ヨミクラゲ

そうざ

The Jellyfish is called Yomi-Kurage

              1


 年3月19日、深海潜水艇『ふかうみ』が生きたヨミクラゲの撮影に成功。各メディアで取り上げられる。


              ◇


「ヨミクラゲ規制、はんたーい!」

 唱和に合わせ、小さな女の子が重たそうにプラカートを掲げた。自主的なのか、傍らの母親に唆されたのかは分からない。クレヨンで力強く描かれたイラストは女の子の直筆のようで、まるで湯気が立った蕨餅わらびもちみたいだったが、どうやら引っ繰り返って瀕死の状態にあるヨミクラゲを表現しているらしい。

 総勢で二十人程だろうか。他の連中も、張りぼてのヨミクラゲを神輿みこし宜しく担いで練り歩いだり、着包みを作って踊ったりと、思うがままに抗議の意を表している。そして、僕を含めた皆がヨミクラゲの写真をプリントしたTシャツで揃えている。

 やっぱり来るんじゃなかった――僕は、植え込みのブロックに腰を下ろしたまま食品医療省の高いビルを仰いだ。エントランスに警備員が彷徨うろついているだけで、周囲は至って静かな日常だった。

 官庁街でのデモという事で、大手テレビ局の取材陣もちらほら来ていた。総勢で二十人程を大写しにすれば、それなりの規模で行われているデモとして世間様を錯覚させる事が出来るらしい。マスコミにしても態々わざわざニュースにする以上、盛り上がっているデモとして扱えなければ何の旨味もないのだろう。

 それにしても、ヨミクラゲの愛好家サークル〔ヨミクラゲンキ〕のオフ会としてこんな活動をするとは思いも寄らなかった。僕を誘ったミナオからも、ヨミクラゲを酒の肴に駄弁だべるだけの集まりとしか聞いていなかったから、何となく騙された気分だった。

「どうしたのぉ? ファイトファイトッ!」

 ブロックの上で仁王立ちのミナオが僕に発破を掛ける。

 以前はスカート姿が多かったが、今日は活動し易いようにスラックスを選んだようだ。

「変わったね」

「何が?」

「人前で叫ぶタイプじゃなかったじゃん」

「恥ずかしがってる場合じゃないでしょ」

「だってさぁ……」

「あっ」

 ミナオが目の色を変えて駆けて行った。エントランスへ急ぐ職員らしき連中を糾弾するように、皆の唱和がより一層強くビル街に響いた。

 僕は言い掛けた言葉を独り言に変えた。

「ヨミクラゲが何だってんだよ……」


              2


 卯年6月2日、B半島において、観光漁業の地曳き網に複数のヨミクラゲが混入、主催者である地元漁協組合が(株)海洋総合情報センターに通報。これがきっかけとなり、世界で初めて公の研究機関がヨミクラゲの調査に乗り出す。

 同年6月10日、地曳き網の参加者がヨミクラゲを密かに持ち帰り、炙り焼きにして食したところ、この上なく美味である事が判明。この勝手な行動の事実がネット流出して物議を醸すが、ヨミクラゲに食材としての関心が集まり始める。


              ◇


「皆さん、本日は御苦労様でした」

 会長の労いの言葉に、皆がにこやかな笑顔で応える。

「今回のデモは無事に終わりましたが、我等がサークルの存在意義を根底から覆し兼ねない状況は未だ続いています。近い内にまた開催出来ればと思っておりますので、その際は是非奮ってご参加下さい。話が長くなりそうなのでこの辺で。この後はいつも通り無礼講の飲み会です」

 会長が目で合図をすると、ミナオが立ち上がった。

「お疲れ様でしたっ。かんぱーいっ!」

「かんぱーいっ!」

 ミナオはすっかり主要メンバーになっている。

 その後、テーブルは自然に小グループに分かれ、思い思いに盛り上がり始めた。誰とも面識のない僕はミナオと話すしかないのだが、当のミナオは会長とマンツーマンの状態だった。

「会長、今日も充実した一日でしたね」

「そうだね」

 会長は美味しそうにビールを口にした。『会長』というのは単なる渾名で、SNSで〔ヨミクラゲンキ〕というサークルを始めた張本人という立場以上の責務や権限がある訳ではないらしい。

