第105話 異言

 ──同時刻、長崎県南島原市・原城址。

 島原の乱の主舞台であるその城跡に、令和四年、一揆軍の首魁・天草四郎こと天音が、再び足を踏み入れた。


「……やあ、ホネカミ地蔵さん。あなたのおかげで、この地へ来ても古傷の疼きがやわらいでるよ。ありがとう」


 弱々しい足取りで本丸を目指す天音を出迎えたのは、島原の乱の戦死者を悼むために建立された地蔵尊、ホネカミ地蔵。

 明治時代初期、原城址を耕作する際にあまりにも人骨が出土したために祀られた。

 その人骨の中に、天音の骨も人知れず紛れている。

 仏教由来の地蔵が、キリシタンの遺骨の霊を鎮める。

 これもまた、長崎の地が有する宗教の自由の一つ──。


「……あなたもアニメ化されたんだって? お互い後世まで大変だね、ハハッ」


 平成二十七年、九州朝日放送KBC制作のアニメ「暗闇三太」にて、ホネカミ地蔵がピックアップされた。

 天音は妖術画から蘇ったのち、自身……天草四郎が膨大な量の創作物でモチーフにされていることを知り、たまらず苦笑したことを思い出す。

 その足取りは、城跡北側から緩い傾斜を上り、池尻門跡をくぐって、天草四郎時貞の墓碑へ──。

 質素な石と石柱が縦に重なる墓石が、天音の永眠の場。


「……永い間、空席にして悪かったね。後世のみんなが用意してくれたここに、これから眠らせてもらうよ」


 島原の乱が画策された小島、湯島を挟んで、熊本県上天草市を見渡せる断崖そば。

 傍らには胸元で両手を合わせた、天草四郎の彫像が立つ。


「桃太郎みたいって、よく言われてるらしいね……この像。北村西望きたむらせいぼうの作……かぁ」


 北村西望、南島原市出身の彫刻家。

 長崎市の平和公園に鎮座する、平和な世を指し示す青銅の巨大な男性像、平和祈念像の作者で知られる。


「師匠さんが言ったとおり、長崎でキリシタン史を追えば、必ず戦争、そして原爆と歴史が絡まる。戦時中、口之津には潜水艦もよくいたんだっけ……」


 原城址西南の口之津港には太平洋戦争時、沿岸を防衛する陸軍の組織「暁部隊」の陣地が敷かれ、南方の戦線と行き来する特殊潜航艇まるゆの停泊地があった。

 そこから西の海岸沿いに、橘湾の防衛を担う海軍の沿岸砲台群と、特攻艇震洋の基地が長崎市へと続く。

 また、島原の乱が遠因となって、島原半島と天草諸島から海外へと売られた、「おサキさん」をはじめとする「からゆきさん」も多くおり、天音の自省は尽きない。


「……申し訳ありません。ボクの力足らずで、後世に多くの涙を降らせてしまいました……。ほんの少しですが、この令和の日本で、お役に立てたと思います」


 さらに天音は、己の記憶をたどるように城跡を歩く。

 本丸そば、山田右衛門作が天音の首を刎ねた場所。

 かつて天音の首が転がった辺りで、天音の足先がツーンと痺れた。


「ハハッ……。やっぱりまだ、ここらは場が悪いや。そう言えば右衛門作さん、ここで宮本武蔵と対峙したんだっけ。かの剣豪、宮本武蔵が島原の乱に馳せ参じていたのを知ったのは、令和に蘇ってからだけど……。リムの世界の武士もののふが、武蔵を斃したのには感服するよ」


 下僕獣が一体、剣獣・武蔵を、長崎の地の女神から助力を得ながら打ち破った、現戦姫團團長のフィルル。

 天音は女神大橋上の対阿鼻亀戦を思い出しながら、剣豪武蔵の複製体を、リムたちの世界の女傑が葬ったことに、あらためて感嘆。

 そして自身が首魁を担った島原の乱が、この世界の歴史のみならず、異世界の歴史とも交わっていたことを再認識──。


「……リム。きみの世界では、一揆、宗教戦争、世界大戦……。あらゆる戦が、起こらないよう願うよ。願い続けるよ。この地……からね」


 天音の姿が、夕日を浴びながら次第に薄れていく。

 原城跡の本丸周辺が夕焼けに包まれ、島原の乱最後の日のように赤く染まる。

 業火と血しぶきの赤の中で息絶える、一揆軍の老若男女。

 天音はそれらをまざまざと思い浮かべながら、姿を消していく。


「……待たせたね、みんな。そして右衛門作さん。この世界は……そして姉妹世界は、みんなが願った自由な世界へと進んだよ。少なくとも、いまは……」


 天音の姿が、ほぼほぼ落日に溶ける。

 ざんのように、その思念が宙を舞う────。


「……神はいる。神の声は確かにる。けれど……ボクたちはそれを、聞いちゃいけないんだ。神は、人の過ちの最果てで、声をかけてくる。あたかも審判の喇叭ラッパのように……」


 ──審判の喇叭ラッパ

 新約聖書に綴られた「ヨハネの黙示録」における、終末の音色。

 タロットカードの大アルカナ「審判ジャッジメント」の図柄においても、天使が吹いている。

 かつて異世界で蟲の軍勢を率いた個体、女帝エンプレス

 それへのとどめを刺すために、ラネットが発した破滅的な響きの叫び。

 くしくも愛里は、それを「審判の喇叭」と称していた──。


「だから、ボクらは……。その声を聞かなくてすむ、世界を……育まなきゃ……いけ……ない…………」


 天音の姿が、思念が、この世界の夕日に、城跡に、融して消えた。

 いまは西暦二〇二二年──。

 一六三八年勃発の島原の乱、完全決着。

 天音……天草四郎時貞の魂は、いにしえに用意されていた墓碑へと眠る。

 しかし一揆軍総大将としてではなく、ただ一人の少女・天音としての魂、想いは、ほんのわずかに、いまリムが胸に抱くスケッチブックへと託されていた。


 やがて有明海へ夜のとばりが下り、海面が緩やかに凪いだ────。









 とんこつTRINITYトリニティ REVERSEリバース!! -完-








  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る