乙女ゲームのクールビューティーな男装騎士と真の友情エンドを目指します! と、思ったら想定外の展開なのですが

紫陽花

第1話

「アレクサ様! 今日も騎士団の訓練、お疲れ様です!」

「……また君か。私に構うなと言っているだろう」

「タオルと冷たいお水をお持ちしましたのでどうぞ!」

「本当に話を聞かない人だな……」


 アレクサ様は呆れたような顔をしながらも、私が差し出したタオルで汗を拭い、冷えた水で乾いた喉を潤す。

 透明感のある陶器のような肌は、訓練上がりのためにうっすらと赤みを帯び、艶のある黒髪は風になびいて絹糸のように輝いている。


(今日も本当に麗しいわ……)


 色香漂うそのお姿にうっとりしながら、私はアレクサ様とこうして差し入れを受け取ってもらえる仲になれたことを神に感謝した。


(よし、この調子で真の友情エンド目指して頑張るわよ!)


 そう。ここは乙女ゲーム『幸せの迷宮』の世界で、私はそのヒロインである男爵令嬢シュゼットに転生したのだった。そして今、クールビューティーな男装騎士アレクサ様とのハッピー友情エンドを目指して奮闘中なのである。


あなたヒロインの真心で幸せを取り戻す』がキャッチフレーズのこのゲームは、その言葉通り、何らかの不幸を抱えた攻略対象たちをヒロインがその真心で癒して幸せへと導き、最後に結ばれてハッピーエンドを迎えるという王道の乙女ゲームだった。


 アレクサ・リヴィエールは、ゲーム発売後に配信された追加シナリオ『孤高の黒薔薇』の攻略対象だ。その生い立ちも本編の4人の攻略対象キャラクターたちに負けず劣らず不憫なものだった。


 アレクサは幼い頃に母親を亡くし、喪が明けて早々にやって来た後妻──侯爵の長年の愛人だったらしい──に疎まれ、不遇の幼少期を過ごす。やがて彼女は自ら男装し、独力で剣術の練習を始める。侯爵家に見切りをつけ、一人で生きていく決意を固めたのだ。


 そうして彼女が騎士団に見習い騎士として入団してから、ヒロインとの交流が始まる。


 ヒロインはアレクサを幸せにすべく、女性らしい美しいドレスやアクセサリーをたくさん贈り、お茶会や舞踏会に何度も誘った。

 それこそが正しい選択肢であり、美しいアレクサ様を社交界の高嶺の華にすることが、きっと彼女の幸せだと思ったから。

 アレクサは初めは頑なに断っていたけれど、次第にヒロインを受け入れるようになった。


「──あなたを拒むことは無理だと分かりました。これがきっと、運命なのですね」


 そして最後には彼女の整った笑顔と「HAPPY END」の8文字が入ったスチルを手に入れることができたのだった。


 ……でも、私は思い通りだったはずのその結末に、なぜだか満足できなかった。

 シナリオ上ではハッピーエンド扱いだったけれど、本当にそうなのだろうか?

 女性らしさを取り戻すことが、本当にアレクサの幸せだったのだろうか?

 アレクサが求めていたのは、男装をしたありのままの彼女を認め、騎士の道を進もうとする彼女を応援することだったのではないか?


 そう考えると、スチルで浮かべていた彼女の笑顔は美しかったけれど、氷のように冷え切っていたようにも思えた。


 私はもっと彼女に寄り添うべきだったのでは?

 ありのままでいいのだと伝えられていたら、もっと柔らかな笑顔を向けてもらえていただろうか。

 

 そんなことばかり悶々と考えていた前世の私は、ある日、会社からの帰り道に自動車事故に巻き込まれ……そして今に至るというわけだ。


 この世界に転生したことに気づいたときは、驚いたのと同時に嬉しくもあった。

 アレクサのシナリオのことが本当に心残りだったのだ。




「明日はレモンの蜂蜜漬けを差し入れしますね」


 そう言って、私は目の前のアレクサ様に微笑みかける。

 前世では高校時代、強豪剣道部の有能マネージャーとして知られていた私は、当時培ったマネージャースキルに今世で磨きをかけ、アレクサ様の応援に全力投球していた。


「……君も大変だろうし、毎日来てくれなくていい」

「そんなお気遣いをいただけるなんて……! 大丈夫です、雨が降ろうと槍が降ろうと必ず毎日参ります」

「……いや、だから」


 アレクサ様と楽しいお喋りで盛り上がっていると、背後からポンと肩を叩かれた。


「よっ、シュゼット。お前また来てたのか。よく飽きないな」

「なによ、フレッドには関係ないでしょ」

「幼馴染なのにつれないな。俺にも差し入れないの?」

「ない」

「ひでぇ」


 そう言ってケラケラと笑う、一見チャラそうな見た目のこの男は、私の幼馴染のフレッド。

 アレクサ様が所属する騎士団の団長の息子で、実は攻略対象だ。私の推しではないけれど。


 フレッドはライバル家門の回し者である家庭教師から酷い怪我を負わされ、騎士の道を諦めるという不幸を背負っている……はずだったが、私がフレッドの家に「家庭教師はスパイです」と匿名の告発文を出して悲劇を食い止めたため、彼は何の怪我も挫折もなく健やかに成長した。少しは私に感謝してほしい。まあ、何も知らないのだから無理なのだけれど。


