転移直後に火炙りですか!? 〜獣人従者と契約解除を目指す旅〜
志邑えるか
第1話 溺れる
胸の奥底に沈む澱んだ空気を吐き出すように、長い長いため息を吐く。焦茶色に染めた髪は、すっかり根元の黒い部分が見えてしまっている。最後に美容院に行ったのはいつだっけ。それすら思い出せない。
今の会社に入社して三年。入社当時はキラキラしていた私の目はすっかり濁りきって、あの頃の溌剌さなど見る影もない。私の瞳が死んだ魚のようになってしまったきっかけは、数ヶ月前の配置転換だ。今の部署に欠員が出たところを、去年度の成績がたまたま良かった私に白羽の矢が立ったのだ。異動先は花形部署で、多くの同僚が栄転だと喜んで送り出してくれたが、今の部署の内情を知る者は皆一様に手を合わせるのみだった。慣れた部署からの異動というのも、私には精神的ダメージが大きかった。
結果、営業成績は伸び悩み、上司には毎日のように小言を言われ。焦れば焦るほど重なる失敗、無くしていく自信、増える残業、病む心。会社に行く足取りは日に日に重くなり、大したものも入っていないくせにやたらと重い通勤鞄に収められている社員証という首輪だけが、私の心にぎゅうと絡み付く。いっそどこかに投げ捨ててしまえれば良いと思っても、セキュリティ事故、始末書、という言葉が脳裏を過ぎる。このままでは、駄目だ。
気がつくと、私は川縁に立っていた。いつの間に土手を下りたのだろう。虫の声が聞こえる。遠くを走る車のエンジン音と、最終電車のガタンゴトンという走行音。足元は暗くてよく見えない。
街灯の光を返す濡羽色の水面を見ながら、このまま進めば、真っ暗闇に溶けて消えてしまえるかもしれないと思った。
そして、ふらついた足取りで一歩を踏み出した、その時。
ずるり、と何かに引っ張られるような感覚がして、次の瞬間には呼吸が出来なくなり、冷たい水で全身が急速に冷えていった。川に落ちてしまったのだ。
足を滑らせたのだろうか? いや、それよりも今は、とにかく陸に上がる事を考えないと。呼吸が苦しい。ああ、これで楽になれるだろうか? 体のあちこちに水が入ってきて痛い、気持ち悪い、怖い。明日は会社に行かなくて良い? 怖い、死にたくない。楽になりたい。水面は、どこ?
儘ならない呼吸にもがくうちに、ふと全身から力が抜け、私は夢うつつのような状態で水中を揺蕩った。これが走馬灯だろうか。
優しい母と父の顔、幼い頃に誕生日を祝ってくれた思い出、遊びに行くと喜んで出迎えてくれた祖父母……。
一ヶ月前に亡くした愛犬が、尻尾を振りながらこちらを見ていた。足元には、彼のお気に入りだったボールが転がっている。それを拾い上げ、振りかぶる。
今、行くからね。また一緒に遊ぼうね……。
そう呟いてボールを投げ、それをキャッチしようと走り出す彼の背を追って、私も走った。
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