『ラブコメ痴漢おじさん』は恋のキューピッド

ああああ/茂樹 修

第1話

 ラブコメ痴漢おじさん――それはラブコメ作品の一話目に登場し、ヒロインに痴漢を働いたところ主人公に取り押さえられ、「違っ、私はそんな事はしていない!」と言い残して逃げ去るおじさんの事である。


 そこから主人公とヒロインの関係が動き出し、さぁ青い春の幕を開けよう……なんてくっさいモノローグを始めるための踏み台。


 つまりラブコメ痴漢おじさんの正体は――恋のキューピッドであった!







「はぁ……」


 私ことキューピッド課ラブコメ係平社員のアリエルは、朝の電車に揺られながらため息をついた。日頃の遅刻と欠席と早退とパチスロ屋への直行直帰とサボりが祟って、ついに私は『ラブコメ痴漢おじさん』の担当者になってしまったのだ。


 美しく長く伸びた金髪は姿を消し、今は冴えない白髪の七三。かつて地上の男達がこぞって貢物を寄越した美貌は見る影もなく、至って普通の眼鏡のおじさん顔。背は無駄に伸び豊満な胸は汚い毛が数本伸びた汚い乳首に成り下がり、股間には見るもおぞましい逸物がぶら下がっている。


 仕事中は天使としての姿を奪われ、冴えないおじさんに変身しなければならない最悪の仕事……それが『ラブコメ痴漢おじさん』の辛い所である。あまりに苛酷すぎて過去の経験者は全員退職――つまり私は『追い出し部屋』に追いやられてしまったのだ。 


 だが、私はめげない。有江隆一郎五十三歳バツ一子持ち親権なしに成り下がったとしても、私はこの仕事を辞めるわけにはいかない。


 だって、日曜に競馬があるから!


 と、ここで私のスマホが静かに震える。上司からのメールには、今回の仕事の概要が簡潔に書かれていた。


件名:三次元に恋するわけない! ~天才ラノベ作家の俺が、隠れオタクの委員長のコスプレごときにときめくはずないだろ! いい加減にしろ!~


 いい加減にしろ、はこっちのセリフだ。というか件名じゃなくてタイトルじゃんこれ、もう作品名だろ天才ラノベ作家さんなんとかしてくださいよ。


主人公:桜井マサキ。クラスでは冴えない陰キャで通っているが、実は大人気ラノベ作家で『アルタースケイラー』の作者。アニメ化もして夏にはオリジナル映画も控えている。口癖は『俺が三次元に恋するなんてあり得ないだろ?』だ。


 はい来ましたよ天才ラノベ作家さんが。何で私が自分より金持ってるやつの恋のために頑張らないといけないのかと天にツバを吐きたくなる。恋すんなよ初志貫徹しろよ一生二次元に籠もってくれよ、と。


ヒロイン:日向道みちる。桜井と同じクラスの委員長。品行方正で物怖じしない性格で、いつもだらしない桜井によく突っかかっている。実はコスプレが趣味の隠れオタクで『アルタースケイラー』の大ファン。本人たちも知らないが、桜井が最初にネットに投稿した小説に初めて感想をつけたMICHIRUその人。


 ――あのさ、ラブコメ痴漢おじさんいらなくない? 


 もうこの二人を喫茶店にでも呼び出してさ、このメール見せれば良いじゃん。ほらあんたら相思相愛なんだから、そこのホテルでコスプレして致してこいでいいじゃん。もうゴールインまでRTA出来るじゃん、おじさんアシスト不要じゃん。


 が、もう一件のメールが送られて思考が遮られてしまった。件名は今度はまともで、キューピッド業務についての注意が書かれていた。ありきたりな文句の中で、一際気になったのは。


『ラブコメ痴漢おじさんは、主人公とヒロインの心の声を聞ける』


 なにそれ聞いてないんですけど。


 試しに窓際で佇む主人公に意識を集中させてみると――。


『俺の名前は桜井マサキ。どこにでもいる平凡な高校二年生……と言えたらどれほど幸せだったろうか。中三の時に気まぐれで投稿したWEB小説『アルタースケイラー』がヒットしてしまい、今や売れっ子作』


 ゴミみたいなモノローグ始まってた。何その自虐風自慢の語り口、そんなんだから陰キャなんだよクラスメイトはお前の陰湿な本性見抜いてんだよ金持ってんなら使うぐらいの甲斐性見せろよこの売れっ子が。


 次にヒロインの心の声を――。


『ガラスの反射越しにマサキの姿が見える。今日も眠そうな顔をして、はねた寝癖は直そうという気概が感じられない。本当は今すぐ駆け寄って『全く、そんな格好で登校してくるなんて我が校の恥よ、恥』なんて言いたいが、それも出来ない』


 いややれよ!