「会長、私達の思いはいつ国に届んでしょうか」

「マスコミに取り上げられて世間の関心を集めれば、政治家や官僚も動くんじゃないかな」

「そうですよねっ。その時を信じて頑張りましょうっ」

 ミナオの目がヨミクラゲの体表のように煌めいている。こんなミナオを見るのは初めてだ。

 引っ込み思案のマイナス思考、内弁慶に外地蔵――似た者同士の僕とミナオは庇い合うように付き合って来た。

 違和感の被膜が僕等を隔て始めたのは、互いの肌を合わせてから半年が過ぎようとする頃だった。

「すみませーん、フライドヨミクラゲの山盛り、お願いしまーす!」

 ミナオが威勢良くオーダーを伝える。

「よく飽きないね」

 僕は呆れた口調を意識して言った。

「騙されたと思って食べてみてよ、きっと病み付きになるから」

「どうしても抵抗感があってさ」

「どうしてよ~」

「それは……よく分からないけど」

 ミナオは僕の反応に口を尖らせ、半眼の冷たい眼差しを作った。

 二人のバランスがおかしくなってからと言うもの、僕はミナオの機嫌を窺うようになり、やがて僕がしっかりとミナオの機嫌を窺えているかどうかを窺うようになった。

 僕が二つ返事を装ってオフ会に顔を出したのは、同じに興じれば事態が好転するかも知れないと一縷いちるの望みを掛けたからだった。

「申し訳ありません。本日はヨミクラゲ料理の提供は終了しました」

 ミナオのオーダーから間もなくやって来た店員が低姿勢で謝った。

 ミナオと会長とのコミュニケーションが続く。

「そもそもヨミクラゲをメニューに入れてるお店って、ほんとに少なくなりましたよね」

「この国の人間は自主規制が好きだからね」

「スーパーでも見掛けなくなったし」

「そうだねぇ。でも、僕は独自のルートを持ってるんだよ」

 会長が口に手を添えて声を潜めると、ミナオはそれに応えて顔を寄せた。会長が目を細めて囁くと、ミナオはゆっくりと破顔した。二人に割って入る隙はなかった。

 いよいよ居た堪れなくなった僕は、勇気を出して他のメンバーに話し掛けた。

「あのぉ……」

 盛り上がっていた三人組が機械仕掛けのようにこちらに顔を向いた。

「最初にヨミクラゲを食べた人って、誰なんでしょうね」

 時が止まった気がした。僕が気まずさに狼狽うろたえると、三人が一斉に駆動し始めた。

「恐らく漁師でしょうね」

「だろうね」

「異議なし」

「元々は深海に生息するクラゲだから滅多に人目に触れる事はないけど、偶さか漁の網に掛かった時なんかに物好きが食したと考えるのが自然でしょうね」

「ヨミクラゲの棲息海域から推測するに、初体験者は南方の漁師じゃないかな」

「海流を考慮するとそう簡単に断定出来ないんじゃないかな。もっと北に流された可能性もあるよ」

「確かに江戸初期に編纂された『当代とうだい八百奇話集やおきわしゅう』に拠れば、寛永年間に紀伊国の浜辺に無数のヨミクラゲらしき海洋生物が打ち上げられたらしいですね」

十町じっちょうっていうから、約一キロにも亘って死骸が折り重なってたって事件」

「そこに記された姿形の詳細から見て、まさしくヨミクラゲだったんでしょう」

「海岸線の様子を『大入道オオニュウドウ下帯シタオビナガクガゴト有様アリサマ一朝一夕イッチョウイッセキニテハマ景気ケイキ転変テンペンセシメ』と表現してますからね。壮観だったろうなぁ」

「それから、同時期に海野うみの羽梨はなしが自著『巷説こうせつ萬漫綴まんまんつづり』に於いて、の地で群発地震が発生している事を指摘していて、あれは興味深いな」

「あそこは、ヨミクラゲが浜に打ち上げられたら津波が来るという言い伝えがあるからね」

 ヨミクラゲ話に止め処なく花が咲いた。そして、僕は蚊帳の外にされた。


              3


 卯年10月15日、(株)海洋総合情報センターがヨミクラゲに関する詳細な研究結果を発表。良質の健康食材としての可能性を示唆。

 同年12月7日、食品医療省が正式にヨミクラゲの調査、研究に乗り出す事を検討していると発表。

 

              ◇


 小学二年生の夏休みだったと思う。

 例年通り、泊まり掛けで親戚の家に遊びに行った。内気な僕がここぞとばかりに活発さを体現出来る数少ない機会だった。

 親戚宅は海に近く、猫の額程の砂浜はちょっとしたプライベートビーチの様相で、からきし泳ぎが苦手だった僕も使い慣れた浮輪と従兄とを相棒に波と戯れる事が出来た。

 何がそんなに楽しかったのか、波に洗われ、海水を掛け合い、潮の辛さを味わい、退屈な瞬間など一時もなかった。午後の灼けた日差しは生後十年にも満たない僕の人生を肯定し、分相応を超えた冒険へとそそのかした。