 そんなことを考えていると、フレッドがぐっと顔を近づけてきて、耳元で囁いた。


「お前、明日来るならお洒落してきたほうがいいぞ」

「えっ、どうして?」

「どうしても。絶対いいことあるから」

「??」


 意味が分からず首を傾げる私の肩をフレッドが楽しそうにポンポンと叩く。

 騎士は力が強いんだから、もう少し手加減してくれないと嫌だわと思いながら睨んでいると、アレクサ様が背中を向けるのが見えた。


「あっ、アレクサ様! もう行ってしまわれるのですか?」

「……この後、用事がある」

「そうだったんですね。お邪魔してすみませんでした……」


 フレッドが来なかったらもう少しお喋りできたのにとガッカリしていると、アレクサ様がわずかにこちらを振り返った。


「……邪魔ではない。またな、シュゼット・・・・・

「……!!」


 アレクサ様が言い残した言葉のあまりの衝撃に、私は口元を両手で押さえたまま動くことができない。


「……おい、そんな驚いた顔してどうしたんだ?」


 怪訝そうなフレッドからの質問に、私はスーハーと深呼吸し、心を落ち着かせてから答えた。


「ア、アレ、アレクサ様が私のことを名前……初めて名前で呼んでくださって……! シュゼットって! シュゼットって私の名前よね!? しかも邪魔じゃないって! もうこれはお友達って自称しても許されるわよね……!?」


 だめだ、全然落ち着けていなかった。フレッドも私の勢いに若干引いている。


(……でも、本当に嬉しかったんだもの……!)


 アレクサ様に寄り添いたいという私の真心がちゃんと伝わっているんだと思えて、震えるほどの喜びを感じた。

 きっとこのまま頑張れば、アレクサ様と真の友情エンドを迎えられるはずだ。


「私、もっと頑張るっ!!」

「お、おう……」


 そうして困惑気味のフレッドを後に残したまま、私は明日の差し入れの準備をすべく家路を急いだのだった。



◇◇◇



 翌日。私はいつものようにアレクサ様の応援のため、騎士団の訓練場を訪れた。

 夜中に土砂降りになってしまったので、今日は外での訓練は中止かと心配したけれど、朝にはすっかり晴れていい天気になってくれた。これで今日もアレクサ様の訓練を見学できる。


 ちなみに昨日フレッドからお洒落をしてくるように言われたけれど、意味不明だったので普通の格好だ。ぬかるみで汚れてもいい服にしたので、なんならいつもより地味かもしれない。


 訓練場に着くと、大勢の騎士や見習い騎士たちが入り乱れて打ち合い稽古をしていた。

 そんな中でも、私の目はすぐさまアレクサ様を見つけ出してしまう。まさにアレクサ様への情熱がなせるわざだ。


 アレクサ様は、自分よりも頭一つぶんほど背の高い男性騎士と打ち合っていた。

 普通なら体格や筋力の差で相手をするのが大変そうなものだが、アレクサ様は目がよく、身のこなしもしなやかで、向こうの剣撃を難なく見切っていなしている。


(アレクサ様、あんな細腕なのに男性騎士にも引けを取らない腕前だわ……!)


 私も一応、元剣道部……のマネージャー。剣道と騎士団の剣術ではだいぶ違いがあるけれど、アレクサ様の実力がずば抜けていることは分かる。


(きっとすぐ見習い騎士から昇格できるはずだわ)


 見習い騎士の制服もいいけれど、正規の騎士の制服を着たアレクサ様はもっと素敵だろうなぁとにやにやしつつ、アレクサ様の訓練姿を一生懸命眺めていると、あっという間に午前の訓練が終わってしまった。


(早く差し入れを渡しに行かないと……!)


 よく分からないけれど、今日は応援に来ている令嬢が普段よりだいぶ多い。

 いつもの出待ちポジションになかなか辿り着けずに苦労していると、イケメン騎士オーギュストの追っかけをしているデボラ嬢が鼻で笑う声が聞こえてきた。


「あら、シュゼット嬢。毎日毎日アレクサさんへの付きまとい、お疲れ様ですこと」

「あら、デボラ嬢。そちらこそ、もうオーギュスト卿に顔は覚えてもらえましたか?」


 小首を傾げて微笑むと、デボラ嬢がぐぬぬと悔しがるように扇子を握りしめた。


「オ、オーギュスト様は競争率が高いから大変なのよ……。その点、あなたはライバルなんていないから楽でいいわよね」

「本当に、アレクサ様の追っかけが私だけだなんて心底不思議ですけど、ライバルがいないのはありがたいですわね」

「ふん、この活動は恋人探しも兼ねてるんだもの。わざわざ女性の追っかけなんてしないわ。アレクサさんが美人なのは分かるけど、あんな美女だったら騎士団なんて入らずに、綺麗に着飾って社交界の華を目指せばいいじゃない」


 デボラ嬢の言葉に、私は何とも言えない気持ちになった。

 それは、前世でゲームをプレイしていたときの私と同じ考えだったから。

 でも、今は違う。

 ずっとアレクサ様を追いかけ、その人となりを知って、私の考えはすっかり変わっていた。


「──私も、そう思っていたときがありました。でも、気づいたんです。アレクサ様はご自分の進みたい道を歩むべきだって。アレクサ様が誰より輝いているのは、絶世の美女だからじゃありません。誰よりも気高い魂をお持ちだからです。社交界の華として優雅に微笑むご令嬢のお姿よりも、こうして険しい茨の道を自ら切り拓いていく騎士のお姿のほうが、アレクサ様にお似合いだと思います。私は騎士のアレクサ様が大好きなんです」


 アレクサ様への想いを込めた私の堂々たる主張に、デボラ嬢がハッと目を見開く。


(ふっ、これはまた一人アレクサ様ファンを増やしてしまったかもしれないわね……)


 なんて悦に入っていたのも束の間。デボラ嬢の目線が私をすり抜けた後ろに向けられているのに気付いて振り返ってみれば、そこにはまさにご本人──アレクサ様がいらっしゃった。


「あ……あの、アレ、アレクサ様……」


 アレクサ様はその美しい眉を寄せ、何やら微妙な表情をしていらっしゃる。

 ……まずい、これは絶対にさっきの私のセリフを聞かれてしまっている。アレクサ様を褒め称えるだけでは飽き足らず、最後に軽く告白まがいのことまで言ってしまった。


(せっかく少しずつ距離が縮まってきたところだったのに、今ので引かれちゃったらどうしよう……!)


