第2話 告白というイベントにおける主導権について。
「えっ、あなた誰ですか?」
俺は見知らぬ美少女に見とれながらも、一歩下がった。
本当はぼうっと見とれてしまうくらいの美少女だった。
だけれど、俺は彼女のことを知らないのだ。
俺は知らないのに、彼女は俺を知っている。
それは警戒するに値する状況だった。
たとえ相手がどんなに魅力的な容姿をしていたとしても。
幼いころの記憶がそうさせるのだ。
大人からどんなにいい子と言われていても、俺の人生をどん底に落とした存在がいたから。
だけれど、その経験を生かして俺の人生はうまくいっていると思う。
人生無駄なことなんてない。
ちょっと努力すれば勉強なんて簡単だ。
テストでいい点数をとれば教師たちは多少のことは多めに見てくれる。
そして、普段からルールを重んじるふりをすればみんな簡単に信じるだろう。
俺が善良な人間で間違ったことなどしないと。
勝手に思い込んでくれる。
たとえ、目の前で俺が法に触れるようなことをしたとしても誰もそれを見ても現実だと認めないだろう。
俺は笑顔のまま、じりじりと少しずつ後ろに下がる。
気づかれないように。
いざとなったら、ダッシュで逃げられるように。
だけれど、目の前の美少女の反応は想像していたものとは違った。
「えっ……うそ? 私のこと忘れちゃったの?」
そういうと、小さな女の子のように大粒の涙をぽろぽろとこぼして泣き出したのだ。
想像もしていなかった事態に俺は驚きどうすればいいか分からなくなる。
だって、高校生にもなって人前で子供みたいに泣くやつなんて普通いない。
確かに、泣く女はいくらでもいる。
だけれど、あれは人前で泣いていることをアピールするための泣き方で常に周りの視線を意識して涙だけをそっと頬につたわせる。
見せるための泣き方だ。
なのに目の前の女は小学生の女の子のように泣いた。
「……ごめん」
俺はなんだか分からない状況のなかでとりあえず謝った。
気まずさもあったし、習慣的な処世術の一つだった。
おっさんの中には謝ったら負けだと思っているような人間がたくさんいる。
政治家から駅で人にぶつかって舌打ちをするようなやつまで。
だけれど、謝るというのはいったん自分に非があることを認めることによってそこからの関係性をフラットにする効果があるのだ。
仕切りなおすことによって、フェアに話し合いを始めることができる。
場合によってはこちらが会話の主導権を握ることも可能になる。
謝った方がうまくいくことも多いのだ。
そして、それは目の前の状況にも適用された。
目の前の美少女から発せられるチクチクとした非難めいた空気が和らぎ、寂しくてどこか懐かしいような空気が漂った。
あれっこれって……?
一瞬、何かを思い出しそうになるがそれは美少女の言葉によってかき消される。
「もう……しょうがないな。忘れっぽいんだから。忘れちゃったならこれからたくさん思い出をつくっていこうね」
そういって左手の小指を差し出した。
細くてすらりと伸びた白い指。
爪はほんのりと桜の色に染まっていた。
『ゆびきりげんまん、うそついたら、はりせんぼんのーます。ゆびきった』
ふと、子供のころから何度も繰り返されてきたそんな歌が耳の中に響く。
嫌な汗がじわりと首筋から染み出すのが分かった。
だめだ。
俺の秘密を知られてはいけない。
だけれど、ここで彼女を拒絶するのも得策でないと感じた。
俺は仕方なく握手をするように右手を差し出した。
握手を求めるように。
決して視線はそらさないでまっすぐと、誠実に目の前の美少女に向き合った。
イメージとしてはそう、少年漫画で主人公が最強の敵に立ち向かうのにライバルと手を組むことになったときのまっすぐで誰も裏切らない人間……。
目の前の女は一瞬ためらう。
でも、大丈夫だ。
自分から指切りをしようとしてくるくらいなのだから。
俺の手に触れることに抵抗があるわけではないはずだ。
俺はもう一度、彼女を見つめて頷く。
『大丈夫、怖くないよ』
そう小さな動物に話しかけるような気持ちで見つめる。
彼女が安心して、手を伸ばした瞬間。
俺は手をひっこめた。
「ごめん、急に手に触るなんて怖いよね」
そういって、慌てて自分の手をズボンで拭く仕草をして、ポケットのなかに手を突っ込んだ。
これでもう安全だ。
俺が彼女を拒んだのではなく、求めていた彼女が俺を拒んだのだ。
「違うのっ、そうじゃなくて」
彼女は弁明しようと慌てるけれど、言葉が続かない。
そりゃあ、そうだろう。
誰もこんな事態は想定できない。
告白という、フラれても成功しても完全に自分が主体で世界が進んでいくことを前提となるイベントで気が付くと相手に主導権をすべて奪われているなんて。
告白をする側はいつだって自分が人生の主役のつもりなのだ。
フラれれば悲劇のヒロインだし。
成功すればそこからラブロマンスの主人公だ。
あほらしい。
そんな茶番に付き合わされるのはごめんだった。
正直、俺はそこそこモテる。
だから、いちいちそんな茶番に付き合わされるのなんてうんざりなのだ。
ちょっとからかっただけ。
告白という他人のつまらない人生のイベントに付き合わされないように、フラグをへし折っただけなのだ。
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