 気が付くと、海岸線が遠くなっていた。従兄の姿は見えない。のちに、従兄は浜の草叢で大便をしていた事が判ったが、この時の僕はなけなしの義侠心に駆られ、沖への単独捜索を決心してしまった。

 不図、自分が途方もない大海原まで放り出された錯覚に陥った。見慣れている筈の砂浜が見覚えのない風景に変わっている。太陽は刻々と傾き、ついさっきまで煌めいていた海水が途端にどす黒く見えた。心なしか浮輪が萎んでいるように思え、焦燥の目盛りが一気に伸び上がった。

 几帳面な波のうねりが酔いを誘発する。海面に良策が記されている訳もないのに、僕は定まらない焦点を波に落とすしかなかった。

 水の底に揺れる白い影があった。

 幻ではない事が分かるまで、幾らか時間を要したと思う。それは次第にまるい形を成し、僕の眼前で流される事もなく揺らめいていた。

 僕は、半ば無意識にそれに触れようとした。死を予感しての戯れだったのか、藁にも縋る思いだったのか、しかし、手が届きそうで届かない。それでも、不安と恐怖と希望とを綯い交ぜに同じ動作を繰り返した。

 やがて、五感の疲労が痺れに変じ、全身の感覚が失われそうになった時、白い奴が消え掛けた。

 もう終わりなんだな――そう感じた瞬間、人の声がした。

 そこは元の砂浜だった。僕は浅瀬に浮いていた。従兄が寄って来て、収集した貝殻を見せびらかした。至って平然としている。太陽は確かに傾いていたが、砂浜は穏やかに暮れなずんでいた。

 結局、僕は一連の出来事を従兄にも両親にも話さなかった。

 は何だったのか。

 単なるビニール袋にも見えたし、生き物のようにも思えた。もし後者ならば、浮輪で揺れる僕の事を仲間と勘違いしたのかな、と思ったりもした。

 それ以降、僕は海に行く事はなくなった。勿論、白くて円い奴とも再会していない。


              4


 たつ年2月10日、食品医療省に委託された海神大学水産学部がヨミクラゲの養殖に成功した事を発表。

 同年8月5日、居酒屋チェーン『海々珍味うみうみちんみ』がヨミクラゲを使ったメニューの提供を開始。

 同年8月19日、都内の大型スーパー『シーブリーズ』が刺身加工したヨミクラゲの販売を開始。


              ◇


 ヨミクラゲの食べ方はバラエティに富んでいた。煮て良し、焼いて良し、茹でて良し、揚げて良し、蒸して良し、干して良し、いぶして良し、生でも良し、どんな食材にもマッチした。老若男女から支持を集め、国民的食材とまで呼ばれるようになった。

 一応はその存在を知られていたヨミクラゲだが、これだけ人間との関わりが深くなったのは、有史以来初めての事だろう。気の利いた図鑑には絵入りで紹介されてはいたものの、一般的には存在すら知られていなかったのだ。


 しかし、程なく発生した赤の他人達の死が人気に水を差す大きなきっかけになった。

 先ず、昨年末に或る高校生が首を吊った。虐めが原因として騒がれたが、注目されたのは死の数時間前の奇態な行動の方だった。

 次に今年の二月、或るサラリーマンが投身自殺を図った。リストラが原因と見られたが、矢張り生前の言動がマスコミを賑わわせた。

 更に同年三月、或る主婦が練炭自殺を遂げた。不倫、三角関係、痴情のもつれ等、三面記事向けの在りきたりなキーワードを余所に、事前の奇行が大々的に報道された。

 複数の証言内容は、ほぼ一致している。

「ヨミクラゲ規制、はんたーい!」

 何の脈絡もなく叫び出したと言う。

 これを機に、全国に同様の不審死事件が起きている事が判り始めた。

 虚空に泳がせる瞳、踏鞴たたらを踏むような歩調、物欲し気な垂涎――幾多の詳細な共通点の他に、死に顔が古拙の微笑アルカイックスマイルを湛えていたとの興味深い報告もあった。

 一連の事件に興味を持ったジャーナリストが、三人が三人共、死の数時間以内にヨミクラゲを食べていた事実を突き止め、事態は俄かに進展を見せた。

 程なく食品医療省の再調査が行われ、ヨミクラゲと自殺との因果関係は認定されなかったものの、省庁と食品メーカーとの癒着がまことしやかに囁かれた事もあり、国民の不安は拭えなかった。