 焦った私は、今の恥ずかしすぎるセリフを有耶無耶にしてしまうため、バスケットにしまっていたレモンの蜂蜜漬けの瓶を勢いよく差し出した。


「あのっ、アレクサ様! これ、昨日約束していた差し入れの──」


 と言った瞬間、瓶越しに強い衝撃を感じ、気がつけば私が作ったレモンの蜂蜜漬け入りの瓶は、地面のぬかるみの上に転がっていた。泥のおかげか瓶は割れてはいなかったが、落ちた衝撃でコルクの蓋が開いて中身がこぼれている。

 呆然とする私の耳に、男性の怒鳴り声が響く。


「アンリ王子殿下への差し入れは禁止だと通達を出していただろう! まったく、殿下は視察のために来られただけで、お前たち令嬢の相手をする暇はないのだ!」


 放心状態のまま、怒鳴り声の主へゆるゆると目を向ければ、文官のような格好をした男がふんぞり返って立っていた。


「それにしても、あんな粗末なものを持ってくるとは。本人が地味なら差し入れも地味だな」


 うまく働かない頭で考えてみるに、どうやら今日は第二王子のアンリ殿下が騎士団の訓練の視察に来ていたらしい。どうりで令嬢たちの見学が多かったわけだ。そして、私が持ってきたレモンの蜂蜜漬けは、アンリ殿下への差し入れと勘違いされて、この偉そうな文官に跳ね除けられてしまったということのようだ。


(……違うのに。アレクサ様のために素材選びからこだわって、心を込めて作ったのに。ラッピングだって可愛くして……)


 アレクサ様に食べてもらいたくて作ったレモンの蜂蜜漬けが、冷たい泥の中に転がっている。

 それを見ていたら、目の奥がじわじわと熱くなるのを感じた。


「ちょっ、大丈夫!? あなたね、あの差し入れは……!」


 デボラ嬢が文官に抗議しようとしている。なんだかんだ、彼女は優しいのだ。

 デボラ嬢に感謝しつつ、もうアレクサ様にはあげられなくなってしまった泥だらけの瓶を拾うために一歩踏み出したそのとき。

 アレクサ様がさっと瓶を拾い上げた。そしてそのまま薄切りのレモンを摘まみ、ためらうことなく口に含む。


「あっ、アレクサ様! ダメです!」


 まさかの行動に驚いて止めようとする私に構うことなく、アレクサ様はレモンを食べてしまった。


「……甘酸っぱくて美味しい。ありがとう、シュゼット」

「アレクサ様……」


 アレクサ様が私の差し入れを受け取ってくださった。

 ぬかるみに落ちた瓶を手ずから拾い、泥が混じっているかもしれないのに、気にする素振りも見せずに食べてくださった。

 美味しいと、ありがとうと、言ってくださった。


 私の両目からぽろりと涙がこぼれる。


「アレクサ様……ありがとう、ございます……」


 震える声でお礼の言葉を絞り出せば、アレクサ様は私を見つめたまま、わずかに口角を上げた。


「気に入ったから、また作ってきてほしい」


 アレクサ様の優しい声音が胸に沁み入る。

 きっと私に同情して言ってくださったのだろうけど、そうやって気遣ってもらえることが何よりも嬉しい。

 もっと泣いてしまいそうになるのを必死に堪えて、こくこくと頷く。

 そんな私にアレクサ様はふっと微笑み、「楽しみにしている」と返事をして騎士団の別棟へと行ってしまった。泥だらけになったレモンの蜂蜜漬けの瓶を持ったままで。


「なに今の……素敵が過ぎない……?」


 両手を組み、乙女の顔をして呟くデボラ嬢に全力で同意しつつ、私はドキドキと高鳴る胸をそっと押さえるのだった。



◇◇◇

 


 それから数日経ったある日のこと。私は一通の手紙を片手に頭を抱えていた。


「王宮の夜会への招待状か……」


 差出人は第二王子のアンリ殿下だった。

 なんでも、先日の「差し入れ泥まみれ事件」のことを知り、そのお詫びとして招待したいとのことらしい。あの嫌味な文官からの謝罪の手紙も同封されていた。

 殿下の気持ちはとてもありがたい。……ありがたいのだが、一つだけ懸念があった。


 それは、原作ゲームの『幸せの迷宮』では、王宮の夜会=「アンリルート」への分岐点であるということ。


 そう、第二王子のアンリ殿下は、ゲームのメイン攻略対象なのだ。

 前世では顔の良さから一番の推しキャラだったけれど、今世でアンリ殿下とどうにかなりたいとは思っていなかった。


(だって、王子妃だなんて荷が重すぎる……)


 ゲームでは何の責任もなく恋愛だけを楽しめるからいいけれど、今世ではこれが現実の人生だから、当然それだけでは済まない。王子妃に課されるハイレベルな要求や重いプレッシャーのことを考えると、無関係の人間として傍から眺めるか、いっても友人くらいの距離感が精神衛生上絶対にいい。


(……まぁでも、アンリ殿下とは直接会ったこともないし、いきなり分岐に入るってことはないわよね。これはきっと本当にただのお詫びなんでしょう)


