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  • When Ama-Bito Comesへの応援コメント

     子供の世界の話なのに、そこはかとなく不気味で妖しく、得体の知れぬエログロ臭もするようなお話……こういう作品を書ける人がこのカクヨムにいらっしゃるとは驚きです。

     まさにこれは大人が読んで面白い作品と感じました。

     拝読出来たことに感謝申し上げます。

    作者からの返信

    誠にありがとうございます。
    元々随分前(カクヨムが影も形もない古い時代)に書いたもので、今の時代に投稿してどうなんだろうと思いながらでしたが、お読み頂き感謝しております。

  • When Ama-Bito Comesへの応援コメント

    そうざ様、「ジュヴナイルの里」へのご寄稿、有難うございました … って、なんという作品を!児童文学の顔をして一体何を書くんじゃ!?友未は大ウケしてひっくり返りました。これをジュヴナイル小説と呼ぶ人は絶対にいないはずですが、怪作、奇作好きを本能的に引き寄せずにはおかない甘水であることだけは間違いありません。それに、このお話、大人より、何も知らない純真な子供たちに届けたい気がします。きっと、物凄い不条理さにとまどって、文学的トラウマを経験するでしょう。それに勝る読書体験などないかもしれません。
     また、湾多珠巳さまのコメントの素晴らしいこと!この作品のキメラ的不整合をぴたりと言い当てられている気がします。友未もホタルの扱いには未消化な不満は残ります。ですが、この作品の一番偉い所は、完成度よりもっと大切なことがあるぞと開き直っている点かもしれません。巧い書き手が完成度の高いものを書いても当り前で、未完成さを自覚しながら放置しておくことの方が、よほど賞賛に値する行為です!この作品の完成度を高めたら、友未はきっと興ざめします。はい、友未はこの作品の意表を突くアンバランスさが大好きなのです。簡単ですが10月10日ごろUP予定の「ストックブック」でご紹介させて頂きます。

    作者からの返信

    どうもありがとうございます。

    確かに僕としても、大人が読めば「そういう事ね」となるのは想像出来ますが、主人公と同年代が読んだから何を感じるのかと興味が湧きます(絶対、読ませられませんが)。本能的に何かを感じるものなのか。

    先般『君たちはどう生きるか』を観て、勝手にメッセージを受け取りました、「誰にでも解り易い必要はない」「好きにやって良い」とw 同作は「意味が解らないから駄作」と断言する大人が居る一方で、小学生は割と「面白かった」と言い、中高生辺りになると「解んない」と言い出すようで。

    僕自身の未熟さは否めないところですが、全ての意味を体験加工させて腑に落ちさせるような作りは、ミステリー以外のジャンルでは必要ないようにも思うんです。「そういえば以前、夢みたいな妙な話を読んだな」と記憶に残ればOKで、僕も他人様の作品で印象に残るのはそういうタイプだったりします。まあ、蛍は入れなくても良かったんですが……。

  • When Ama-Bito Comesへの応援コメント


    「Y字の太い木」「分かれ目の所に洞」「洞の中にたっぷり甘水」、あ、またこんな話をっ、と冷やかし半分、期待半分で読んでみましたが、わりあいに幻想譚の香りが高くて、予想外の妙味を楽しみました。この味わいが「ちょっと不思議」で済むのは、しかしこの年齢まででしょうね。あと三年ほどもすれば、従兄なり本人なりが事態と向き合わないわけにはいきませんし、そうなるとその先は喜劇なのか修羅場なのか。
    文章の作りとしては、「甘人」の出し方にやや唐突な印象がありました。暗示しているものは明々白々なんで、その意味では話の線に添っているんですが、もしかしたら父親の不義のほのめかしが逆に多すぎるせいなのか、あるいは甘人のシーンが一回きりなのが物足りない(?)のか、前後と今ひとつきれいにつながりきれてない気も。
    暗喩の要素がもういくつか重なっていたら、もっと意味深な感じになって、話の広がりが増したかも、などと思いましたが、逆に短めの分量で、少年の無意識的な戸惑いのみを描いてさらっと終わる方がいいのかな、とも。

    性を知る前の少年の、行き場のないもやもやした感じは、それなりによく出ていると思います。すべてが「旅先の出来事」で終えられるのは、宙ぶらりん感があっていいですね。それはまたある意味、この主人公にとっての救いなのかも知れません。

    作者からの返信

    ありがとうございます。

    こんな話を見付けるのがお得意のご様子、何故なら現在までにPV1ですよ、吃驚するくらい需要がありません。

    たまさか蛍を入れたので、それでもう一暗喩とも思ったのですが(こっちの水は甘いぞ、と)。でも色々な要素を入れると話がブレると思って止めました。

    状況証拠しかない、人生に永遠の謎は付き物というレベルに留めたいと思って、最後の二行は父親の素行への暗喩でもあります。