後編(Happy version)

「マスター、この前の大雨は大丈夫だったの?」

「また、床上浸水にならなかった?」

 ビルの地下にあるショットバーのカウンターに座った常連客は、マスターに尋ねた。


「もう大変でしたよ、本当に……」 

「お客様が全然来ないので外の様子を見てみたら、あの大雨で」

「側溝を見れば、もう詰まりかけて溢れる寸前」

「慌てて溝浚いをして、びしょ濡れになりましたよ!」

「それはマスター、ご苦労様で…」


「でも、来客はあった様だね」

 常連客はカウンターの端に畳んである黄色い雨がっぱに視線を送る。

「あれは本業魔法使いのお客様の忘れ物でして、今日取りに来ますよ」

「ふーん、それでは邪魔にならない様に今日はこれで退散するよ」



「また彼女カクテルグラスと会いたいなぁ……」

 常連客は会計をする時に呟いた。

彼女カクテルグラスとの約束で、一見さん初めての客専用なのでご勘弁を……」

 マスターはお釣りを返しながら答えた。

「じゃぁ、また来るよ」

 そう言って常連客は店から去って行った。


「何故かあのお客様だけは彼女カクテルグラスに御執心なんだよな、不思議だ…」

 マスターは心の中で呟く。




 不意に店のドアが開いた。

「いらっしゃいませ」

 マスターが視線を向けると、誰も居ない。

 落ち着いて視線を下げると、この前の少女が立っていた。

「いらっしゃい、よく来たね」

「またホットミルクでいいかな?」

「うん! わたし、ミルクだーい好き!」

 少女は嬉しそうにカウンター席によじ登って座った。相変わらず、床に届かない足をユラユラと揺らしていた。


「あのねおじさん、この前おじさんと話をしてたら、眠くなったの」

「でね、目がさめたらお家にいたの」

「そしたら、ママがお家に帰ってきたの!」

「ママを見たパパはビックリして、お家を出て行ったの」

「いつもブッていたパパが居なくなって、やさしいママが帰ってきたから、わたしとってもうれしいの!」

「おじさん、わたしの願いをきいてくれてありがとう!」

 ホットミルクが出来る間に、少女は嬉しそうに話をした。


「今日はママと一緒に来たんだよね? ママもこちらへ呼んだらいいよ」

 マスターはホットミルクとコーヒーのカップを出した。

「ママ! ママ! こっちに来て!」

 少女が呼びかけると、母親が入って来た。

 母親はコーヒーを飲みながら話を始めた。


「この度は大雨の時に娘を保護して下さって、本当にありがとうございます」

「私、夫から暴力を振るわれた時に、発作的に外へ飛び出してしまったのです」

「夫の怒りが収まるまで時間を潰そうと夜道を歩いていた時に、後ろから来た車に轢かれてしまいました」

「その時に記憶喪失になってしまって、怪我の完治と記憶が戻るのに一ヶ月が過ぎていました」

「この前の大雨の次の日に自宅へ帰りました」

「自宅へ戻った私を見た夫は、まるで様な顔で驚いて外へ飛び出して行きました」

「夫はもう、戻ってこない気がします……」

「これから先は娘と二人で、一生懸命に生きて行きます!」

「この度は本当にありがとうございます!」

 母親は深々と頭を下げた。


「これからは娘さんとで、幸せに暮らして下さいね」

 マスターは優しく答えた。そして少女に、

「お嬢ちゃん、この前の忘れ物を持って帰ってね」

 と、黄色い雨がっぱを少女に渡す。


 その時、少女に小声で、

「おじさんが『まほうつかいのおじさん』なのは、みんなにはナイショにしてね」

 と、お願いした。

「うん! わかった!」

「おじさん、ありがとう!」

 少女はマスターの頬にチューをした。


「まぁ! この子は! 何処で覚えたのかしら!」

「本当にすいません……」

 母親が恐縮する。

「いえ、いえ、とても良い物を貰えて嬉しいですよ」

 マスターは笑顔で答えた。




 少女と母親が帰った後、マスターはカップを洗い磨きながら独り呟く。

「今回は随分と経費を使ってしまいましたな……」

「流石の私でも、を元に戻すのは難しかった」

「しかし、代わりの魂夫の魂が有ったので何とかなりましたよ」

「夫は自分が掘った母親を埋めた穴に埋まって、もう出てこないでしょう」

「まぁ、とても良い物を貰ったので、これで良しにしましょう」

「多少のは、私からのサービスです」

 マスターはチューを貰った側の頬を撫でて微笑んだ。



 マスターはカクテルグラス 彼女 を磨こうとして、手に取った。

 冷たいはずのグラスは人肌位に温かった。

「なんだい、私にヤキモチを焼いているのかい?」

「または、他人のキスを見て興奮したのかい?」


「え、違う? あの少女の様な子供が欲しいって?」

「それなら、元に戻らないといけないね……」

「もし気に入った人が見つかったのなら、遠慮せずに私に言いなさいね」

「何時でも元に戻してあげますよ」

「その分のお金は、もう頂いていますから……」


 マスターの磨いていたカクテルグラス 彼女 は返事をする様に、温もりが増していった……

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