる程度の収入と高校卒業資格とその後の就職口が見つかったので、ひとまずよしとする。……興信所たんていっていうのが納得いかないし、流石に身分を隠されていたので就活時に悪魔憑きであることはバレなかったのだが。

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