 私道開けてあげるからさ、いますぐ主人公の所にいてラブコメ初めて来いよ! それでこう他のクラスメイトに『あれぇ、一緒に登校じゃんヒュー』とか茶化されてその気になっちゃえよ! 趣味一緒なんだよお前らは!


 いや本当、痴漢おじさんいらないだろ……なんて一人頷いていると、上司から本文のないメールが届いた。


 件名すらたったの四文字――『作戦開始』だ。




 えー。


 そのですね、痴漢ですけどやったことないんですよね、私。まぁ天使とはいえ女だったし、いや男でもやったことあったら不味いけど、つまりやり方がね、よくわかんないんだよね。


 とりあえずスカートの中に手を突っ込んで、と。


 あ、右腕押さえられた。


「こ……このひと痴漢です!」


 顔を真赤にして、声を張り上げるヒロイン。えっ、違っ、話違くないですか? 電車内がざわつき初め、白い目が一斉に向けられる。


 違う、やったけども! 私が痴漢だけども!


 想定外の事態にパニックになっていると、次の駅についたのか電車のドアが開かれる。そのまま私は脱兎のごとく逃げ出すと、上司からの呼び出し音がスマホから響いた。


「か、係長! 話が違」

『あのさぁアリエルちゃん……真面目な委員長相手に本当に痴漢したらああなるに決まってるじゃん』


 上司のローテンション系メスガキの声が聞こえてくる。


「いやでも係長!?」

『まぁ今回はさ、アリエルちゃんの給料使って時間戻してあげるから。次はうまくやってね、ばいばーい』


 え、給料、誰の、私の?


 手取り十三万からさらに引くの――






「はっ」


 気がつくと私は電車の中に戻っていた。目の前にヒロイン、右斜め後ろに主人公という布陣は変わっていない。そこで私は改めて思い直す。


 え、ラブコメ痴漢おじさんって痴漢したらだめなの?


 何その名折れ、何その名は体を表さない。つまりどうすれば良いのかと思っている所、また上司からメールが来た。


『ちゃんとヒロインに合った痴漢をすること。追伸、経費五万かかりました』


 来月の収入八万しかないっ、じゃなくてヒロインに合った痴漢ってなんだよっ。


 とりあえずヒロインの心の声を改めて聞いてみるとして。


『ガラスの反射越しにマサ』


 早送り早送り。


『それにしてもこの後ろのおじさん、鼻息が少し荒いような』


 誰のせいだと思ってんだよ!


『そうだこの人、同じ町内会の有江さんだ。ギャンブルにお金を使いすぎて、奥さんが娘さんを連れて田舎に帰ったって聞いたことある』


 同じ穴の狢かよ!


『ちょっと不憫な気もするけど……私の事を見ているのは、娘さんを思い出しているとかなのかな』


 そんなわけないだろ!


 いや待て、知り合い? このおっさんが誰なのかは興味無かったが、それでも知り合いというなら話は早い。これならさっさと事情を説明してそれでクリアでいいじゃないか。


 なんだあのメスガキ上司、こんな簡単な仕事させやがって。さあて声かけるか。


「や、やぁ……みちるちゃん、久しぶりだね」


 うっわ声キッモ。


「いっ」

「おっ、大きくなったねみちるちゃん……おじさんのこと、覚えて」

「いやあああああストーーーーーーカーーーーーーー!」


 えっ。一斉に白い目が私を見れば、再び視界が歪んだ。


 ちょっとまて、これでやり直したら。来月の私の給料、たったの三万――。





「はぁ、はぁ、はぁ……」


 ヒロインの背後で大きく肩で息をする私は、さぞ変態に見えている事だろう。だがいい、それでいいんだ。今の私は『ラブコメ痴漢おじさん』なのだから。


「ふぅー……」


 細く息を吐いて、心臓の鼓動を落ち着かせる。


 まず、本当に痴漢はしてはいけない。そして会話もNGとなれば、私に出来ることは。


 痴漢しているフリだけだ。


 まず冷静にヒロインの心を読む。


『ガラ』


 もう気にするのはやめよう。


 次に私はギリギリのところまでヒロインの尻の近くに手を当て、ミリ単位で浮かせる。うお、これ結構指つりそうになるぞ。


 そして上下に、動かす。どうだ、どうだ見ろよ主人公。お前のヒロインが今私に痴漢されているぞ! さぁどうだ、心の声は――。


『俺の名前は桜井マサキ。どこにでもいる平凡な高校二年生……と言えたらどれほど幸せだったろうか。中三の時に気まぐれで投稿したWEB小説『アルタースケイラー』がヒットしてしまい、今や売れっ子作だ。出版社に行けば頭を下げられ、打ち合わせは毎回高級焼肉店だ。コミカライズの漫画家にも感謝をされ、アニメ化の時はアフレコに連れて行ってもらい憧れの声優さんに握手だって出来た。貯金額は幸か不幸か、もう親のそれを超えて……。だけど俺は、そんな事どうだっていいんだ。あの時俺に『面白いです、続きが読みたい』と言ってくれたMICHIRUさんが喜んでくれたら、それで。あの人は今どこで、何をしてるんだろうな……』


