宝石の君
宵町いつか
宝石の君
宝石が死んだ。
とても苦しみながら綺麗に死んだ。
1
僕が病室の扉を開けると髪の長い、華奢な体つきの宝石は「やあ」なんて気の抜けた言葉を吐いた。
その指先はダイヤモンドのような結晶となっていた。
目の前にいる人間はもう長くない。
なぜなら世界でも病例の少ない難病にかかっているからだ。
「結晶病」。
未だ世界で14例しか報告されていない世にも珍しい病気。
治療法は見つかっていない。
かかってしまったらそのまま苦しみながら死んで逝くしか道がない。
ある人間は指先から。
ある人間は毛髪から。
ある人間は足から。
ある人間は心臓から。
結晶化していく。
きらきらと日光を反射させながら宝石は僕に向かって手を振る。
その指を見て不覚にも綺麗だなんて思ってしまった。
「おはよう」
僕はあえて宝石を見ないようにして言った。じゃないとその純粋さに負けそうだったから。
宝石の純粋さを証明するかのような清潔な病室に足を踏み入れる。
宝石は笑いながら言った。
「指先から宝石になっちゃった」
きらきらと太陽に透かしながら。
「ピアノ、もう弾けないね。もう一回、君と弾きたかったんだけど」
布団の上で指を動かしながら続けて言った。
僕は何も言わずに備え付けのパイプ椅子に座った。
ここでなにか気の利いた一言を言えればよかったんだけれど、残念ながら、僕にはそんな不幸をすぐさま幸福に変えられる魔法のような言葉をかけられるほどの語彙力も、度胸もなかった。
結局、絞り出したように言った言葉は
「あ……そっか」
という最低な言葉だけだった。
もう、あの楽譜は要らなくなってしまったようだ。
もう、君の前で大好きな音楽については語りづらくなってしまったよ。
2
宝石は「やあ」と気の抜けた挨拶をしてきた。
「おはよう」
僕はとりあえず返事をした。もうおはようなんて時間じゃないのに。
宝石は笑って言った。
「ああ、おはよう」
そして続けて
「もう散歩ができなくなっちゃったよ」
と、当然かのように言った。
やはり、僕は何も言えなかった。
絞り出したのは
「そっか」
という当たり障りのない言葉だけ。
ちらりと布団の下に隠れている足を、宝石を見る。
病気になってから、唯一の楽しみだった散歩が出来なくなったらしい。
綺麗な体は、残酷な現実を与えた。
「仕方ないね。こればっかりは」
宝石が諦めたように呟いた。
僕は肯定も否定も口にしなかった。
ただ、心のなかでは落胆いや絶望していた。なぜなら宝石の性格だったらそんな諦めは言わないと勝手に思っていたから。僕の勝手な思い込みだったらしいけど。
3
「やあ」
珍しく宝石の声が沈んでいた。
右耳が宝石になっていた。
「片耳で聞く曲は味気無いや」
ついに、好きだった音楽さえ満足に楽しめなくなったらしい。
「もう聞こえないのか……」
僕は聞いた。
「うん。もう右耳は使い物にならないよ」
「そっか」
少なからずショックを受けた。
宝石と仲良くなったきっかけである音楽というつながりが絶たれた気がした。
「来てもらって悪いけど今日は帰ってくれない?」
インクルージョンの入った耳が美しく太陽の光を反射していた。
閉じられた病室の扉はやけに冷たかった。明らかな拒絶を向けられた。宝石から、そんな感情を向けられたのは初めてのことだった。今までずっと一緒にいたのに。親友だったのに。……だからだろうか。
4
「やあ」
「おはよう」
季節が変わった。
ただ、宝石は体で季節を感じることはできなくなっていた。
病室の窓から見える紅葉だけが、宝石に季節という宝を与えていた。
「五感があるから幸せを感じられたんだって気づいたよ。
もともとあったから気が付かなかったよ。持ってるものを全部使えているときが一番幸せだったんだ」
そう宝石が呟いた言葉を今も鮮明に覚えている。
そのとき、やはり僕は
「そっか」
と返すしかなかった。
「死んだら宝石箱にでも入れて欲しいな」
そんな冗談めかした言葉が静かな病室に虚しく響いた。
5
冬になった。
ある日、病室に入っても宝石から声が飛ばされることはなかった。
話しかけても、触れても何も返ってこなかった。
完全に宝石になってしまった。
ただ透明な宝石が布団の上に寝かされていた。
6
結晶化した人間の供養は独特だ。
もちろん骨なんて残っていない。強いて言うならその宝石が骨であり、肉であり、臓器であり、その人自身、だった。
だから通常の人間のように火葬なんて出来ない。
ただ、炭化した石になるだけだ。
そのため弔い方はそれぞれだ。
例えば、アクセサリーになる。
綺麗なネックレスや指輪になる。
例えば、装飾に使われる。
誰かに消費されてしまう。
それが、宝石の幸せだから。
人としてではなく宝石として扱われる。
だから売られる。
ひどい場合は全身売られる。
それも何千万という値段で。
普通の宝石と同じように売られる。
もう、人ではなくなってしまったから。
だから僕は宝石を持つ。
友人だった君の一部を持つ。
せめて、一人くらいは君を覚えていないといけないから。
せめて、君を人と認識している人間が居なけれないけないから。
だから僕は透明な宝石の入った指輪を身につける。
いつも君がそばに居てくれる気がするから。
せめて生きようと思えるから。
宝石がいつものように僕の背中を押してくれるような気がするから。
宝石の君 宵町いつか @itsuka6012
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