第7話04(3)
僕たちは、そのまま、手を繋いだまま、受付嬢のお姉さんの所に赴き、一言、「八百万の関係者です」と、だけ伝える。その言葉で、受付嬢のお姉さんは慣れた手つきで手続きを済ませてくれた。そして、問題の荷物検査だったが、僕の面が意外にも割れていたので朝比奈の武器を目にしても特段咎められる様子はなかった。
朝比奈の手を引きながら、エレベーターの前に着く。
あの人が居るのは、地上五十五階に、居る。流石にそこまでの高さになると、幾らエレベーターと言えど、多少の時間がかかる。今も、エレベーター待ちをしていると、朝比奈が唐突に口を開く。
「夜神君、私はね、あまり、そういうことが得意ではないの。むしろ、毛嫌いしている部類なのよ。あなたも、こんな私如きで人生を台無しにしたくはないでしょう?」
こいつは、一体全体何を言っているんだ?
「わかりにくかったかしら? 簡潔に言うと、もし、夜神君がこの上の階で私を使った企画ものを撮影しようとしているのなら、私はどんな手を使ってでも、あなたをゲイ企画の撮影に出てもらうわ」
まさか、こいつの口から、企画ものと言う言葉が出てくるとは思わなかった。くだらない男子高校生のような会話だ。
それよりも、こいつの企画に僕が出演してしまったら──きっと僕は、男としての尊厳を失うのだろう。
というより、マジ恐怖。
「気に障ったら悪いんだけどさ、お前ってさ、もしかしてなんだけど、自意識過剰というか、被害妄想、強すぎないか?」
「やめてよ、本当のことを言われると気に障るわ」
「気に障るんだ⁉」
「一体、どんなことをしたら、こんな高層ビルの最上階で、ましてやオフィスビルを根城にしたのかしらね。その、八百万って人は」
「ごめん、僕にもよくわからないんだ」
本当にあの人は謎だらけなのだ。決して、絶対に痕跡を残さない。真相を知る糸口すら見せてはくれないのだ。
「連絡はしたの? これから相談というか、まあ、相談をするのだから」
「お前から、常識人の言葉が出てくることに僕は驚きを隠せはしないが、あの人には全てお見通しなんだよ。会えばわかる」
「全くもって不思議な人ね。一向に警戒を解けそうにないわ」
「まあ、ただ一言言えるなら。僕や朝比奈のようなのを、専門にしているんだよ」
「そう」
今の説明で納得いくわけが無いのだが、朝比奈はそれから先は特に追及することなく、エレベーターの壁に寄りかかっていた。どのみち、もう少しで会うからなのか、はたまた追及したところで、僕から有用な情報を得られないと判断したのかもしれない。
「今気づいたのだけれど、夜神君、指輪なんてしてるのね」
「ん? あー、そうだな」
「右利きなの?」
「……なぜ、わかったんだ?」
「あなたのことだから、利き腕に指輪をしていたら、殴るときに自分まで痛い思いをするからとか、言いそうなのに」
「……」
見事な推理力だな。
五十五階。
長かったエレベーターの移動も終わり、着いた先は、そこはオフィスの雰囲気も感じさせない、本当にただのだだっ広い、部屋だった。
その中央、部屋の真ん中辺りで、例の、あの人を見つけた。そこまではいい、だけど、僕があの人に気付いた時にはもう遅かった。
ビュン! っと、何かが僕の横頬を掠める。
つーと、暖かい何かが、いや、僕の頬から出た血が流れている。
そう。
八百万神楽は、今しがた僕に向けて自身の愛刀を、まるで、やり投げのように投擲してきたのである。
「手前、夜神。一体どれだけ私を待たせれば気が済むんだ? あぁ?」
その光景を目にした、朝比奈は──明らかに引いていた。だけど、僕からすると、八百万も、朝比奈もしている事に際はないと思う。
