第37話 思い出話

 食器の音が食堂に響く。

 向こう側の席に座ってオムライスを頬張っているかなえ

 食べ始める前に私は「ケチャップで何かを描いてほしい?」と訊いたけど、彼女は空腹感に耐えられなかったのか、首を左右に振った。

 ださいと思ったから私は自分のオムライスに何も描かなかった。


のぞみの料理をやっと食べてみたね!」


 感想を聞かせてくれないかと思って、私はかなえを直接訊くことにした。


「あの、いかがだったの?」

のぞみは料理が上手いから、美味かったよ」

「うまいだけに……?」

「そう、うまいだけに~」


 ーーかなえじゃを言うタイプなのか?


 笑ったほうがいいのかな……? いや、かなえの冗談は寒すぎる。


「やっぱり冗談がウケなかったわね……」


 かなえは視線をさまよわせて、観念したように吐息を吐いた。

 そして、店内が静まり返った。

 しばらくの間、私たちは皿にうつむいたまま何も言わなかった。

 少し気持ち悪くなったので、私は話題を切り出そうとした。


「あのね」

「……ん?」


 考え込んでいたのか、かなえの返事が遅れた。彼女は我に返ったように突然こちらに視線を向けて、目を合わせた。


「故・のぞみは……どんな人だったの?」


 今まではその質問を訊くのを遠慮していたけど、気になりすぎて訊きざるを得なかった。


「彼女はね……。正直、問題児と言っても過言ではない。最後まで問題を起こしたばかりなのね……」


 ーー問題児? どんな問題を……?


 いや、考え込むより質問を口に出したほうがいい。


「……どんな問題を起こしてきたの?」

「いろいろだね。お客様の迎えを忘れたり、仕事で明らかに退屈した表情をしたりして……けど、文句は言えない。結局のところ、彼女は最後まで仕事をしてたんだ。たくさんの願い事を叶えて、たくさんの人を幸せにした。本当に彼女のおかげでここまで来られたんだよ」


 かなえの顔が少し歪んで、唇が震えている。その顔は故・のぞみが死んだ時と同じだった。


「だから……だからわからないの。どうして……。どうして彼女は死ななければならなかったのか……?」


 かなえの頬に一筋の涙が伝った。涙は落ちながら天井灯に照らされて輝く。

 そして、一つ一つ涙が雨のようにぽつりとこぼれた。


 ーーかなえは、泣いているのか!?


 もちろん泣いても当然だけど、かなえはあまり泣くタイプではなさそうだった。

 その泣き声が初めて耳に入ると、私は面食らった。

 やっぱりこの質問をしたのは間違いだった。かなえを泣かせるつもりはなかったのに、こうなってしまった……。だから、今すぐ謝らなければいけない。


「ごめん、かなえ。泣かせるつもりはーー」

「いえ、のぞみのせいじゃないし。ただ、わたくしはこんな気持ちをずっと抑えてて、もうできないんだ」


 言いながら、涙がどんどん溢れ出す。

 私はかなえに近寄って、抱きしめた。彼女からの温もりは意外と熱かった。

 視界を生み尽くしている空色の髪の毛が海のように見えた。


♡  ♥  ♡  ♥  ♡


 四時間後。

 私たちはすでにワンピースに着替えて、ゆめゐ喫茶の戸締りをしているところ。

 泥棒が来ないように、かなえは一つの天井灯をつけっぱなしにしておいた。


「さて、そろそろ行かないとね」


 と、かなえは靴を履きながら言った。

 私は鍵をポケットから取り出して、厨房のドアの鍵穴に鍵を挿した。すると、ガラガラと音が店内に響く。


「あのねかなえ……。大丈夫?」


 故・希の話題はこれ以上振りたくないけど、一応かなえの気持ちを確認したほうがいいと思った。


「わたくしのことを心配しないで。きっとなんとかなるから」


 言って、かなえは髪の毛を肩にかけた。

 メイド服ではなく、黒いワンピースを着ているかなえの姿は新鮮だった。私はともかく、そんなたたずまいが思ったより彼女に似合っている。黒い服が空色の髪を引き出して、薄青色のように見えた。

 私は黒髪ロングだから、髪の色が引き出されるとは思わない。むしろ、黒い服を着ると髪の艶しか見えない。


「それでは………」


 何を言えばいいのかわからなくて、私は口をつぐんでしまった。


「それでは……?」

「……何でもない。とにかく、行こうね」


 私は入り口に目をやって、目配せするかのようにかなえに視線を戻した。


「そう。行くわね」


 かなえはドアを開けて、くぐる。すると彼女は私に振り向いて、店を出るように手招きした。

 頷いて、私は店を出て行った。

 太陽が早めに沈んでいて、かなえの長い影が道に投げかけられた。

 彼女は鍵を鍵穴に挿して回す。

 鍵がかかったのを確認してから、私たちは橙色に染めた空を見上げた。


彼女のぞみの魂はきっとあそこにいるね。天国に……」

「そうね。そんなに律儀で優しい人は地獄に堕ちるわけがないから」


 一応慰めるつもりで言ったけど、私は心からその言葉を信じていた。のぞみはきっといい人だったんだ。

 かなえが地平線に視線を落とすと、私たちはいよいよ集合場所に出かけた。

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