              5


 年2月11日、食品医療省が全国の販売店、飲食店にヨミクラゲの販売、提供の自粛を勧告。並びに一般国民に対しても摂食を控えるように呼び掛ける。

 同年2月26日、上院の超党派議員が立ち上げた『ヨミクラゲ中毒の根絶を目指す有志の会』が、ヨミクラゲの販売、提供、飼育に関する規制法案を提出。


              ◇


「今週末にデモをするんだけど、どうする?」

 ミナオは、まるで友達の誕生日会にでも誘うような気安さだった。僕は自分が試されている事をさとった。

「ご免、ちょっと都合が悪くて」

「何とかならない?」

「……難しいかな」

「そうなんだ」

「うん」

 デモに効果があるとは思えない。公示通り一ヶ月後にはヨミクラゲの食用としての販売、提供は全面的に禁止されるだろう。

 生まれてこの方、自分の意見が称賛され、賛同され、大勢を動かし、世の中が変わる経験なんてまるで縁がない。いつだって僕の知らない何処かで誰かが何かを決め、いつの間にやらその何かが当り前になってしまう。

 これが僕にとっての偽らざる日常だし、そこに何の不満も抱かない自分も偽らざる僕なのだ。


              6


 巳年12月12日、ヨミクラゲの販売、提供、飼育に関する規制法案『ヨミクラゲ法』が施行。事実上、ヨミクラゲは巷から姿を消す事になる。


              ◇


 ヨミクラゲを販売したとして、都内在住の会社員等、五人が逮捕された。

 今やヨミクラゲは研究対象として然るべき施設で僅かに飼育されているだけだ。それ以外はたとえ天然物の死骸を収拾しただけでも所謂〔ヤミヨミクラゲ〕と見做され、飼育、売買、譲渡、転貸、開示、頒布等は完全に違法となっている。

 容疑者の五人は何れも〔ヨミクラゲンキ〕の会員で、その一人は同会会長を務める男だった。五人は会長宅で密かにヨミクラゲを飼育し、繁殖を試みていたのだ。

 会長は供述の中で悪びれもせずにこう言った。

『ヨミクラゲは人類が誕生する遥か以前から存在し、その頃は名前さえ付けられていなかった。ヨミクラゲは誰の物でもなく且つ誰の物でもある。ヨミクラゲが在り、人間が在る以上、利用し合い、利用され合い続ける。何人なんびともこの摂理に干渉する事は出来ない』

 世間は、盗人猛々しい、理屈と膏薬は何処へでも付く、引かれ者の小唄、と揶揄した。〔ヨミクラゲンキ〕の末端会員もその論調に組し、一人として会長達を擁護する者は居なかった。〔ヨミクラゲンキ〕の牙城は完全に崩れ去ったのだ。


              ◇


「それにしても誰が告発したのかな……」

 僕の呟きに、ミナオは仏頂面のまま言った。

「どんな組織にもああいう俗物って居るのよね」

 逮捕のきっかけは、警察に寄せられた匿名の告発だった。その内容は五人の氏名の他、集合場所や集合日時に至るまで克明に伝えるもので、告発者が同会の事情にかなり通じた人間である事は明らかだった。

「偉そうに講釈を垂れて、人の真っ直ぐな思いをもてあそんで、密かに悦に入ってるような奴だったのよ」

 ミナオの口調はまるで会長あいつが乗り移ったようだったが、その悪態の矛先は会長あいつなのだから何とも皮肉な話だ。

 いつだったか、真夜中に突然、僕のアパートにやって来たミナオは、身体を震わせながら僕に縋って泣き崩れた。何があったのかを訊いても答えようとしなかった。僕は朝までミナオを抱き締め続けた。

 何はともあれ、あれからミナオと過ごす時間が格段に増えた。ミナオがやっと僕のもとへ還って来てくれた事に、僕は胸を撫で下ろしている。やっと昔の二人に戻れる。

「決めた!」

「……何を?」

「私が会長をやる!」

「えっ」

「新生〔ヨミクラゲンキ〕の誕生よっ!」


              7


 うま年10月3日、海神大学水産学部を中心とした部局横断的研究グループが、ヨミクラゲは知性を有する可能性があるとの見解を発表。

 同年12月31日、ヨミクラゲを動物愛護法における永久保護対象生物に緊急指定。


              ◇


 僕は今、遠くに潮騒を聴き、近くに灼けた陽光を感じ、心を揺蕩たゆたわせている。あの円く白い奴に呼ばれたような気もする。

 潮の気配が戻って来たら、僕は幾星霜を経てあの海を目指すだろう。

 巡り来る夏が待ち遠しい。

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