異世界再現株式会社

ぺらねこ(゚、 。 7ノ

第1話 空は焼け、酒は進む。

 仕事を辞めると決断したあと、あっという間に最終出勤日が来た。ちまちまと持ち帰り、最小限のものだけになっていた自分のデスク。その最後まで頑張ったお気に入りをダンボールに纏めて自分の車に積み込こむ。 

 挨拶と預かっていた社員証とロッカーの鍵などを人事の先輩に渡す。車に行ったついでにとってきた、みかんをひとつだけ一緒に渡し、少しだけ世間話する。

「友さんさぁ。次決まってるの?」

「なんとか決まりました。大丈夫ですよ」

 友の数少ない味方だった、ひとつ上の先輩。彼女との別れはしんみりした雰囲気に包み込まれそうになったが、先輩はカラカラと笑って、こういった。

「友さんは自動車免許あるし、しっかりしてるからどこ行っても大丈夫だよ。遅刻さえなければね」

「わたし、言われるほど遅刻してないですもん。長時間労働が悪いんです〜」

先輩が小さな紙を渡してくる。開くとQRコード。メッセージアプリのアカウントだろうか。

「友さんさー、押し付けがましいかもしれないけど、私人事だから、他の会社の人事の人ともつながりあるのよ。どうにもだめだったら連絡して?」

「ありがとうございます。もう内定いただいてるんで、使うことはないと思うんですけど」

「まーまー、かわいい後輩にこんぐらいさせてよ。企画系の会社行くんでしょ? コネクションは大事だよ?」

友はキョトンとした顔で先輩を見やる。

「そんじゃ私は戻るから。酒、飲みすぎなさんなよー」


 最後までペースを崩さない先輩だったな。と、友は思い、車に乗り込んだ。三連休初日の午前を消費したが、今夜からキャンプだ。

 友は車に乗るとハンドルを握り、大きく息を吐いた。そして、カーナビに目的地を入力し、ゆっくりと走り出す。

 今回はキャンプで2泊。シャワー付き、温かいお湯の出る水栓がある高規格キャンプ場に泊まる。職場がかわったら、しばらくキャンプに出られないかもしれない。そう思った友は、今回のキャンプに並々ならぬ熱意で臨んでいた。

 

 昼過ぎに会社を出たとはいえ、なれぬ道を走り、道の駅で買い物をし、山道を乗り越えて来るとなると、時間も体力も消耗が激しい。キャンプ場に到着したときには、すでに日が陰り始めていた。

 チェックインを済ませ、自分のサイトを確認したら、車を停めて装備を下ろす。いちばん最初にしておくことは、水場と灰捨場の確認である。

 管理棟まで行かずとも、その2つは近くに用意されていた。ついでにトイレとシャワーも確認する。友は水洗式のウォシュレットを確認して、小さくガッツポーズした。シャワーはコイン式だが、まだ誰も使っていないようだった。


 2日間使うテントは、いつも使っているひとり用のものにした。テントが大きくても、一人の荷物はたかがしれている。あまり空間が余ると、暖房効率が悪くなってしまうのだ。

 難なくテントを張り、焚き火台を設置する。スパッタリングシートをしっかり敷いてから、組み立てた焚き火台を移動し、それを囲むように机と椅子をおいた。

 ランタンスタンドを地面に刺して、お気に入りのランタンを吊るす。太陽電池式で、今からの充電でも、明け方までは電池が持つだろう。

 友はこの瞬間が好きだった。使い慣れた道具で、自分の部屋が知らない場所に移動できる。今回のキャンプギアは、お気に入りのものだけでなく、使ってみたいものもいくつか持ってきた。こんなの、どうしても口元が緩んでしまう。

 その頃には、夕日が傾いていた。設営で軽く汗をかいたし、午前中の掃除で、少し埃っぽくもある。友はシャワーに行くことにした。汗で濡れた下着を確認して、換えをザックから出す。コインシャワーのためにとっておいた小銭を確認しつつ、大きなジャグも持っていく。これは、このあとの炊飯用の水、明日の朝までに使う飲み水を運ぶためだ。

 シャワー室に向かう道で、夕日は空一面を覆っていた。赤と青とその混ざりあった無限の色の紫が、自然の力、変わらないものを感じさせるような気がして、友は少し嬉しくなった。


 シャワーを済ませ、テントに戻った友は、料理を始めた。焚き火台にブロック型の着火剤を割り入れて、ガスライターで数秒炙る。火が移ったら、近くの枯れ葉を片手でつかめる分くらいずつ乗せていく。くすぶるような赤熱点から枯れ葉に勢いよく火が移り、赤い柱となった。

