第五回 できるなら、恋を選ばせて

テーマ『禁断の果実の共通認識』


 願っても頑張っても叶わない夢だから諦めたのに、俺を否定した現実が夢を連れてやってきたのだ。

 「おはよう、ホマレ」

 「…………おはよう」

 どうやって母さんを説得させたのか、すっかり俺の家にとけこんだライアンが俺へと言った。今日もライアンは王子様みたいな服をかっちり着込み、ショートヘアーより長くてセミロングより短い髪で、額辺りの左側の髪をきれいに編み込んだ、いつも通りの完璧な姿で優雅にお茶を飲んでいる。美人は絵になるなぁ……。

 「朝食はどうするかい? ホマレの母君は外出してしまったけど、ある程度のものは冷蔵庫に入っているよ」

 そして当然のように立ち上がったライアンは冷蔵庫へ向かい、リンゴやカット済みのパイナップルやバナナ一本、俺が毎日食べているプレーンヨーグルト、バターとイチゴジャムを取り出し全部ダイニングテーブルに並べ、最後に食パン、そして俺はあんまり好きじゃないドライフルーツ盛り合わせを持ってきた。ドライフルーツはオーソドックスなパイナップルやいちご、リンゴにレモン、そして健康にいいからと母親が最近ハマっているいちじくが盛りだくさんにあった。

 「食パンはオーブントースターで軽く焼くかい? バターは先に塗る? ジャムも先に塗るのかい?」

 手際よく皿を食器棚から出したライアンは、バターナイフとジャム用スプーンを手に取り俺へと尋ねてきた。出会った頃は食パンの名前すら知らなかった世間知らずのこの娘は、俺の家で生活し始めてすっかりこの現代社会の知識を吸収していった。オーブントースターを使いこなしているし、バターにはバター用のカトラリーがあることも理解している。

 「さすがにそれは自分でやるから。ライアンは座ってていいよ」

 小間使いのようにライアンを使うのは普通に気が引ける。今にもバターを塗りそうなライアンを静止させ、俺は食パンをオーブントースターへ放り込んだ。ちなみに俺は全部焼いてから塗る派だ。俺の好みをライアンがまだ把握してなくて助かった。ここまで知られたらそのうち食事まで作りそうだし、それはちょっと嫌だ。王子様はそうやってお姫様に尽くすものじゃないんだから。

 「なら紅茶をホマレのために淹れよう。ホマレは甘めが好きだったよね」

 「……あれっ、俺紅茶は甘めとかライアンに話したことあるっけ」

 たしかライアンといるときはペットボトルのお茶ばっか飲んでた気がするんだが。あとはジュース。母親が飲んでるときも他人の分を淹れるような人間じゃないから、ライアンは知らないはずでは?

 「もちろん。あるとも」

 今度は俺が首を傾げていると、ライアンは嬉しそうにはにかんでそう言った。あまりにも自信を持ってライアンが言うものだから、俺が忘れているだけで言ったのかなと思った。思い当たる節がまったくないが、ここまで強く断言されると否定もしづらい。きっとそうなのかと自分を納得させて、俺はヨーグルトを食べながらライアンが優雅に紅茶を淹れる様子を見ていた。

 ちょうどライアンが俺の分の紅茶の準備が終わったときに電子音が鳴り、オーブントースターがパンが焼けたことを知らせた。オーブントースターから食パンを取り出し、ダイニングテーブルに置いてからすぐにバターとジャムを塗りだす。これでもかとバターとジャムを塗って、ようやく朝食の食パンが完成した。朝の食パンはこうでないと。食パンを一口かじれば、口の中いっぱいにジャム甘ったるさとバターのほどよい塩気が広がる。うん、美味い美味い。

 「果物も食べるかい?」

 「おーう」

 腹が減っていたこともあり、一心不乱に食パンをむさぼっているとライアンが声をかけてきた。ライアンは迷わずリンゴをつかみ、手早く剥きだした。一方俺は適当に返事をして、また食パンへと意識を戻す。美味い美味い。

 「さぁ、うさちゃんリンゴをどうぞ」

 もう少しで食パンを食べ終わるという頃に、ライアンがリンゴを剥き終わった。白い皿に置かれているリンゴは、ライアンの言う通りうさちゃんリンゴの形に切られていた。お前はいつの間にお前はうさちゃんリンゴという概念を知り、カット技術を習得したんだ。しかも完璧。まー、元々家事スキルは高かったしな、なんてことを考えながらリンゴを食べようとして、俺はふとずっと気になっていたことをライアンに聞くことにした。

 「あのさぁ、一つ聞いていい?」

 ライアンが淹れてくれた紅茶を一口飲む。ほどよく温かく、こってりと甘い紅茶はとても飲みやすかった。俺の好みをよく知っている味だ。

 「一つどころか、いくらでも」

 気前がいいが、一つでいい。

 「なんでそんな俺のこと好きなの?」

 俺たちは昔会ったことがあるのかとか、ライアンはどこから来たのとか、ライアンの家族はどうしてるのとか聞きたいことは本当はたくさんあるけど、やっぱり一番気になることはこれだった。ライアンが俺を好きな理由がわからない限り、俺はライアンとちゃんと向き合えない気がしたからだ。プロポーズだってなんだって、断るにしてもちゃんと理由をつけて断りたいんだ。初対面だから嫌では済ませないほど、俺たちは関わっている。

 ライアンの返事を待っていると、彼女は予想外の答えを言った。

 「それはね、わたしにとってホマレはずっと探していた、わたしだけのプリンセスなんだ」

 だから愛してる、とライアンは笑って言った。ライアンの笑顔は、きっと今世界で一番幸せなんだろうと思うほど、嬉しそうだった。対して俺はまたお姫様と言ってもらえたことに笑うどころか、困惑してしまった。

 なんだそれ。なんだよ、なんだよ、なんなんだよ。答えになってない。俺がライアンのお姫様だから、ライアンは俺が好き? 俺はお姫様なんかじゃない。お姫様は女の子しかなれないし、お姫様には王子様が必要で、ライアンは王子様じゃない。だって王子様は、男の子しかなれないんだ。だから俺の中で、ライアンの言葉は何一つ成り立たないものだ。全部理解しがたいものだった。

 それでも、ライアンの言葉は今の俺を否定して、子供の頃の俺を救ってくれる優しい言葉ばかりだ。ライアンの言うことすべてに、あの日夢を見ることを諦めた俺が救われている。それこそ王子様のように、ライアンは幼い俺へとお姫様になるための手を差し伸べてくれているんだ。

 俺だってお姫様になりたいよ。諦めても、現実を受け入れても、絶対になれないって理解してても、やっぱり羨ましいんだ。捨てたはずの夢が、俺へと手を差し伸べている。その手をとってもいいのだろうか。俺はあの日憧れたおとぎ話のお姫様のように、二人はいつまでも幸せに暮らしましたとさ、ですべてを終えることができるんだろうか。

 ——できるわけないだろ。

 そんな未来が、俺には想像すらできない。否定は簡単にできるのに、もう俺は夢を見ることすらできなくなっていた。ライアンの言葉が、俺を余計に惨めにさせる。

 「あーあ、バカみてぇ」

 ライアンに聞こえないように小さく呟いて、俺はライアンが向いたリンゴではなく、好きでもないいちじくのドライフルーツを口に運んだ。

 

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