第44話 「猫の絵を探せ」

 田西と井敬は後日、職場に謝罪に来た。ぼくは受け入れた。というよりも三人でミルクティーを飲みながら丹野を罵りあった。丹野の計画では田西と井敬が犯人としてぼくをごり押しすれば、刑事たちの評定をゼロにするつもりだったそうだ。一方ぼくは逮捕されたら仕事を失う。そうなれば都合の良い手足、つまり助手として使えるだろうと考えていたようだ。むかつくことこの上ない。


「でも今度のことで刑事は向いていないのかなって思いました」頭をかきながら井敬刑事は言う。「彼女にも言われていたんです。刑事になってからデートの時間がなくなったって。だから交通課に異動願いだそうかな」田西はどこか寂しげだった。彼は定年までは踏ん張るつもりだそうだ。


 橋本さゆり殺害容疑で橋本孝は再逮捕された。警察は橋本孝を追求中だ。彼が言ったような衝動殺人ではない可能性があるそうだ。

 通勤ルートではない、愛人の住居とも離れている廃工場に、何度か下見に訪れていたことがわかったからだ。下村先輩の猫コレクションが証拠になった。容疑者は下見などしていないと言い張ったが、ボンネットの中に下村先輩の絵がみつかった。


「猫の絵を探せ」号令の下、警察がみつけたのは、つぶれたあんぱんに耳が生えた落書きだった。


「おかげで助かりました」


 警察から感謝されて、先輩はどや顔だった。

 他人の所有物に落書きをしたのに、おとがめなし。釈然としない。

 しかもあの夜、ぼくが殺されそうになったときに、下村先輩が配達に行ったきり戻ってこなかった理由も判明した。

 クレーム対応していたのだ。

 配達に行った二軒先で、問題を起こしていた。荷扱いが乱暴だ、と客から怒られたらしい。

 所長と先輩の会話は以下の通り。


「荷物を受け取るとき放り投げてきた、とお客さんはおっしゃるんだけどねえ」


「大袈裟だなあ。まったく笑っちゃいますよ」


「まあ、多少誇張してるかもしれないけど、その時、受取人の女性は荷物の重さでふらついたらしいな。もし転んで怪我したらどうしてくれるのって怒ってるんだ。その時点できちんと謝罪していればコールセンターに苦情をいれてなかったそうだよ。さらにお客さんが言うには、重いものは床に置くべき、と注意したんだって? で、下村さん、あなたなんて答えた?」


「重くないですよ、猫一匹ぶんぐらいです。んん…、太った猫一匹くらいかな。だから重くないです」


「そう言ったんだよねえ、猫一匹と……」所長は額に手をあて、「意味不明な返答が気にいらない、というのが客の言い分だよ。どう思う?」


「はあ? アタシ間違ってないですよ。あの荷物猫一匹分でしたもん。疑うんだったら客んとこ行って、重さを計らせてもらったら?」


 下村先輩は笑顔でそう言い放ったらしい。笑い方は傍から見ていても腹が立つほど。所長を黙らせるなんて、さすがブラック勤続30年である。我が道を行く。まったくブレがない。


 警察の、何やら上の方と胡散臭いコネクションがあるらしい丹野は、胡散臭い謝礼をもらっていた。だがカードの支払総額には全然届かない。これからもがっちりと稼いでもらわないと困る。

 ぼくの首には全治二週間の擦り傷が残った。痛みはもうない。死を意識したときの衝撃だけはきっと忘れない。忘れてはいけないと強く思った。決意したと言っていい。というのは、傷が消えたころには、あの夜の死闘劇がもうすっかり心躍る冒険譚に記憶がすり替わっていたからだ。ぼくは喉元過ぎれば熱さを忘れるタイプなのだ。


 ぼくのスマホも無事に帰ってきた。ギリギリ無事、ではあったが。『彼氏のうちに忘れてきたスマホ』という設定だったためか、ケースには女の子らしい可愛いシールが貼られていた。おそらく日比野がデコってくれたのだろう。彼女のぬくもりだと思ってしばらくはケースは換えないつもりだ。

 神社の御神木を的にしてダーツの練習をしていたことがばれて、丹野が怒られたのはしばらくしてからぼくの耳に入った。神罰が下るんじゃないのか、とぼくは刹那的な信心で心配したが丹野は全く気にする気配はない。


 チョコ菓子を食べ終わって手持無沙汰の丹野は、ぼくのヨーグルトを狙っている。


「脳に栄養が必要だ」


 丹野の目の前にイチゴヨーグルトとブルーベリーヨーグルトを並べた。両方を引き寄せようとする彼の手の甲を叩いてひとつを選ばせる。難題を与えられた顔でしばらく悩み、イチゴを選んだ。


「ま、つまりそういうことだ」


「どういうことだ」


「人生のパートナーを選ぶのは慎重でなければならない」これまでのいくつかの事件を総括した丹野の意見だ。


「そりゃそうだ」ぼくは探偵がヨーグルトを美味しそうに食べる姿を見守っている。橋本夫妻をはじめとして宅配便を使って夫の浮気調査をしていた妻、勝手に恋心を募らせたストーカーが頭に浮かぶ。一番うまくいっていたのは店主と店員のゲイカップルだったが今後どうなるかなど誰にもわからない。


「ということは当然こうなるよな」ぼくは愚痴っぽくならないように気をつけて口を開いた。「丹野はぼくに助手になれと言ってたけど、あれもウソだったんだよな」


 丹野はスプーンですくった最後のひと匙を平らげて手を合わせた。「ごちそうさまでした」


 こういうところはあざといのだ。本人は無意識かもしれないが、また餌をあげたくなってしまう。


「助手の件は本気だ」


「ふうん。でもさ、パートナーは慎重に選ぶべきなんだろ。手近なところで適当に声をかけてるじゃないか」


「野田のことは信用している」丹野は付け足した。「慎重な性格だ、おれは。今までに助手になってくれと頼んだのは野田ひとりだけだ」


 じんわりと胸が熱くなる。丹野に認められたのが嬉しいなんて冗談ではない。首を左右に振った。


「……とかいってさ、本当はぼくを犯人だと疑ってたんじゃないのか。少なくとも愛人のひとりだったかもしれないじゃないか」


「思わなかったな。確信していた」


「へえ。なにか感じたとか。ぼくの善良な人間性とか」


「そのようなものだな。まず根拠の一つ目はきみのAVの好みだ」


「は? え?」


「エロ雑誌とパソコンでの鑑賞履歴を調べた。可憐で若い巨乳系が好みだな。橋本夫人はタイプではない。正確には女装した自分自身がど真ん中というナルシストの気がある」


「……ぼくのパソコン、見たの?」

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