第40話 剣聖

 クライン侯爵家の嫡男、ユーリは帝国との国境にある要塞で眠れない日々を過ごしていた。司令室に一人閉じ籠り、部下から報告される帝国軍の様子に頭を抱えていた。


「クソッ! なんでこんなことに……!!」


 脳裏に浮かぶのは紛争が始まったあの日のことだ。




 雲一つない空の下、両国の兵はお互いを牽制するために野外で演習を行なっていた。これは別に珍しいことではない。兵刃を交える。とまではいかないものの、「いつでも戦える」という姿勢を見せることは当然であった。


 しかし、いままでと違っていたのはこの演習にユーリが加わったことだ。


 王国で唯一【剣聖】のジョブを持つ男、ユーリ。


 クライン侯爵軍を率いた彼が要塞に来てからというもの、兵士達の熱狂は凄まじかった。


 新進気鋭の剣聖が現れたのだ。その一挙手一投足が注目され、剣を軽く振っただけでも歓声があがった。そして、ユーリはそれに気分を良くして舞い上がった。


 演習でユーリが放ったスキル【飛刃】。


 帝国軍の演習地にまで到達した飛ぶ斬撃は数名の兵士の命を奪ってしまった。そして、一瞬で雰囲気が変わる。


 ほのぼの。とまでは言わないが、どこか緩んでいた国境の空気が一転してひりついた。


 あっという間に陣形を整えた帝国軍が国境に向けて進軍を始めた。まるで、この時を待っていたかのように……。


 帝国軍の動きに呼応し、国王軍とクライン侯爵軍は殺気立つ。そして、兵士達は皆、ユーリに注目した。


 国境の要塞で一番地位が高いのは侯爵軍の大将であるユーリであった。しかし、彼には実戦の経験はない。巧みな用兵など期待出来ない。


 その事はユーリも理解していた。だから、彼は宣ったのだ。


「俺が一人で帝国軍を止める!」


 ユーリの言葉は王国兵を熱狂の渦に巻き込んだ。


 【剣聖】の力は絶大である。この世界の人であれば誰もが知っている。その力が目の前で見れるのだ。



 両軍が国境を挟み、綺麗な横陣を敷いた。


 王国側から一人の男が歩み出てくる。もちろんユーリだ。


 最近手に入れた魔鉄製の剣を腰に据え、自信に溢れた表情で国境へと進む。


 それに呼応するように帝国からも一人、トボドボと歩いてくる。黒くボロボロのローブを羽織り、フードで顔は見えない。


 丸まった背中から老人を思わせるが、杖を握る手は白くきめ細やかだ。


 ユーリとローブの兵が10メルの距離で対峙した。


 ユーリは剣を抜き、正眼に構える。


 ローブの兵はゆるり、杖を前に出した。


「帝国兵ども! 俺はクライン侯爵家嫡男、【剣聖】ユーリだ!! 何を思って兵を向けてきたかは知らないが、これ以上進むことは許さん」


 よく通る声だった。


 王国側は大歓声を上げ、帝国側は怒声を上げた。


「はぁ……」


 ローブの兵はため息をつく。その様子にユーリは剣を強く握った。


「あなたが先に手を出したんでしょ? 全く……愚かな剣聖さん」


 若い女の声だ。


「俺を侮辱するのか! 許さん……!!」


 ユーリの持つ剣が青白く輝き、剣身が伸びる。洗練された動きで、剣が振り上げられ──。


【飛刃!!】

【小結界】


 キンと高い音がして、飛ぶ斬撃はローブの兵の前で消滅した。


「なっ……!?」


「剣聖さん。何かしました?」


 ローブの兵は惚けてみせる。


「まだまだぁっ!!」


 ダンッ! と踏み込み、ユーリの剣がローブの兵に迫るが──。


 また甲高い音と共に防がれる。ローブの兵は透明なドームに覆われ、どんな鋭い刃もその身に触れることは叶わない。


「あなた、本当に剣聖なの? 私の【小結界】を破れないなんて……」


「ふっ、巫山戯るなぁぁ!!」


 激昂したユーリが我武者羅に剣を払うも、その全てが結界に阻まれる。王国側の歓声は消え、帝国側に嘲笑が響く。


 ──キイイィィン!!


 型もなく、ただ力だけ込めて振り下ろされた剣は根本から折れた。中空で幾度か回転し、重量に引かれて地面に突き刺さる。


「剣を失った剣聖さん。どうやって戦うの?」


「……」


 ユーリは言葉を発することが出来ない。茫然と立ち尽くすだけだ。


 慌てた侯爵軍の老兵が騎馬を走らせ、惚けたように折れた剣を見つめたままのユーリを回収する。


 ユーリは背中に罵声を浴びながら、国境の要塞へと逃げ帰ることとなった。

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