 そう考え直した私は、せっかくの招待を断るのも失礼かと思い、結局参加の旨を丁寧にしたためて返事を送ったのだった。



◇◇◇



 そしてあっという間に夜会当日。

 私は母の指示によりメイドたちに徹底的にヘアメイクされ、手持ちの中で一番高価なドレスに着替えさせられて、夜会へと送り出された。


「夜会に参加する前からこんなに疲れるなんて……」


 会場の入り口を前に溜め息をついていると、すぐ横から聞き慣れた声が聞こえてきた。


「おっ、シュゼット。今日はちゃんと可愛い格好してるじゃん」

「……フレッド」


 顔を向ければ、騎士服に身を包んだ幼馴染のフレッドが、楽しそうに目を細めて私を見下ろしていた。


「お前、この間は俺がわざわざお洒落して来いってアドバイスしてやったのに、地味な格好で来るんだもんなぁ」

「あっ、あれは土砂降りの後だったからドレスが汚れるかもと思って……」

「せっかくお前が少しでもアンリ殿下の目に留まるようにと思って教えてやったのにさ。まぁでも、こうやって夜会に招待してもらえたんだし、チャンスなんじゃないか?」

「チャンス……? それってまさかアンリ殿下に見初められるとか、そういう……?」

「当たり前だろ。お前、昔からアンリ殿下の姿絵を見ては、うっとりした顔してたじゃん。アンリ殿下のことが好きなんだろ?」


 不思議そうに首を傾げる私に、フレッドも同じように首を傾げる。

 どうやら、過去の無意識の推しキャラ萌え行動のせいで、あらぬ誤解を招いていたようだ。


「違う違う! あれはアンリ殿下のお顔が素敵で眼福だな〜と思って眺めていただけで、好きとかそういうのじゃないから!」

「そうなのか? じゃあ、他に好きな奴がいるとか?」

「他に好きな人……?」

「は? まさかいないのか? 十七歳にもなって?」


 十七歳。それは、恋愛にうつつを抜かして当然と言っても過言ではない年齢。

 であるにもかかわらず、私は「好きな人」と言われて誰も思い浮かべることができなかった。


 ……いや、本当は一人だけ思い浮かんだ。

 でも、それは異性ではない。


(私、アレクサ様のことしか思い浮かばないなんて……)


 いくらこの間の振る舞いが格好良すぎてときめいたからと言って、これはちょっと重症なのではないだろうか。


(私が目指しているのは、アレクサ様との真の友情・・エンドのはず……!)


 うっかり湧いてきそうな感情から逃げるように、ぶんぶんと頭を振る。


「い、今はまだそういうのはいいの!」


 強引に誤魔化すと、フレッドは「ふぅん」と言いながらにやっと笑った。


「ま、協力が必要になったら言えよな。俺、お前には借りがあるからさ」

「はい? 借り??」


 突然そんなことを言われ、思わずきょとんとしていると、フレッドが少し大人びたような笑みを浮かべて言った。


「お前、昔うちに『新しい家庭教師はスパイだ』って手紙で教えてくれただろ? そのおかげで、俺はあいつに怪我をさせられずに済んだ」


 フレッドからの思いがけない言葉に私は目を丸くした。


「えっ! なんで私からの手紙だって知ってるの!?」

「お前は筆跡とか変えてバレないように工夫してたみたいだけどさ、こっそり手紙を置いてるところを、俺見たんだよ」

「まさか……」

「ははっ、詰めが甘いのがお前らしいよな。初めはイタズラかと思ったけど、念のため奴とは注意して接するようにしていたら、何度も故意に怪我を負わせようとしているのに気付いてさ。父さんが徹底的に問い詰めて吐かせてやったよ」

「徹底的……」

「というわけでさ、お前には感謝してるんだよ。だから助けが必要なときはいつでも言えよ」

「うん、ありがとう」


 フレッドは最後に私の肩をバシンと叩くと、見回りがあるからと言ってどこかへ行ってしまった。


「……だから手加減しなさいってば」


 叩かれた肩に手を当てながら苦笑する。


(そっか、手紙を出したのは私だってことは最初からバレてたのね)


 今までフレッドが何も言わなかったのは、私が正体を隠そうとしていたのを尊重して知らないフリをしてくれていたのかもしれない。即バレしていた自分の間抜けさには呆れるものの、フレッドに感謝してもらえていたのは嬉しい。なんだか今日はいいことがありそうだ。


(そういえば、もしかしたらアレクサ様も夜会の警備をされているかもしれないわね。どこかで会えたらいいな)


 そんなことを思いながら、私は夜会の会場へと入っていったのだった。



◇◇◇



 王宮の一流シェフによる豪華な食事を一通り堪能した私は、一人庭園に出て涼んでいた。


「まさかお菓子を食べて酔っ払うなんて……」


 なんと、美味しそうだと思って食べたお菓子の中に、強めのリキュールのジュレのようなものが入っていて、アルコールに弱い私はすっかり酔ってしまったのだった。

 夜風に当たって少し酔いが覚めてきたものの、今度はトイレに行きたくなってきた。我ながら忙しない。


「お手洗いはどこだったかしら……」


 ちょうど噴水の横を抜けようとしたところで、見計らったかのように誰かが姿を表した。


「──シュゼット嬢、少しいいかな?」


 柔らかで穏やかな声を持つ、金髪碧眼の見目麗しい男性。

 この人に声を掛けられたのなら、たとえ一刻も早くトイレに行きたくても応じなくてはならない。なぜなら、この方は我が国の王族だから。


「アンリ王子殿下……」

「ああ、顔を上げてくれないか。礼儀のことは気にしないでいいから」

「は、はい……」


 殿下一人だけで私に何の用があるというのだろうか。

 差し入れの件は文官から謝罪してもらった上に、お詫びとしてこんなに素敵な夜会にも招待してもらえたのだから、私としてはこれ以上何も言うことはない。


(まさか殿下が私に直接謝罪するなんてこともないだろうし……)


