第15話 「ぼくってゲイに見える?」
「派手な蛍光色、サイズは2L。一方、野田の下着はグレー系ボクサーパンツが多い。サイズはM」
「ちょっ……勝手に見たのか!?」
「一応ブランドものではある。このデザインは3年前の期間限定品。なぜわかるかって? このブランドは簡単な記号をタグにプリントしてる。野田は3年前には太っていたのか。おそらくノーだろう。同じく3年物のジャケットを見つけたがMサイズだった。色柄もこの下着だけ浮いている。考えられるのは、パンツの持ち主は、別人」
「……それで?」
「野田には同性の恋人がいたのか。恋人の忘れ物か。いや、これは新品だ。では恋人へのプレゼントとして買ったのに、理由があって渡せなかった。フラれた。そんなところか?」
「え。ぼくってゲイに見える?」
「さあな。あくまで推理のひとつだ。見た目だけでは性的嗜好は判別しがたい。本棚に12冊の写真集がある。複数のグラビアアイドル。傾向は童顔かつ巨乳。ゲイ関係の本はなし。ファッションにこだわりはなし。ブランド品は皆無。スニーカーは仕事用以外に最低2年は新しいものを買ってない。ゲイではなさそうだが女性の匂いもなし。サイドボードの引出しに入っていたコンドームの箱は未開封のまま劣化していた。EDの可能性あり」
「……なるほど、追い出されるわけだ。で、ブーメランパンツの秘密はそれだけ?」
パンツが飛んだ。丹野がくしゃくしゃと丸めて壁に投げつけたのだ。壁に当たったパンツがそのままストンと床に落ちる。
「推測は無限に可能だ。細かい点を積んでいこう。パンツを見たときの野田の表情。苦い思い出でもあるのか。別れた彼女の思い出なのか。彼女へのプレゼント……ではなく、彼女からのプレゼント、だな。3年は経過している。なぜ取っておくのか。まだ未練がある、ということか」
掃きだめの埃のように壁に身を寄せるパンツを見やり、野田は缶ビールの残りを一息に乾した。
「ぼくに新しい恋人ができたときに燃えるゴミに出してやろうと思ってた。でも時間が経ちすぎてパンツの存在を忘れてしまった。昔々あるところに、恋にうかれた男がいましたとさ──」
ジングルベルが流れるちょっとお高いレストランのテーブルで、彼女からのプレゼントを解く幸福を絵にかいたような男。ぺらんと出現した蛍光色のセクシーパンツを見るや、男は大笑いした。彼女のジョークだと思ったからだ。だが彼女の凍りついた表情を見て、男は悟ってしまった。宅配業界用語でいうところの、誤配──届け先間違い、だったのだ。
心地よい暖かさのレストランで、ふたりのテーブルにだけシベリアの風が吹き荒れた。彼女曰く、ぼくのために用意してくれていたのはMサイズのグレーのボクサーパンツだったらしい。ワゴンセールに山積みされているグレーの。ならばこのセクシーパンツの行先は誰なんだ。
お父さんに買ったの、間違えて持ってきちゃったと彼女は舌を出した。
結局そのまま別れの挨拶をして、ジングルベルが流れる繁華街を、鼻水を垂らしながらひとりで帰った。ブーメランパンツはなぜかポケットに入れて持って帰ってきた。
「二股をかけられていたわけか。しかも浮気相手へのプレゼントのほうが高級品だった。どっちが本命だったのかあきらかだな」
「持って帰ったもののどうしたらいいかわからず、送り返すのも癪だし、なぜか捨てる気になれず、引出しの一番下に押し込んだ。すぐに新しい素敵な恋人を作ってやる、そしたら憎悪をこめて捨ててやるって妄想してた。いつか役に立つかもなんて、ほとんど考えもせず、ただ丸めて隅に押しやって忘れていた。元カノに未練はないよ。裏切られたのは辛かったけど、想いは急速に冷めたからね」
「その後彼女らしい彼女ができなかったのは未練があった証ではないのか」
丹野は冷蔵庫から追加の二本を取り出した。サンキュ、と言って受け取るぼくは感覚が鈍くなっている。
「おかしいなあ。辛い思い出としてファイリングしてあったはずなのに、他人に話してみれば、悲しくもなければ面白味もない内容だよな。殺人事件の容疑者同士で乾杯している今の状態のほうがよほど愉快だ。未練はホントにないよ。恋愛が少しめんどくさく感じるようになったのはたしかだけど。仕事も忙しかったし。でも最近は前向きに考えるようになってきたんだ。EDじゃねーぞ」
「忙しさを理由にしていると、おうおうにして職場恋愛に走りがちになる」
見透かされたかと思って丹野を見ると、彼の両目はいつのまにか、とろんとなっていた。頬骨のあたりがうっすらと赤い。
弱点を見つけた、と気づいた瞬間、口にふくんだビールはいつもより美味しく感じた。
「なあ、遠慮しないでビールもっと飲めよ。そうか、ぼくは新しい人間関係を築けそうだから前向きになれてるってことか。過去は忘れて次へ踏み出すチャンスだな。明るい未来が開けてそうな気がしてきた。けど、今のままだと監獄に入れられそうな嫌な予感しかしないんだけどな。よし、ビールの次は焼酎だ!」
「……いや、きみの無実はおれが証明……あれ、照明が……」ぐるんぐるん揺れながら丹野は天井のライトを指さす。「綺麗だ。虫が飛んでない」
「ムシ~? 」
「街灯には虫がたくさん寄ってきて、数をかぞえながら寝た。それを狙うヤモリは効率的だ……蜘蛛の巣は美しい……」
「おい?」
丹野は前のめりに倒れ、額をテーブルに激しくぶつけた。うつぶせのままで何かつぶやいたがおそらく「痛い」だろう。
突然、パトカーのサイレンが聞こえてきた。丹野のスマホだ。画面には『タニシ』と名前が出ている。
「おい、警察からみたいだぞ。出ないのか」
「……気分が、わる……」
「しょうがないなあ。ぼくが出るぞ。──あのう、もしもし?」
『……丹野はどうした』
「気分が悪いから出たくないそうです」
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