第9話 メイド喫茶の王国、秋葉原

 放課後のチャイムが鳴ると、あたしはできるだけ早く学校を出た。

 生徒の人波を縫って校門にたどり着くと、青井あおいがあたしを待っていることに気づいた。

 

さきさん、大丈夫? あの、どう言えばいいかな……。屋上から……叫び声が聞こえたけど」


 ーーやっぱり全校が聞こえたのか?


 まずっ。あたしの評判はさらに下がりそう。


「あ、そこはね……。ドタキャンされたみたい」

「ドタキャン? 西野にしのくんが屋上に来なかったってこと?」


 言って、華恋かれんは心配そうに眉を寄せた。


「うん、その通り。昼休み中待ってたのに、全然来なかった。ホントに腹が立ったんで叫んだ」

「気持ちわかるわよ。まったく、西野にしのという奴は……」


 あたしたちは同時に吐息を吐いた。

 そういえば、恋バナをするのは初めて。華恋かれんの『気持ちわかる』が耳に入るとあたしの怒りが完全に溶けた。

 

「じゃ、これからどうすんの?」

「あの、たまたまチラシを手に取ったんだけど……。これを見てください」


 華恋かれんは興味津々に目を輝かせる。こちらに駆けつけて、チラシを手に取る。チラシの文面に目を通してから、彼女は困惑したような表情を浮かべた。


「『うちのキチャを飲めば、あなたの願いを一つだけ叶えてあげる』って、どういうこと? そして、『ゆめゐ喫茶』っては店名かな?」

 

 ーーゆめゐ喫茶という店、か。


 その文は読み飛ばしてしまった。

 ホントに助かる、華恋かれん


「わからないけど面白いじゃん。今日秋葉原に行こうと思う」

「そういえば、さきさんはメイド喫茶が好きなのか? 全然知らなかった」


 その問いに、あたしは顔を紅潮させてしまう。

 正直、メイド喫茶が最近気になっているけど、それを言ったら評判がゼロまで落ちるかもしれない。


「べ、別に好きでもないよ……。ただ、キャッチコピーからして他のメイド喫茶と雰囲気が違うから行ってみたい、かな」

「確かに面白そうだけど、ちょっとさんくさいじゃないか。ま、部活があるから一緒に来ないんだけど」

「大丈夫。そもそも一人で行くつもりだったよ」


 あたしは華恋かれんに手を振って、秋葉原に出かけた。


♡  ♥  ♡  ♥  ♡


 ガタンゴトンガタンゴトン。

 ホームで待っていると、列車の走行音が次第に聞こえてきた。

 列車が止まると、大勢の人が乗り込んだ。酷く混んできた車内の空気が徐々に息苦しくなってくる。

 あたしは窓際の席に座って、外の風景を眺める。いくつかの摩天楼や展望台が商店街に影を落としている。遠くに、東京タワーが高くそびえていた。


『ツギは秋葉原デス』


 何十分後、合成音声の声がそう告げた。あたしは列車を降りて、ゆめゐ喫茶を探し始めた。

 街角に曲がると、大勢のメイドが目に入った。街を行き交う人に声をかけたり、チラシを配ったりしている。

 あたしは方向音痴なので、一人ではゆめゐ喫茶を見つけるのは無理だろう。地図があっても道に迷うタイプだ。

 とにかく、あたしはメイドたちに声をかけてみた。


「あの、すみません」


 あたしが声をかけると、メイドたちが我に返ったように視線をこちらに投げかける。


「ゆめゐ喫茶への道は知っていますか?」

「はい!」

 

 一人のメイドが手を挙げた。


「お嬢様、ご案内いたします!」


 と、彼女は一礼してわざと可愛い声で言った。可愛いとはいえ、何かがしっくりこない。


「いや、迷惑をかけるつもりはなかったんですが」

「お嬢様のお役に立てれば幸いです」


 言って、彼女は頭を下げた。

 その口調はメイド喫茶の特徴だとわかっているけど、そんな風に話しかけられると違和感を覚えずにはいられない。


「……なら、お願いします」


 時間が経つにつれて、商店街が次第に賑やかになってくる。

 彼女に従いながら、あたしは周りを見渡した。いろんなメイド喫茶が立ち並んで、それぞれの店先に看板娘のメイドが立っている。メイドたちの声が重なって、一体何を言っているのかわからなくなった。

 そして、数分後。


「ここです!」

 

 言って、メイドは立ち止まり、あたしに振り返った。

 桃色の大きな文字で『ゆめゐ喫茶』が目の前にあった。

 お店は思ったより小さく、他のメイド喫茶と違って店先にはメイドはいなかった。窓から店内を覗くと、お客さんがいないことに気づいた。

 

 ーーもしかして、今日は休業日なのかな?


 せっかくここに来たからには、せめてドアを開けてみないと。

 しかしその前に、案内してくれたメイドにお礼を言わければならない。


「案内してくれて、本当にありがとうございました」


 メイドは頷いて、返事もせずに人波に消えていった。

 わざわざ案内してくれるとは思わなかった。

 それに、チラシをくれなかったのは本当に残念。案内の恩返しとして、せめて彼女の所属するメイド喫茶に行きたかったのに……。

 あたしは店に近づいていって、ドアの取っ手に右手をかけた。

 しかし、知らない場所に一人で入るのは怖いし、メイド喫茶に行ったことがないし、あたしは躊躇して手を引いてしまった。

 それでも、入るしかない。入らなければ願いが叶わないんだ。

 そのチラシがどんなにさんくさくても、ゆめゐ喫茶は本当に願いを叶えることができると信じたい。

 覚悟を決めて、あたしはもう一度取っ手に手をかける。

 そして、ドアを開けてみたーー

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