 謎の登場に戸惑う私の心境を知ってか知らずか、殿下が一歩こちらへと近づく。

 そして真剣な面持ちで私の手を取った。


「急に声を掛けてすまない。でも、どうしても君と話がしたくて……。こんなことを言ったら驚くかもしれないけど、僕は本気だ。シュゼット嬢、どうか僕の──」


 思いがけない殿下からの申し出に驚きつつも、断る理由のない私はゆっくりとうなずいたのだった。



◇◇◇



 翌日、私はアンリ殿下に呼ばれて王宮を訪れていた。

 案内の人が来るというので待っていると、現れたのはアレクサ様だった。


「アレクサ様! おはようございます。アレクサ様が案内してくださるのですね!」

「……シュゼット嬢、おはようございます。貴賓室に案内いたしますので、こちらへどうぞ」


 アレクサ様に会えたのが嬉しくて笑顔で挨拶すると、返ってきたのはどこか暗い表情と、他人行儀な言葉だった。


(アレクサ様……この間は「シュゼット」って呼んでくださったのに……)


 一体どうしたのだろうか。

 知らないうちに、急に嫌われてしまったのだろうか。


 一瞬、地の底まで落ち込みそうになってしまったが、今世ではアレクサ様とのハッピー友情エンドを目指しているのだ。こんなことでへこたれてはいられない。

 私は勇気を振り絞ってアレクサ様に尋ねてみた。


「アレクサ様……もしかして私のこと、嫌いになってしまいましたか? 嫌なところがあれば直しますので、遠慮なく言ってください!」


 私の言葉にアレクサ様は驚いたように目を見張ると、ゆるゆると首を振った。


「……いや、君のことを嫌ってなどいない。ただ、君はアンリ殿下と……婚約するのだろう? だから、それに相応しい態度を取らなければと思って……」


 アレクサ様の言葉に、今度は私が目を見張った。


「えっ!? 私が殿下と婚約!? なぜそんな話が……」

「……違うのか? 昨日の夜会で、君とアンリ殿下が話しているのを見たんだ。噴水の音でよく聞こえなかったが、二人きりで手を取り合い、殿下の懇願を君が了承したのが分かった。殿下がとても真剣なご様子だったから、きっと婚約の申し込みだと思ったのだが……」

「えっと、それは完全なる誤解ですね……」


 私は額に手を当て、昨晩の本当の事のあらましをアレクサ様に説明した。




「──では、あれは婚約の申し込みではなく、殿下専属の料理人としてのスカウトだったと……?」

「はい、その通りです」


 そう。私もまさかこう来るかと思って驚いたのだけれど、メイン攻略対象であるアンリ殿下の設定が絡む、切実なスカウトだったのだ。


 攻略対象はそれぞれ不憫な過去を背負っているが、アンリ殿下は幼い頃に第一王子側の過激派によって食事に毒を盛られて生死の境を彷徨い、それ以来トラウマで料理を一切口にできず、ずっとポーションを食事代わりにしてきたという、とても可哀想な過去を持っていた。


 それが、騎士団の視察に出かけた際──実はあの差し入れ騒動を陰から見ていたらしいのだが──アレクサ様が口にするレモンの蜂蜜漬けがとても美味しそうに見えて、どうしても食べたくなったのだという。


 何かを食べたいと思うのは初めてで、是が非でも私にレモンの蜂蜜漬けや、他の料理も作ってもらいたくて、騒動のお詫びを口実に夜会に呼び出し、一人になったところでスカウトに動いたのだそうだ。

 普通に言ってくれればいいのにと思うが、なるべく内密にしたいとか色々考えた結果、ああいう回りくどい方法になったらしい。


「……そういうわけで、婚約とかそんな話ではないんです」

「そうか……。君の顔が赤かったし、どこか落ち着かない様子だったから、てっきり……」

「それはちょっとお酒で酔っていたので……」


 あと、落ち着かない様子だったのはたぶんトイレに行きたかったせいだと思うけれど、恥ずかしいのでそれは内緒にしておく。


「それならよかった……」


 アレクサ様がほっとした表情を見せる。アレクサ様も私とよそよそしい関係になるのは嫌だと思ってくださったのだと思うととても嬉しい。


「ふふ、私も王子妃には興味ありませんから。……とはいえ、あんまりのんびりしてると親から勝手に相手を決められそうで心配なんですけどね。手近な幼馴染とか……」


 苦笑いでそう言うと、アレクサ様が無機質な声で問い返した。


「……幼馴染というのは、フレッド・モラン?」

「はい、そうです」

「そうか、たしかに親しそうだったな……」

「気の置けない仲ではありますね」

「では、彼が相手なら構わないと……?」


 アレクサ様が眉を寄せて私を見つめる。

 なんとなく不快そうな雰囲気を感じるのは気のせいだろうか。


 いや、もしかすると、軽薄なチャラ男にしか見えないフレッドが結婚相手になるかもしれないと聞いて、心配してくださっているのかもしれない。

 私はアレクサ様の気遣いに感動しつつ、安心していただけるように明るく笑った。


「ふふ、大丈夫です。フレッドと結婚なんて考えたこともないですから。それに、焦って結婚なんてしなくてもいいかなって思ってるんです。殿下にスカウトされた今、料理人の道を極めるというのもありかもしれません。王宮にいれば、毎日いつでもアレクサ様に会いに行けますし。私にとっては、婚活よりもアレクサ様を応援するほうが大切ですから!」


 最後についついアレクサ様への思いを織り交ぜてしまった。

 また呆れられてしまうだろうかと上目遣いでちらりと様子をうかがえば、アレクサ様は案の定、頭を抱えて……。


(あれ? お顔が赤い……?)


