第33話 「はりきって手伝います」
指定シールが何枚も貼りなおされている荷物。指定が何度も変更になっていることを物語っている。
宅配の配達員は荷物を配達しきることが使命だ。持ち戻り数ゼロを目指す。そんな状況で、受取人からの日時指定はありがたい。その日時に伺えば、ほぼ確実に配達完了になるからだ。
「藤田さんの荷物ですね。いつものことなんで、平気ですよ」
藤田さんは単身赴任の男性だ。妻からの荷物が週に一回届くというお得意様である。だが一度で配達できたことは数えるほどしかない。不在率90%を超える、難度の高い客だった。
しかも再配達連絡は滅多によこさない、電話にも出ない。たまたまタイミングよく手渡しできても、迷惑そうな顔をされる。いつだったか『いらねえんだよなあ……』と溜息をつかれたこともある。苦労して何度も足を運ぶ甲斐のないお客さんである。
再配達指定の日時は受取人からの指示ではない。すべて送り主の妻からである。「おそらくこの日なら、この時間なら、いるんじゃないか」という妻の勘で何度も指定され直す。
妻から送られてくる品物は衣類や食品が多い。単身赴任中の夫への気遣いだろう。夫婦の温度差の違いに翻弄された下村先輩は納得がいかないようすだ。荷物がある限り配達するのが、ぼくらアカブタ運送の使命である。
「そろそろ一週間。保管期限が来ちゃうなあ」
「指定しておいて無視するなんて、酷い客だよな」
「受取人が指定したんじゃないんですよ。にしても奥さんの指定が、なんていうか、ぼくらを顎で使う感じがするのは否めませんけどね。まあそのうち、また指定が入りますよ」
旦那さんはうちらアカブタ運送のように仕事が忙しすぎるのだろうと、勝手に邪推をしている。残業だ、休日出勤だと、働きづくめに違いない。
「それにしたってなあ。受取人と出荷人の間で連絡を取ってくれればいいのに。アタシ、出荷人に電話してやるわ」
「え?」
「──あ、アカブタですけどね。アナタが発送した荷物、不在でしたよ。……ええ、ええ、は? 何度無駄足になったと思ってるんですか。確実じゃなきゃ困りますよ。……そうですよ、迷惑なんですよ。もう保管期限なんでね、そう、……はいはい、じゃ、そうさせてもらいますわ」
そばで聞いていて心臓に悪い会話だ。小口運送業アカブタ運送はサービス業の端くれなのだ。
野田はおそるおそる尋ねた。
「どうなりました?」
「明日の午後行っていなかったら、もう捨てていいってさ。早くそう言やぁいいんだよ。中身なんだろうね、食べられるものならアタシもらっていいよね」
下村先輩は猫には優しいが、客には厳しい。
最終荷物の配達は22時を回った。こんなに遅い時間になるのは繁忙期以外では滅多にない。営業時間をすぎた所内には荒川だけが留守番として残っていた。本当におかしな会社だ。ぼくらが帰車するのを待っていてくれたのが、「公休」の荒川なのだから。
「おかえり~。おれ、そろそろ帰りたいから、先に最終点呼すっぞ。所長からハンコ預かってるんだ」
「はーい。偽造ご苦労様です」
「荒川くん、お疲れでした」下村はニコニコしている。「もうあとは、配達伝票整理して、端末しめて、入金して、報告書書いて、明日の配達荷物を出して、車を清掃すれば終わりだから。大丈夫だよう」
この人の言葉を文字通り捉えてはならない。手伝って、と訳さなくてはいけない。今日一日で学んだことは多い。
「……おれも、はりきって手伝います」
「悪いね~」
1パーセントも悪びれた様子もなく、下村先輩はゆっくりゆっくり仕事をする。
「あのう、もしかして、残業代、稼いでます?」
「うふふ」
「残業代が出ても生産性が悪いと歩合の金額が再計算されて、単価が下がりますよ。あ……!」
配達個数が少ない下村先輩は、そもそも歩合が少ない。勤続年数が長い分基本給が高いから歩合が少なくても困ることはない。基本給を基準にした残業代で歩合以上を稼げるからだ。
あまり一般的には知られていないが、運送業の基本給は低く、涙さえ枯れ果てるほどだ。給料の半分は歩合や各種手当なのだ。
野田の場合は基本給が低いため残業代は少ない。終業時間が遅くなればなるほど、生産性が悪くなり、さらに歩合が下がる。
下村先輩を侮るべからず。猫には優しいが、人間には冷淡だ。
野田は急いで配達機器をしめ、タイムカードを押した。
サービス残業にしたほうが給料がよいなんて、気の狂ったシステムだ。労働時間の改ざん。ブラックの裏技。
「今日も遅かったっすねー。いい猫ちゃんには出会えましたか?」
荒川は先輩に話しかけている。荒川にいたっては無給だ。
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