第36話 「荒川氏」

「ひどいな」さすがに荒川に同情してしまう。「そんなに大事なものだったのか。大切な人からの贈り物とか」精一杯客側に寄りってみたが、同僚が泥棒呼ばわりされるのは腹が立つ。


 丹野はぼくの隣で無言のままカフェラテをゆっくりと飲んでいる。質問はないのだろうか。


「中身は数点の衣類と下着。レアものは無し。値段はトータルで一万円以下。なんだったら、おれのポケットマネーで支払ってもらってもいいかなと思ったけど」


 配達上の過失による荷物事故はもちろん会社が持つ。だが交渉や書類作成に手間がかかるため、配達員が自腹を切って解決させるケースは実は少なくない。


「金額の問題ではなかったんだよ。よくよく聞いてみたら……」


 荒川は腕を組んで野田の顔をまっすぐにみつめた。憤りがにじみ出ていた。


「ストーカーがいるんだってさ。手紙を漁られたり、怪しい人影を見かけたことがあったらしい。いっそ配達員に盗まれたほうがよかったそうなんだ」


「え、ええ? 客は急に怖くなって泣き出したってこと? それこそ警察に相談だろう」


「相談したことあるんだってさ。でも話を聞いてくれただけだったとか。ストーカーからちょっかいをかけられたことは、それまでなかったんだと。証拠がないせいで気のせいじゃないかと言われたそうだ。でも今回、初めて被害にあった。客は怖がっている。プライバシーを盗まれたからだ」


「ああ」


 配達伝票には携帯の電話番号が入っていたし、中には下着も入っていたという。それはたしかに気持ちが悪い。


「客は一人暮らしの女子大生。だから心細いんだそうだ。ともかく今回は盗難に間違いはないから、警察にご相談を、と日比野は客を慰めて相談に乗って、心配のあまり何故かもらい泣きして、一緒に警察に行くことまで約束してあげたらしい」


「えええ」


「ただ、業務に関することだから会社に報告しないわけにはいかないし、勝手なことをすると所長が嫌な顔するだろうからっておれに連絡をくれた。おれの客だし、おれが何とかしたいとは思ったんだが」


「そういうことだったのか」


「おれが客に頭をさげるだけですむなら、いくらでも額を地面にこすりつけるんだけどな」


 ぼくは探偵に顔を向けた。「どう思う?」


「ストーカーだろう」


「……なんかもっとないの? アドバイスとか」


「警察に届けろ。盗難には違いない」


「なんか、もっと、こう……」ぼくはもどかしくなって身をよじった。「ズバッとないの?」


「ではストーカーを誘き出せばいい。女子大生が荷物を盗まれたのはいつなんだ?」


「先週土曜日の午前。授業のコマがないとかで」荒川が答えた。


「暇なストーカーならば一日中近くをうろついているかもしれない。明日、出来るだけ同じ時間帯に荷物を届けて似た状況にしてみよう。その後、荷物に動きがあるか見張ればいい」


「あのう、おれと野田と日比野は仕事があるんですけど。しかも午前中って、すごく忙しいんだけど」


「プロテイン分の仕事はおれがする。ストーカーが引っかからなかったとしても、午後おれが女子大生と一緒に警察に赴いてやってもいい」


「うわ、助かる。ありがとう、探偵さん!」荒川は丹野の手を握ってぶんぶんと振り回した。丹野はぎょっとした表情で手を引く。


「でもさ、荷物が都合よく来るとは限らないじゃん」ぼくは疑問を口にした。


「ダミーを作ればいいだろ」探偵は心底呆れたような顔をした。「明日、おれもここに来る。そのときに荷物を用意しよう。荒川は日比野という女子に連絡を取って、その女子大生に協力してくれるように伝えてくれ」


「わかった!」荒川は時計を見て、一瞬逡巡したが発信を押した。「日比野、ごめん、夜分に。実はさ──」


 荒川が電話をしている合間にぼくは探偵に釘を刺した。「ストーカーもいいけど、殺人事件のほうもよろしく頼むよ。まさか、忘れていないよね。ぼくらは警察に疑われているんだけど」


「おれは記憶力がいい」


「ストーカーが襲ってきたら危険だぞ。警察に相談しておいた方が良くないか。それこそ田西刑事とか井敬刑事とか」


「ストーカーは生活安全課だ。それにタニシたちは邪推するかもしれない。おれたちが次に一人暮らしの女子大生を狙っているとね。きっと邪魔をしてくるだろう」


「うーん」


 ぼくは首を捻った。それも一理あることはある、かもしれない。上手くいけばいいが、丹野だけでなく、女子大生に危害が及んだらと思うと不安になる。丹野が田西刑事たちを好きじゃないのは仕方ないけれど。


「おい、OKだ。協力してくれるってさ」荒川は腕を振り上げてガッツポーズをした。ぼくらに上腕二頭筋を見せたいからだろう。


「荒川氏。念のために連絡先交換を」


「おう!」


丹野と荒川はお互いのスマホを寄せあった。荒川の手が小刻みに震えている。彼の鼻息がうるさい。


「もしなにかあれば、仕事投げだして現場に向かいますから」と荒川。目の錯覚だろうか。荒川の顔は誰かに殴られたように赤らんでいる。


「頼りにしている」


 丹野は珍しく素直に答えていた。

 なんとなく、面白くない。面白くないので、ぼくは自分が担当している客の話題を取り上げた。

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