第6話 「ぼくは無実ですよ!」

「まだ判断材料が少ない。おれは占い師ではない」


 ぼくは正直なところ落胆した。どうやら錆びだらけの包丁を天下の名刀だと思い込んでいたようだ。

 田西刑事と井敬刑事は鷹揚に頷いた。どこかほっとした表情にみえる。


「もう少し観察が必要だ。おれが見張っていたほうがいいだろう。今日から一緒に住んで見極める」


「へあ!?」


 熊男はとんでもないことを言い出した。


「おい、冗談じゃない。なんでぼくが、得体のしれない熊男と住まなきゃいけないん──」


 そのとき、言葉の意味に気がついた。

 熊男は『一宿一飯の恩義でもあればともかく』と言ったのだ。

 熊男を見上げると熊男もぼくを見下ろして髭を歪めた。にやりと笑ったのだ。

 あまり良い条件とは言えないが、ここは飲むべきだろうか。


「警察としては人権侵害となるようなことは……」


 渋面の田西をとりなすように、井敬は、


「丹野はあくまで協力者であって警察権力の外です。それにふたりはなぜか知り合いのようですし、どうせヤロー同士ですし、いいじゃないですか。一緒にいてくれた方がいろいろと便利ですよ。ここは見て見ぬふりでいきましょう」


「おまえは相変わらず適当だな。そういうわけにもいくまい」


「やましくなければ断る理由がない。そうは思わないか?」と熊男。


 たんぱく質が腐ったようなにおい、脂が酸化したようなにおいが鼻をついた。野田は顔をそむけ、「わるいけど……」と拒絶した。この取引は不公平だからだ。熊男は信用できない。


「ふん」熊男は大きく鼻を鳴らした。


「さて、今日のところはそろそろ失礼します。お忙しいなか、ありがとうございました。またお話を訊きにきます」田西刑事は慇懃に礼を言った。「丹野、お前も帰るぞ。今から他の聞き込みにつきあってもらうからな」と言って熊男の袖を心底嫌そうにつまみ、井敬刑事と出て行った。拍子抜けするほどあっさりとした去り方だった。


 しんと静まった事務所に残されたのは野田と所長のふたりきり。

 所長は一歩、野田から後退して、


「野田くん……」


「ぼくは無実ですよ!」


「わたしは野田くんが犯罪に手を染めるなんて全く考えちゃいないよー。会社は家族なんだからねー、いつでも味方だよー」


「棒読みですよ。かなり動揺してますね。でもホントーにぼくはやってません。これまでの働きぶりから信じてください。職場と家を往復するだけの生活を送っているしがないアラサーです。ジャンクフードと休日前の缶ビールが生きがいで、ゲームや配信映画が唯一の楽しみで、彼女いない歴3年のふがいない男なんですよ。職場がブラック企業だとわかっていても転職の勇気さえないヘタレなんですよ!」


「それはそれでコメントのしようがないな」


 ピピピ。腕時計が10時を告げた。タイムサービスを納品しないといけない時間だ。


「早く車出さないと。配達に行ってきます」


「あ、野田くん」


「はい」


「きみは大丈夫なのかい。容疑者なんて言われて動揺はしてないのか」


「してないこともないですけど、でも警察は必ず犯人を見つけ出してくれます。ぼくは容疑が晴れるのを信じて待つだけです」


 殺された被害者を思うと、自分が疑われることを心配するよりも、早く犯人を見つけて相応の罰を与えてほしいと思う。

 所長は何度も頷いていた。

 ところが、一番忙しい午前中指定の配達を終えたころ、「今日は午後休を取っていい。明日も休め」と一方的に通告してきた。逆らうこともできず、ぼくは早退した。


 こういった気分が悪い日は、少し奮発するにかぎる。スーパーの寿司コーナーで、いつもなら並を買うところを今日は特上にした。休みの前日は飲むことに決めている。ビールもプレミアムにランクアップだ。

 

 マンションに戻り、鍵を差し込もうとしたときに違和感を感じた。いつもより鍵穴が光っているような気がする。

 だが早く腹を満たしたかったぼくは、気のせいだと軽く流して、勢いよく鍵をまわし扉を開いた。


「おかえり」


「なん……で、おまえ……」


 ソファに熊男がいる。足を組んで偉そうにふんぞり返ってテレビを観ている。まるで自分の家のようにリラックスしていた。


「不法侵入だ。警察を呼ぶぞ!」


「かまわんが、おれの援護射撃を失うことになるぞ。それでもいいのか」 


「援護射撃? ぼくの無実を証明してくれるのか」


「きみは無実だ。おれは知っている」


「え? で、でも、刑事たちには『有力な容疑者』と言っていなかったか?」


「警察は疑っている。きみのことも、おれのことも」


「え、ええ? えええ?!」


「おれは自分で無実の証明は出来る。だが野田には無理だ。田西たちはきみを疑っている。きみが何か隠しているだろうことは警察にはバレているんだ。綺麗ごとしか言わないから心証はよくない。おれが手を加えれば簡単にきみを犯人にでっちあげることができる」


 この男は何を言っているのだろう。罪を捏造することが出来る、冤罪に陥れることが出来ると言って、ぼくを脅迫しているのか。頭がおかしいんじゃなかろうか。

 熊男はぼくの右手に下がったスーパーのレジ袋を指さし、手振りで持ってくるよう指示をした。貢物を要求する悪魔。だがそう簡単に服従はしない。


「ならば証明してみせろよ、ぼくの無実を。できたらメシも食わせてやるし、泊めてもやる。あ、言っとくけど、ぼくが心優しい善人だからってのは無しだぞ。警察が納得する、客観的な証明をしてくれ」


 熊男は大口を開けて笑うと、


「見ず知らずのホームレスにハンバーガーを恵んでやるほどの善人なら人殺しなんかしない、なんてのは幼稚園児の感想だ。誰でも人を殺しうる。きみは、殺人事件を非日常の世界の出来事だと考えたいのだろうが、残念ながら、非日常と日常は地続きなんだ。そして理不尽と不運はいつも足元に落ちている」熊男は一拍の間をおいてから、声を低めた。「警察が納得する客観的な証明は今は出せない。出せばおれは用なしになる。代わりにおれの洞察力を披露しよう」

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