このだだっ広い部屋の真ん中で、明らかにラフな格好で、机の上にはビール瓶が置いてある。こいつは、人を呼び出しておいて、自分は酒盛り中だったのか……。
こんなあられもない姿を見るといつも感じてしまう。こいつが、この人が、まさか──僕の恩人だなんていうのは、なんだか、ショックを受けてしまう……。雨霧はまあ、馬鹿だから、そんなこと、気にもしてはいないんだろうけど。
「悪い、少し、野暮用があってさ」
「ふぅん? 野暮用ってのがその子かい?」
八百万は、僕の後ろに隠れている、いや、僕を盾扱いしている朝比奈を凝視していた。その視線を受けた朝比奈は、身を捩りながら少し、震えているように見える。
「あんまり、じろじろと見てやるな。怖がってるだろ」
「いやいや、なに、君は何か女の子を連れてくることに特化した力があるのかと思ってね、実に興味深いんだよ」
八百万は、朝比奈ではなく、僕を見ていたのか。
「俺にそんな力はない! あったら……」
「……あったら、なんだって言うんだい?」
今のは、僕の失言だ。くそ、そんな力があったら、今頃僕はハーレムを作り上げるだなんて、口が裂けても言えない。
朝比奈は自身に矛先が向けられていないとわかると、あっさりと、さも自然な感じで、僕の後ろから横に逸れていた。
本当に、薄情な女だよなぁ……。
「ん? ……へぇ」
八百万は。
今横に逸れてた、朝比奈をちらりと、見て、不敵に笑む。
朝比奈の背後に居る、何かを見る様にして。
「初めまして、お嬢ちゃん。八百万という者だよ」
「は、初めまして、朝比奈未来です」
意外にも、朝比奈はきちんとした挨拶ができるようだ。
誰にでも毒舌という訳ではないようだ。礼儀というか、目上の人に対してのマナーは一応に持っているらしい。
「夜神君とは、同じクラスで、ここのお話を聞かせてもらいました」
「そうかい」
八百万は、もう何かを悟ったのか、意味ありげに笑んでいる。
一度俯き、ズボンのポケットから、煙草を取り出し、机の上でトントンと、煙草の葉をフィルター近くまで詰めているようだった。いつ見ても、顔に似合わないおっさん臭い仕草だと常々思う。
普通にしていれば、こんなことは言いたくはないが、物凄い美人なのだ。綺麗で長い黒髪に、まるで、強調するかのようのに出てる胸元、すらっとした長い脚。これだけの要素が揃っているのに関わらず、独身だそうだ。
可愛い系は程遠く、クールなのだ。口調もとてもカッコイイ、なのに、このだらしなさと、おっさん臭い煙草を吸う仕草が、この人の価値を大幅ダウンさせている。
今も、葉を詰めた煙草にジッポライターで火を灯し、煙草の先がじりじりと音を立てながら、先端が赤く光りながら煙を登らせている。
それをしっかり肺の奥にまで届くように、大きく煙草を吸いながら、顔を上に向けて煙を吐き出している。
十分に間を空けて、僕の方を見る。
「君は、こういった、本能的に守ってあげたくなるような子が、好みかね?」
「そんな、間を空けて、見当はずれなことを言うんじゃねえ!」
「違うのかね」
八百万は笑う。
その会話に朝比奈は終始、不愉快そうな顔をしている。
見当外れと言われたことに対してか、或いは、守ってあげたくなるという単語に怒りを覚えたのかもしれない。
「まあ、あんたのことだから、大体はわかってんだろうけど、とにかく、こいつが大体、約六年前から……」
「こいつ呼びはやめてくれるかしら」
「僕の話を遮って、朝比奈は僕を睨み付ける。
「えっと、じゃあ何て呼べばいいんだよ」
「あさにゃん」
「──え……」
こいつは、本気か? 正気の沙汰とは言えない。い、今のはきっと、ジョークだよな?