 お前の目の前で私に痴漢されてるよ! ていうか長いよゴミみたいなモノローグ、売れっ子ラノベ作家って嘘だろもっと簡潔にまとめろよ! ほら、ほーら気づけ! あぁああああゆびつりそううううううう。


『ふと入口の前に立つ、クラスメイトの姿が映った』


 お、いいぞ近づいてるよ。


『こいつの名前は日向道みちる。奇しくもあのMICHIRUさんと同じ名前だが……その性格は似ても似つかない』


 作家なら気づけよ、それは見えてる前フリだよ!


『口うるさくて、世話焼きで、それから俺にだけ偉そうで……どんな展開でも楽しんでくれた聖母のようなMICHIRUさんとは大違いだ。あれ、けど彼女はもしかして』


 そうだよそうだよ気づいてよ痴漢だよ痴漢はよ助けに来いよ私の指がおかしくなる前に。


『あの鞄についているキーホルダー……アルタースケイラーのマスコット、シーヴァ犬だ』


 そっちじゃねぇ! もっと下、下だよほら! ほら手、グーチョキパーしてやるから! 気づけ、きーづーけ!


『おかしいな、あのシーヴァ犬のマスコットはBD全巻セットのランダム封入特典だから滅多に手に入るものじゃないはず……』


 やってんねぇ、アコギな商売してんねぇ!


『まさか日向道がアルタースケイラーのファンだって? いやそれはないだろ、なにせあの日向道だぞ? 品行方正文武両道、真面目を地で行くようなあの美少女が、髪は黒で背中まで伸びて、身長は158センチぐらいか? 胸は平均より大きくて、紺のニットのベストの制服も似合っている彼女が』


 あーいいから、ヒロインの外見的な説明しなくていいから! ていうかなんで慎重把握してるの怖いよ、どう考えてもこいつの方がストーカーだろ!


『ちなみに俺は身長170センチで、顔はまぁ普通の範疇だろう。日向道に怒られるボサボサの黒髪には今日も癖毛が』


 いいっ、後でいい! お前の外見的な特徴は後回しにしてくれ、早くほら痴漢が痴漢が。


『いや、待て。日向道の様子何かおかしくないか?』


 いいよ気づいたよそこだよほら今チョキからパーにしたよどうみても痴漢だろほらもう指がおかしな方向に曲がって。


『まさか、昨日の動画サイトでやった『アルタースケイラー一挙放送』を見てたんじゃ』

「どうでもいいんだよアルタースケイラーは!」


 あ、まずい。私気がついていたら叫んでしまっていた。ちょっとまってまたやり直し? そして私の来月の給料マイナス二万? やばいやばいそれは無理だってどう考えてもあり得ないってそれやったら本格的に生きていけないもう死ぬしか無いじゃん天使だけど死ねないのに。


「あ、アルタースケイラーは名作ですっ!


 と、ここでヒロインが叫びだした。あそういえばファンだったもんね君。


「私、昨日の一挙放送も全部見ましたし、BDだって多々買いました。映画だってもう前売り券五枚も買ったし、それに」


 資本主義に屈服してる!


「私が……MICHIRUが最初にあの作品を、面白いって言ったんですから!」

「えっ」


 その告白を、さすがの鈍感主人公も聞き逃さなかった。そして私を押しのけて、ヒロインへと駆け寄って。


「日向道が、MICHIRUさんだったのか……!?」

「さ、桜井!? なんであんたが同じ電車に」


 いやそこは気づいてただろ最初から。下手か、ごまかすの下手くそか。


「いや、それはその」

『どうする、ここで俺の正体を明かすか? 俺が実はペンネームシャイニングブロッサムだと明かすか?』


 ペンネームクソださっ。


『いや違う、そんな事を説明しても信じてくれないだろう。それに俺は彼女に……MICHIRUさんを驚かせたいわけじゃないんだ。ずっと聞きたかったんだ、確かめたかったんだ。なぁ、あなたは、今も』

「アルタースケイラー……好きなのか?」

「そ、そんなの桜井に関係ないでしょ!?」


 一世一代の主人公のセリフに、顔を真赤にして答えるヒロイン。そのまま電車のドアが開けば、二人は駅のホームへと降りて。


 ポケットの中のスマホが震える。開ければそこには件名だけで――『作戦終了』か。




 やっぱりラブコメ痴漢おじさん、必要なかったわ。

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