 まさか度が過ぎて怒らせてしまったのかしらと内心焦っていると、アレクサ様が何かを呟いた。


「どうして、こうなってしまったんだろう……」

「え……?」

「──いや、何でもない。さあ、ここが貴賓室だ。あとは侍女がもてなしてくれるから、私はここで失礼する」

「あ……分かりました。アレクサ様、案内をありがとうございました」


 別れ際に姿勢よく騎士の礼を取る、どこか切ない眼差しのアレクサ様。

 ──これが、私がアレクサ様を見た最後だった。



◇◇◇



「フレッド! アレクサ様はまだいらっしゃらないの!?」

「シュゼット、落ち着けよ。アレクサは来月まで休暇だって言っただろ?」

「どうしてそんなに長い休暇なの? 本当にご病気とかじゃないのよね……!?」

「病気じゃないから安心しろ。あいつも一応、侯爵家のご令嬢だからな。いろいろあるんじゃないのか? とりあえず毎日アレクサの心配ばかりしてないで落ち着けって」

「だって、もう一週間以上もアレクサ様に会えてない……。私、寂しくて死んじゃうかも……」

「お前、本当にアレクサしか見えてないな……」


 呆れ顔で溜め息をつくフレッドを腹立たしく思いながらも、その通りなので何も言い返せない。

 本当に私はどうしてしまったのだろう。自分でも驚くくらいにアレクサ様のことばかり考えてしまう。


 なぜ突然こんなに長いお休みを取られてしまったのだろうか。

 私が毎日アレクサ様に会いに行けるなんて言ったから、逃げたくなってしまったのだろうか。

 私に何の連絡もしてくれないのは、やっぱり私のことなんてどうでもよくて、むしろ嫌いなのだろうか。


 顔を合わせられないから、直接聞くことができずに一人悶々とネガティブなことを考えてしまう。


(……そうだわ!)


 突如、天啓のような閃きが降りてきた私は、フレッドの正面に立って両手を組んだ。


「フレッド、お願い! 一つ頼みごとを聞いてほしいのだけど……」

「頼みごと?」

「ええ、アレクサ様に手紙を出したいの。でも、しがない男爵令嬢からの手紙なんて、ちゃんとアレクサ様に届くか分からないし、もしかしたらアレクサ様が嫌がって読んでもらえないかもしれない……。けど、同僚で騎士団長の息子のフレッドからの手紙だったら、確実に届いて読んでもらえるでしょう? だから、フレッドからアレクサ様に手紙を出してもらって、そこに私からの手紙も同封してもらえないかしら……? 困ったことがあったら何でも言えって言ったでしょ? お願い……!」


 必死にお願いすると、フレッドはまだ呆れ顔をしながらもうなずいてくれた。


「まったく、お願いごとまでアレクサのこととは……。でも約束したからな。手紙、出してやるよ」

「ありがとう……! さっそく今から書いてくる!」

「はいはい、ごゆっくり〜」


 そうして二時間ほどかけて手紙をしたため、フレッドに託した私は、ようやく少し落ち着くことができたのだった。



◇◇◇



 フレッドが手紙を出してくれた二日後。私の元に一通の手紙が届いた。


「差出人は……アレクサ様!?」


 なんとアレクサ様が返事をくださった。

 震える手で封を開け、便箋を広げ、アレクサ様の整った美しい文字が並ぶ文章を読む。




親愛なるシュゼット


手紙をありがとう。

君に何も言わず、心配をかけてしまってすまない。

どうしてもやるべきことが出来て、騎士団を休ませてもらっている。

体調は問題ないから心配は無用だ。

会いたいと言ってくれて嬉しい。

私も君に話したいことがある。

一通りのかたがついたら連絡する。

それまで待っていてほしい。


アレクサ



「よかった……アレクサ様はご無事なのね……」


 それに、私もどうやら嫌われてはいないようだ。

 思わず、ほぅっと安堵の溜め息を漏らす。


「……ふふっ、『親愛なるシュゼット』だって」


 アレクサ様から初めて手紙をもらえたことが嬉しくて、綺麗な筆跡を何度も撫でては読み返す。


 そうして、会えない寂しさを手紙で紛らわすこと数週間。

 アレクサ様から二通目の手紙が届いた。




親愛なるシュゼット


ずいぶん待たせてしまったが、ようやく事が済んだ。

明日、騎士団に顔を出しに行く予定だ。

君も来てくれるだろうか。

きっと君を驚かせてしまうと思うが、一つだけ。

私は私だということは忘れないでほしい。

では明日、君を待っている。


アレクサ




 待ちに待ったアレクサ様からの連絡。

 私に騎士団まで来てほしいと書いてある。


「やっと、アレクサ様に会えるのね……!」


 アレクサ様の頼みなら、どこへだって行くに決まっている。

 まるで幼い子供になってしまったように、浮き立つ心が抑えられない。

 顔のにやけも全然止まらないので、もうそのままにしておく。


「久しぶりにお会いするんだから、ちゃんとお洒落して行かないと! また差し入れを作って持って行ったら迷惑かしら……?」


 明日が楽しみすぎて足が勝手にピョンピョンと飛び跳ねてしまう。


「それにしても、話したいことって何かしら? もしかして、ついに真の友情エンドが待っているとか……!?」


 手紙の文面でもアレクサ様は私に対して好意的に見えるし、これは期待してもいいのかもしれない。

 ここのところずっとアレクサ様への募る思いが抑えられず、さすがに異常かもしれないと思っていたけれど、ハッピー友情エンドを迎えて名実ともに親友になれれば、少しは落ち着くかもしれない。