「あ、あさにゃん?」
「はてなマークを付けないで頂戴」
「……にゃんにゃん」
ぶん殴られた。
「痛ってぇなあ! 何しやがんだ!」
「あなたが、ふざけるからよ」
「だからと言って、殴っていいわけあるか!」
「私の手に触れられたのだから、むしろ、いつものように舌を出しながらお尻をフリフリさせて、ありがとうございますと、言えばいいじゃない」
「一体、いつ、僕が、お前に、そんなことを言ったんだ?」
「昨日よ」
「その時には、まだお前と会話をしたことがねえよ!」
「はぁ、ほんとにうるさい羽虫ね。もういいから、死んだら?」
「……お前、言っていいことと、悪いことって知ってるか?」
「何よ。あなたは虫に死ねと言って何か悪いことでもあると思ってるのかしら?」
「お前はまず、人間と、虫の区別をつけるところから始めろ!」
朝比奈は、満足したのか、端的に言うと、僕を無視した。
酷い。
「それよりも、私はどうしても、気になることがあるのだけれど」
朝比奈は辺りを見渡し、八百万に、というより、僕と八百万の両者に問うように。
「ここは、一体、なんなの?」
まあ、その辺りは始めてくる人間なら、思って当然のことだろう。エレベーターで上がっている時に僕に聞こうと思い、思い留めていた疑問をどうやら、晴らしたいようだ。
「見ての通り、私の家だがね?」
八百万は顔をきょとんとして、さもありなんといった感じで口にする。
「だから、何で、こんなところに家を構えているのかと聞いているのよ」
その普通過ぎる答えが、さらに朝比奈の腸を煮え繰り返したのか、やや口調が強くなっている。
「私が、ここに住むと決めた。それだけだ」
「そうですか……。わかりました」
最早、討論にもならないと悟ったのか、潔いほどに諦めていた。
それが、正解だ。この人相手に、討論は絶対的にしてはいけない。なんせ、その討論に意味を成さないからだ。
端から、論法が通じる人ではない。気付けば、自分の進みたい方向に進んでいる。カウンタータイプの人間なのだから。これは、僕も、雨霧も経験済み。だから、その諦めの良さはハッキリ言って、称賛に値する。
「それよりも」
朝比奈は、今度は八百万だけに意識を集中して会話を始める。
「私の──これを治してくれると、いえ、助けてくれると聞いたのですが」
「私が君を助ける? なぜ?」
八百万はまるで、何を言っているのかわからないと言った感じで言う。
「私は助けない。君を──誰も」
「くっ……」
朝比奈は明らかに、敵意を向けながら、唇を嚙んでいる。
「あなた、やはり私を嵌めたわね」
僕に敵意を向けていたらしい。
「そこの、馬鹿が君に何を言ったのかは大体見当が付く。だけど、君はそれに縋ってきた。違うかね? 自分では何もできないと思っているから、ここに来たんだろう? まるで、君がこの世界で──自分が一番不幸な目に合っていると思って」
八百万の発言に更に怒りが上昇しているように見える。こいつを刺激してはいけないんだ。こいつは、立てこもり犯で、警察に刺激されると普通に人質を殺してしまうタイプの人間なのだから。
「少し、落ち着けって」
急いで、仲裁に入った。
二人の間に入るようにして。
「あなた、本当に殺すわよ?」
この人は、本当に殺すって言葉が、日常会話のように出てくる日人だな……。
僕は何も悪いことをしていないのに。
「まあ、そうだな」
と。
八百万は、机の前で指を束ね、前かがみになりながら言う。
「とりあえず、話してみたまえ。そうじゃないと、話が進まない」
「……」
「ざっとだけど、僕が説明すると……」
「夜神君」
またしても、僕の言葉を遮り、朝比奈は。
「私が話すから」
「できるのか?」
「私がやるから」
そう言って、八百万に向かって、佇まいを正して、真っ直ぐに見つめる。
バケモノのうた 橋真 和高 @kazumadaiku
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