男の復讐

浜辺士郎

男の復讐

男は夢から目覚めた。この世は良い悪いの判断が非常に難しいが、先程見た夢は,きっと悪い方に分類されるに違いない。男はそんなことを考えつつ、狭いベットから起き上がった。男が見ていた悪夢は男の妻が浮気をしているという内容だった。

男の妻は資産家の娘だった。男はそれまでうだつが上がらなかったのだが、妻のおかげで良い会社にも就職できたし、社会的な地位も手にすることができた。そして教会の様なバロック建築の我が家にも住まえた。しかし男は彼女の経済力に惚れたのではなかった。彼女は男にとって、スタイルも容姿も性格も、理想的な女性だったのだ。男は彼女への猛アプローチの末に、結婚をもぎ取った。彼女は資産家の娘と言うだけあり、それまで恋愛はしてこなかった、それに加え娘の父親は奔放な性格であったことも功をそうした要因の一つだろう。男は仕事が終わると妻に連絡をし、定時には切り上げて必ず家で食事をする。妻には適度な話題もふったし、ご近所の噂話にも付き合う。概ね理想的な夫婦と言ってよかった。

「む。コーヒーが切れているぞ」

男はゴソゴソと机の中を漁るが、そこには煎茶やハーブティーしか入っていなかった。妙だなと思いながらも、男は妻に買ってきてもらおうと思い、大きな声で二、三度呼んだ。念のためメールも入れておく。だが一向に返事がない。そこで男は、はっと思い出した。妻は浮気をし、私を家から追い出したことを。通りでコーヒーがないはずだ。よく見るといつもの部屋ではない。おそらく、郊外のビジネスホテルだろう。男は気が動転して一時的に記憶を失っていたらしい。男は爪を噛みはじめた。それは三十年来の、タチの悪い癖だった。十本の爪、全て噛み終えた頃に玄関がトントンとノックされた。

男は玄関の方へ、とぼとぼと向かう。ドアを開けると背の高いセールスマンが立っていた。

「はじめまして、わたくしタイムループコーポレーションのものです。本日はこのホテルにお泊まりの皆様に我が社のサービスをご提供致しております。ご興味があられる様でしたらお話だけでも」

セールスマンは狐の様な雰囲気だが、どことなく柔和な顔つきでもある。さらに猫撫で声だ。男は話を聞くことにした。

「一体、なんの会社なのですか」

「はい、私たちの会社では、お客様の思い出の出来事を忠実に再現し、その出来事を心ゆくまで堪能していただけるサービスを行なっております。しかし見たところあなたは顔色が悪い。何かあったのではないですか?」

男は事情を説明した。見ず知らずの人間には本来そんなことは話さないだろうが、彼は今、冷静ではないのだから無理はない。

「なるほど。でしたら我が社のサービスでその出来事を解消して差し上げられますよ」

「あなたの会社のサービスはタイムループ的なことをやられるのでしょう?私はもうあの出来事は思い出したくもないのです」

「はい、確かに普通に使うと心の傷を深めてしまうでしょう。しかし、ある使い方をするときれいさっぱり忘れることが出来るのです。ここだけの話、その使い方を求めて来られるリピーター様も多数おられます」

それは男の興味を一手に引き受ける魅惑的な提案に思えた。

セールスマンの目が細くたなびく。

「それはですね、ストレス発散に使う方法です。例えば、あなたは思い出の中の浮気現場を思い出していただきます。そこで妻を殴りつけるなり、浮気相手を刺し殺すなりで発散するのです。何度でも戻れますから何通りもの発散方法を試せますよ」

男は、始めこそセールスマンのアイデアの異常さにのけ反りもした。しかし、男はこのなんとも言い難い、不快な感情をなんとかしたかったのだ。男はその足でタイムループ社へと向かうことに決めたのだった。

男はタイムループ社に到着するとある一室に通された。そこには人が入れるほどのカプセルがいくつも並べられていた。天井や壁はグレー色、その間の所々には発光ダイオードが埋め込まれていて、赤や緑に点滅している。

「なかなかスペーシーな部屋ですね」

「ええ。社長の趣味なんです。ではあなたにはこのマシーンに入っていただきます。ルールだけ説明させてください」

セールスマンは流麗に説明を始めた。内容はこうだった。カプセルの中に入ると、セットされた思い出に意識が向かい、その時のことを追体験できる。その思い出のタイムループをもう一度、最初から行いたいときには青いボタンを押す。終了するときは赤いボタン、緊急用で黄色ボタン。それらは壁に取り付けてあるらしい。発散用の道具は念じれば手元に出てくると教わった。