「よし、明日はとびきり可愛くしていかなくちゃ!」


 まるでデート前日のように、私は鼻歌を歌いながら、明日着ていくドレスを選び始めたのだった。



◇◇◇



「化粧よし、髪型よし、笑顔よし!」


 翌日、私は騎士団の訓練場へとやって来ていた。

 窓ガラスの反射で身だしなみをチェックして、アレクサ様の訪れを待つ。

 

 お会いしたらまず何を話そうか、久しぶりのアレクサ様が神々しすぎて倒れてしまったらどうしよう、などと考えていると、背後から男の人の声が聞こえた。


「シュゼット」


 耳に心地よい艶やかな声が私の名を呼ぶ。

 フレッドってば、こんなにいい声だったっけ? と思いながら振り向くと、そこに立っていたのはフレッドではない、驚くほど美しい顔立ちをした見知らぬ騎士だった。

 本当に思わず息を呑んでしまうほどの美形で、少し長めの黒髪がさらりと風に揺れるだけで、圧倒的な色気を醸している。


(これはアンリ殿下のお顔も超えているわ……優勝!)


 ……などと馬鹿なことを考えている場合じゃなかった。

 この方はどなただろう?

 私の名前を知っているようだし、アレクサ様に頼まれていらっしゃったとか?


「あの、何かご用ですか? もしかしてアレクサ様のこととか……?」

「……ああ、そうだ」

「あ、やっぱり。それで、アレクサ様は今どちらに?」

「ここだ」

「ここ、ですか?」


 辺りを見回りしてみても、アレクサ様の姿は見当たらない。


「あの、まだいらっしゃってないみたいですけど……?」


 頭にハテナを浮かべる私に、美形騎士は困ったように微笑むと、遠慮がちに口を開いた。


「ここにいる……私がアレクサだ」


「………………は?」


 訳が分からなすぎて「は?」とか「え?」とか、そんな音しか口から出てこない。

 言われてみれば、たしかに瞳や髪の色はアレクサ様と同じだけれど……でも、性別が違う。


(えっ、つまり、アレクサ様は女装をしていた……?)


 一瞬、そんな考えが頭をよぎったが、こんな長身で体格もいい男性が女装したところで、あのアレクサ様の見た目になるはずもない。


(というか、原作ゲームでもアレクサ様が実は男だったなんて設定、欠片も出てきていなかったけど……)


 本当に意味が分からなくて、私はアレクサ様だと名乗る美貌の男性騎士をひたすら凝視する。

 そして騎士も私をじっと見つめた。


「……急にこんな姿で現れて驚かせてしまったと思う。でも、これが私の本当の姿なんだ。君のおかげで、やっと呪いが解けた」

「呪い?」

「ああ、姿を変える呪い。幼い頃、継母が私にかけたんだ」


 そう言って続けられた彼の話は、私の予想だにしないものだった。


 アレクサ様は、七歳までは元の男の子の姿のままで、それなりに幸せに暮らしていたという。

 しかしその頃、実のお母様が亡くなられ、すぐにお父様の長年の愛人だった女性が後妻としてやって来てから人生の歯車が狂い出した。


 アレクサ様より一歳年下で私生児だった異母弟を後継者にするべく、後妻が代々の家宝だという魔道具を使ってアレクサ様を女の子の姿に変えてしまったのだ。


 非常に強力な呪いで、幼いアレクサ様にはどうすることもできず、いつの間にか戸籍まで改竄されてしまい、幼少期はその姿のまま過ごすしかなかった。


 成長してから、何とか元の姿に戻れないかと魔道具を調べたりもしたものの呪いを解く方法は分からず、ある日、後妻と父親が自分をどこかに嫁がせようと話しているのを聞いてゾッとして、家を出ることを決意したのだった。


「……剣術が好きで、隠れてずっと練習していたから、騎士を目指そうと思った。幸い、才能もあった。騎士になれば着たくもないドレスを着る必要もないし、言葉遣いも気にしなくていい。元の姿には戻れないが、これが自分にとって一番幸せな道だろうと思った。それなのに、君が現れて、すべてが変わってしまった」

「私、ですか……?」

「ああ、君が毎日私の元を訪れて素敵だなどと褒めたてるのを、初めは私の外見を見て騒いでいるだけだと思った。すぐに他の男性騎士に目移りして去っていくだろうと。だがいつまで経っても君は私から離れなかった。どこからでも私を見つけて、世話を焼こうとやって来て……。いつしか、君がそばにいるのが当たり前になっていた」


 淡々と紡がれる言葉。けれど、彼の眼差しも声も温かい。

 初対面のはずだし性別も違うのに、そこにはアレクサ様の面影をはっきりと感じた。


「騎士の私が好きだと言ってくれたことが嬉しかった。外見ではなく、私自身を好いてもらえたことが心地よかった。このまま君と友人でいられたらいいと思った。でも、君がそのうち誰か別の男のものになるのかと思ったら……耐えられなかった」

「え……?」


 思いがけない彼の言葉に、鼓動が早まる。

 それは、アレクサ様が私のことを……?


