第29話 待ちわびた日
カランコロンカラン。
来客を告げるドアベルの音が響いた。今日は客足がゼロで、店内は今まで物静かだった。
私は退屈しながら、午前中厨房と食堂の掃除をしていた。
ほうきを床に引きずるとカサカサと音がして、埃が空気に舞い上がる。
正直、お客様を出迎える覚悟はまだできていない。
私は慌てて厨房に走り出した。
全ての引き出しを閉めてから、私はほうきを壁に立てかけた。
ーーよし、これでいいでしょ。
ほうきが落ちていないかを確認してから、私はお客様を出迎えにいった。というか、出迎えに走った。
できれば、この件は
お客様の出迎えが遅れると失礼と見なされて、接客が良くないと客足は全然増えないのはわかっている。
だから、彼女が知ったら怒るだろう。
そして、私は再びクビになる……。
まあ、そういう仕事ができる人はきっと少ないと思うから、そんな些細な事でクビになるわけがないだろう。
あまりに考え込んでいて、私は時間を忘れてしまった。
頭を左右に振って我に返ってから、私はできるだけ早くお客様たちを出迎えに行った。
近づいていくと、ドアの前に立っている複数の姿が目に入る。最初は一、二人だと思ったけど、実は三人が待っていることに気づくと悪寒がした。
ーーやばい。一人はまだいいけど、三人が苦情メールを送ったら隠せるわけがないよね……。
お客様を待たせるのは初めてなので、私はどうすればいいのかわからなかった。
謝罪で始まればいいのか? それともいつもの台詞で?
頭を下げたら、謝罪と解釈されるかもしれない。しかし、「
ーーああ、考えすぎだろう。
とりあえず、普通の台詞で出迎えて臨機応変に対応すれば何とかなるだろう。
覚悟を決めて、私は三人のお客様に視線を向けた。
「
拍子抜けさせないように、声をできるだけ可愛くした。
お客様は一人が男性で二人が女性。三人ともお洒落なスーツを身にまとっていて、女性たちは髪をくしで
一瞬ヤクザの連中なのかと思ったけど、そうでもなかった。
今朝
先に口を開いたのは背の低い女性。とはいえ、かなりの存在感がある。彼女が上司なのかな?
「お邪魔します」
言って、彼女は一礼した。
「ご依頼のアプリを紹介したいんですが」
こんな会話をするのは久しぶり。OLの仕事を思い出して、私は少し懐かしくなった。しかし、今はそれどころじゃない。また考え込んだら、相手の話を聞き逃してしまうから。
「どうぞ、お入りください」
と、私は一礼して言った。
こんな台詞は確かにメイドが言う台詞でなないけど、そもそもこの三人はご主人様やお嬢様扱いを受けるために来たわけではないだろう。
とりあえず、メイドのキャラを崩さなければならない。
「では、我々はこれから紹介を開始します」
二人目の女性がパソコンをテーブルに置いて、アプリを起動する。
でも気になっているのはアプリじゃなくて、あの男性だった。
私はそちらに視線を向けて、彼をじっと見つめてしまう。何か、見たことがあるような気がしたんだけど……。
アプリが画面に映ると、私はパソコンに視線を戻した。すると、
「遅れて申し訳ございません。苦しい言い訳なんですが、用事がありまして……」
「いいえいいえ、謝らないでください。私は会社の部長ですし、仕事の忙しさはよくわかっています」
気のせいか、彼女は
「ありがとうございます。では、私はこのアプリを拝見します」
言って、
私も座ったら失礼かなと思って、立ったまま画面に目をやった。
アプリの紹介を担当しているのは背の高い女性らしい。
試しにお客様の客足を入力すると、線グラフが突然現れた。
これは役に立ちそうだよね、と私は思いながら
「ご覧の通り、線グラフを描くことができます。客足の傾向を一覧したいときに役に立ちますので、ぜひ使って見てください」
そして、彼女は次の機能を紹介する。
「では、次の機能を紹介したいと思います。ユーザーインターフェースの可愛さがポイントです。
その言葉に、私は心が飛び出したような感覚がした。
この不思議な感覚は痛いけど愛おしくて、私はいても立ってもいられなかった。
ーーモリザワさん……? まさか
目を閉じると、彼の十年前の顔が目に浮かんでくる。
「大丈夫ですか?」
その時の思い出が一気に蘇った。
「
もう、その呼び方をやめてください。
私の名前は
「
ーーやめろ!!
そう叫びたかったけど、
徐々に目を開けると、三人のお客様が再び視界に入った。彼らは戸惑った表情で私を見つめている。本当に気持ち悪い……。
「一つだけ言ってもいいですか?」
と、私は部長にそっけなく訊いた。
別に怒っているわけでもないけど、私は気持ちを抑えられなくなった。
「あの、いいんですけれども?」
眉をひそめて、部長はそう言った。
頷いて、私は例の
私はメイド服を着ているので、彼は私の正体に気づいていないだろう。
私たちの目が合うと、
「メ、メイドが好きなんですけど、なんで俺に……?」
十年が経っていても、彼の顔はあまり変わらなかった。私の顔もそうなのだろうか。
正直、私はどうすればいいのかわからなかった。ぎこちなく笑みを浮かべて、口を開いた。少し考えてから、彼に目をやる。
ーーやっぱり、これは一か八かだ……。
身体中が震えているけど、私はきっと大丈夫。なぜなら、私たちは友達だから。私の気持ちはきっと通じる。だから、もう恐れることはない。
ーーそして、私はずっと言いたかったことをようやく言い放った。
「お帰りなさいませ、ご主人様。十年ぶりですわね……」
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