早速、男はカプセルマシーンの中に寝そべり目を閉じた。男はドキリドキリと脂汗をかいた。しかしそんなことは、まるで意に介してないかのように、一瞬であの日の出来事に戻ったのだった。

男は不思議な気分だった。夢のようでもなければ現実のようでもない。まるで思い出を思い出しているかのような、雲を掴むような、それでいて嫌に鮮明な連綿とした感情を掘り起こされる。

男は抑えきれない気持ちを懸命に堪えた。家の中では、妻と若くたくましい男が夜を楽しんでいるときテイル。男は手始めにショットガンを念じて手元に出す。いよいよ突撃するのだ。ごくりと生唾を飲み込むと、男は玄関をくぐりリビングへ突き進み、ドアを開けた。そこにはあの日と同様に抱き合っている男女。男は2人を見るなりショットガンを放った。音と衝撃が炸裂した。浮気相手の筋骨隆々な体のあちこちに穴が開き、即死。女は慟哭をあげたのち、バタンとその場に倒れた。男の中で何かが壊れたのだろう。青いボタンを押しながらブツブツとブツブツと考え事を始めた。

それから男は昂進し始めた。次は放火だった。窓から松明を何本も部屋に投げ入れた。妻たちが部屋から出られない様に玄関には、つっかえ棒をし、荼毘にふさせてみた。

炎が落ち着いたのを確認して部屋に入り、青いボタンを押す。するとまた門の前に戻る。男は殺害を繰り返していった。宅配を頼み、毒を盛り殺害。毒つながりで毒蛇を大量に部屋に投げ込んだりもした。一酸化炭素で部屋を満たしても見た。念じれば部屋の隙間が埋まった。一酸化炭素中毒では安楽に死んでいるように見える。しかし、意識が覚醒した状態で体がいうことを聞かないのだ。苦しくても身動きひとつできない。死の間際に二人仲良く手を繋ぐこともできなかっただろう。お次はナイフだった。ナイフで襲い掛かった時は抵抗されてこちらが刺されてしまった。すぐさま黄色の緊急ボタンを押してセールスマンの報告し、ことなきを得た。最後に行ったのは、妻と浮気相手の両親をその場に召喚することだった。2人の両親は義憤に駆られた様子だった。浮気相手の両親には「息子を殴ってやってくれ」と言われたので、男は遠慮なく「この横恋慕野郎!」との掛け声とともに力強く拳を振るった。正当に振りかざせる正義とは実に清々しいものだ。男は満足したらしく、悦な表情で赤いボタンをゆっくりと押した。


男はゆっくりと目を開ける。プシューっとカプセルが開き、セールスマンが外へ引っ張り出してくれた。

「いかがでしたでしょうか、こちらのマシーンは」

「いや実に素晴らしかったよ。すっきりもできたしいろいろ収穫もできたからね」

男はきりが晴れた様な表情だ。

「それはそれは。満足いただけたのならこちらも嬉しい限りです」

「こんなスペーシーな設備を使わせてもらったんだ。ただと言うわけにはいかないんだろう?」

「もちろんお代はいただきますが、そこまでの額ではございません」

セールスマンはそう言うと、胸ポケットに入っていた請求書を男に差し出した。

「こんなに安いとは。今の僕の手持ちで支払えるじゃないか」

男は金を支払うと、上機嫌でタイムループ社を後にしたのだった。

「またお越しくださいませ」

セールスマンは男が見えなくなると、一本の電話をかけ始めた。

電話に出たのは、先ほどの男の妻だった。

「お世話になっております。タイムループ社のものですが」

「ああ、あなたね。どう?うまくいったかしら」

「はい、あなたの旦那様は上機嫌で帰っていかれました。もう何も心配することはございません。我が社が保証いたします」

「それはありがたいわ。あの人ネチネチしてて、ストーカー気質。何をするかわかったもんじゃなかったから。これで私たちには復讐をしてこないと思うと、ぐっすり眠れるわ。あなたたちの会社には感謝しなくちゃね」

「いえいえ、こちらこそ多額の寄付金をいただいた様で。お気に召されましたら幸いです」

「じゃあ、また何かあったら連絡するわね」

セールスマンは電話を切る。

「これでまた寄付金が増額か。しかしあの男の最後の発言が気になるな。一体何を収穫したと言うのだろう」


その夜、豪華なバロック建築の家の一室で2人の男女が愛し合っていた。その一室に闖入しようとする男が一人。左手にはコーヒー豆の入った袋。右手には刃渡り30cmの包丁を持っている。その男の表情は、まるでたっぷりと予習をしているかの様な自信に満ち溢れていた。

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