 友はその炎に、ヤシガラ炭を焚べる。整形された穴が煙突になるよう、着火剤の火が燃え移るように置かねばならない。いくらか火吹き棒で空気を吹き込んでやると、ヤシガラ炭に火がついた。持参した割り箸をひとつかみ入れ、その上に細めの薪を選んで乗せる。

 近くにはまだ枯葉があった。友は両手でふた掬いほど、焚き火台の中に追加する。しっかりと乾燥した枯葉が火を大きくし、ついに薪が燃え始めた。

 手早くロストル(焼き網)を焚き火台の上に渡し、そこにクッカーを並べていく。左に置いた直径14センチほどの深めのクッカーには、水を半分ほど入れ、カット野菜とたらの切り身を食べやすいサイズに切ったものを入れ、沸騰させる。

 右側の空いたスペースでは、メスティンに無洗米を入れ、水を量って注ぐ。こちらは炊飯に使うようだ。メスティンが沸騰してきた頃には、左の鍋にタラとカット野菜のスープができていた。友に聞けば、鱈ちりと言い張るだろうが、多くの人は、白菜の代わりにキャベツが泳いでいる鍋を鱈ちりとは呼ばない。友はスープを味見して、昆布だしの顆粒と塩を少し加えた。

 白い泡をブクブクと吐いていたメスティンは静かになりつつあり、友によって直火が当たらない端に寄せられ、ひっくり返される。これは蒸らしの工程。もうすぐ食事が始められるサインだ。

 友は足元のケースから、ビールをひとかん取り出す。

「カシュッ」

 勢いのいい音がして、次の瞬間には口元に運ばれる。琥珀色の液体が白い泡をまとい、友の喉を潤していく。

「んーーー。いいねえ〜。明日のことを気にしないで飲めるキャンプはいつぶりだろう!」

 たしかに、やめる直前に関わっていたプロジェクトは、この世の不条理の塊を押し付けられたがごとく不運に付きまとわれていた。その結果、残業や休日出勤が増え始め、あらがっていた友もついには耐えきれず、転職先を探す羽目になった。

 当然その頃には連続した休みを取るのは困難で、仕方なくデイキャンプでお茶を濁したことも何度かある。

 キャンプで飲むビール。その旨さを知っている友に対して、自然の中で飲むビールを取り上げるのは、手酷い仕打ちだったと言える。

 火の監視をしなくても良くなった友は、低い姿勢だった腰を伸ばした。自然と目線が上がり、たくさんの星の瞬きをその目で捉える。

「流石に星が多いなあ」

 小さくひとりごち、空の広さと高さから今夜の寒さを推し量る。雲ひとつない空は嬉しいが、放射冷却で今夜は冷え込むだろう。厳冬期ではないが春を迎える前の高原は、それなりに寒い。


 ビール2缶目に手を出した友は、メスティンを開けて、白ご飯の炊き上がりを確認した。普通の炊飯器では作れない、おこげも少しだけできていて、まさに満点の炊きあがり。どうにも口元が緩む。

 小鉢の代わりにシェラカップに盛った鍋に、もみじおろしを乗せて、スープを一口含む。こちらも大成功。キャベツの甘みとタラの淡白さ、昆布だしの調和した安心できる味。

 スープに紅葉おろしを溶いて、醤油を垂らしてから、もうひとくち。ピリッとした辛味と醤油の香りと日本人の魂に刻まれた香り、あえてキャベツを選択したことで、醤油のトゲトゲしさが丸められ、引っかかりなくアミノ酸が口の中に飛び込んでくる。

「美味しいねえ。美味しいねえ」

 わざわざ美味しいねえと2回繰り返した友頬は紅潮していた。ご飯と鍋を行き来する間に2本目のビールを開け、ついに缶入りの日本酒に手を出す。

 プラのキャップを外し、プルタブを引く。パカンと大きく開いた缶の蓋で手を切らないよう、慎重に慎重に外していく。やがて蓋が外れ、ゴミ置き場に捨てられる。

 小さく舌なめずりをした友の唇が、その縁に当てられ、ごくっとたしかに音を立てて缶を傾ける。

「あっはぁー! お魚! 白ごはん! 日本酒! 日本においてこの組み合わせが外れるわけないんだよね!」

 翌日寝過ごしても良い連泊キャンプは、時に人間の思考能力を奪う。友はビールで加速をつけたあと、純米と純米大吟醸をそれぞれ1合ずつ飲み、火の始末だけを気合で行ったあと、寝袋に潜り込んで、あっという間に寝た。

 

 

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