「自分が男の姿だったらと、この呪いが解けてくれたらと、あれほど願ったのは初めてだった。……するとその夜、男の姿に戻ったんだ」


 彼が、自分の体を確かめるように、ぎゅっと拳を握る。


「呪いが解けた理由は分からないが、きっと君のおかげだと思う」


 そう言って、アレクサ様が微笑む。

 

「本当は一刻も早く君に会いたかった。だが、それより先にやっておかなければならないことがあった」

「やっておかなければならないこと……?」

「ああ、小さなことから言えば、この体に合う服が必要だったというのもあるが……何よりもまず、身分を取り戻したかった」

「身分……」


 そういえば、アレクサ様の話からすると、幼い頃に呪いをかけられていなければ、アレクサ様が侯爵家の次期当主となるはずだったのだ。この国では当主となるのは基本的に嫡男だから。


「身分にこだわるなど意外だと思うかもしれないが、どうしても必要だった。好きな女性に求婚するのに、侯爵令嬢のアレクサのままでは格好がつかないから。少し時間がかかってしまったが、ようやく堂々と気持ちを伝えられる」

「きゅ、求婚って、アレクサ様……?」

「これからは、アレックスと呼んでくれないか? 私の本当の名前だ」

「ア、アレックス様……」


 私が名前を呼ぶのを聞いて、彼は嬉しそうに目を細める。

 その笑顔を目にしただけで私の心臓ははち切れそうなのに、アレックス様はさらに私の手を取ってひざまずいた。


「……君が仲良くしたかったのは、女のアレクサだということは分かっている。だが、それでも、私の想いを伝えさせてくれ──君と人生を共にしたい。私の一生をかけて君を守る。どうか、私の伴侶になってもらえないだろうか」


 アレックス様の真摯な言葉に、切実な眼差しに、私の鼓動がさらに高鳴る。


(アレクサ……いえ、アレックス様が、私に求婚……?)


 信じられない。こんな展開、想定外すぎる。

 私はアレックス様に取られた手を、きゅっと握った。


「……実は最近、ずっと不安だったんです。私はアレクサ様とお友達になりたかったはずなのに、この気持ちは友情と呼ぶにはちょっとおかしいんじゃないかって。アレクサ様に会えない間、ずっと切なくて、胸が焦がれて仕方なくて……。けど、きっと気のせいだ、度を超えているかもしれないけどこれは友情だって、深く考えないようにしていました。でも、今日アレックス様とお話しして分かりました。……やっぱり私は、あなたに恋をしていたんだって」


 私の言葉に、アレックス様の目がわずかに見開かれる。


「さすがに初めは驚きましたけど、男の人の姿でも、あなたはたしかにアレクサ様だし、この気持ちは変わりません。むしろ、これからは気兼ねなくあなたを想うことが許されて嬉しいというか……」


 恥ずかしさで言葉に詰まる私に、アレックス様が穏やかな声音で尋ねる。


「それは、シュゼットも私と同じ気持ちだと思っていいだろうか?」

「……はい、私もずっとあなたと共にありたいです。求婚をお受けします」


 そう答えた瞬間、ふわりと体が浮くのを感じ、気がつけば私はアレックス様の腕の中にすっぽりと収まっていた。いわゆる、お姫様抱っこの状態で。


「わっ、アレックス様!?」

「受け入れてくれてありがとう、シュゼット。断られたらどうしようかと思った」

「私はきっとアレクサ・・・・様からの求婚でも受けていたと思いますよ」

「君という人は、まったく……」


 アレックス様が困ったように、でも嬉しそうに笑う。


「……というか、私、重いですよね。そろそろ降ろして……」

「君は軽いし、まだ降ろさない。こうやって抱きかかえられるようになったのも嬉しいんだ」


 そう言われてしまうと、まだここに収まっていたほうがいいような気になってしまう。


「さて、少し歩くから掴まっていてくれ」

「えっ? このまま歩くんですか……?」

「ああ、こうやって行けば他の騎士たちへの牽制になるだろう?」


 アレックス様が颯爽と歩き出す。


「牽制、する意味ありますかね……?」

「君は知らないかもしれないが、騎士たちから人気だったんだ。これまではそれが気に入らなくてもどうする権利もなかったが、今は違う。シュゼットは私のものだと他の奴らに分からせる」

「な、なるほど……?」


 知らなかった。アレクサ様はいつもクールで、周囲のことは気にせず受け流すタイプだと思っていたけど、なかなかの独占欲をお持ちなのかもしれない。


「ちなみに、今どこに向かってるんですか?」

「アンリ殿下のところだ。ずっとシュゼットを料理人にされてしまっては困るから交渉する」


 あと、けっこう攻めるタイプみたいだ。

 思わず、ふふっと笑みをこぼすと、アレックス様が不思議そうに私を見る。


「何かおかしかったか?」

「あ、いえ。なんだか今まで知らなかったアレックス様のことが色々知れて、嬉しいなって思いまして」


 本来は男性なのに、今までずっと無理やり女性の姿にされていたのだ。

 出来なくて悔しい思いをしたり、抑えていたことがたくさんあったに違いない。


 これからは、アレックス様の本当の人生を歩んでいってほしいと、心から思う。

 そして私はそれを全力で応援していきたい。

 アレックス様のハッピーエンドを見ることが、この世界に生きる私の一番の願いだから。


「私、アレックス様を幸せにしますからね」

「……君はもう私を幸せにしてくれているよ。私も必ず君を幸せにする」

「私だってもう幸せなのに……。じゃあ、二人でもっともっと、世界一幸せになりましょうね」

「ああ。君となら、世界一も簡単そうだ」


 アレックス様が優しく微笑み、ぎゅっと私を抱き寄せる。

 私は彼の大きな胸に頬を寄せ、愛しい人の温もりと幸せの余韻に浸るのだった。


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乙女ゲームのクールビューティーな男装騎士と真の友情エンドを目指します! と、思ったら想定外の展開なのですが 紫陽花 @ajisai_ajisai

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