人売大解放
ホンチョー村を後にした一行は、森を抜けて街道を歩いていた。村での出来事は、未だにヒロユキの心に重くのしかかっている。
しかし、全く意に介してない者もいた。
「にゃははは! お日様ぽっかぽっかにゃ! 気持ちいいにゃ!」
先頭を歩く……いや飛び跳ねているチャムの、あまりにも陽気で能天気な声が聞こえてきた。隣にいるガイは無理にしかめっ面をしているが、時おり、チャムを見ては顔をほころばせている。
ヒロユキはそのふたりを見ていると、不思議と微笑ましい気持ちになった。ガイは多くを語らないが、一度だけ聞いたことがある。両親は火事で焼け死んだ、と……顔や体に付いた火傷痕は、その時のものだろう。
そんなガイに対し、チャムは純粋な感情を素直にぶつけている。好きだという感情を隠そうともせずに。そんな両者を見ているだけで、ヒロユキは幸せな気持ちになる。
だが同時に、ふたりの行く末についても考えてしまう。もしこのまま、チャムが付いて来てしまったとしたら? チャムにとって、それは幸せなこととは言えない。この世界とは違い、高度に文明の発達した日本で暮らすのは不可能だろう。チャムには戸籍がない。いや、それ以前に……猫の耳と尻尾の付いた人間など、科学者たちに捕まったらどんな目に遭うことか。
ガイとチャムには、幸せになって欲しい。ふたりが不幸になる姿など、絶対に見たくない。
ヒロユキはそんなことを考えながら歩いていたが、ふと自らの変化に気づく。いつから自分は、人の幸せを素直に願える人間になったのだろうか? 家に引きこもっていた当時の自分は、他人を罵倒し、他人の努力をあざ笑い、他人の不幸を喜ぶ人間だったはずだ。さらに言うなら、そんな自分のことも大嫌いだった。
なのに、今は?
「みんな止まれ。チャム、静かにしろ。前から何か来るぞ」
突然、ガイの声が飛ぶ。彼の目が何かを捉えたらしい。一行は立ち止まり、ガイの次の言葉を待つ。周りは草原であり、身を隠す場所などほとんどない。敵意を持った者が来た場合、戦いは避けられないだろう。
「ヒロユキ、この辺りではどんな奴が出る?」
ギンジが尋ねる。
「この辺りは、せいぜい山賊くらいのはずなんですが……」
「まさか、ラーグみたいなのが他にもいるのか?」
「分かりません。ただ、あんなのはそういないと思いますが」
答えた時、向こうから来る者が見えてきた。どうやら馬車のようだ。非常にゆったりとしたスピードで進んでいる。歩くのとさほど変わらない……いや、歩くより遅いかもしれないスピードだ。さらに、数人の男たちが馬車の周りを囲むようにして歩いているのも見える。
「ギンジさん、どうする?」
ガイが尋ねた。彼はナイフを抜いていて、いつでも投げられる構えをしている。
「とりあえずは、脇に退いて馬車を先に行かせよう。下らない争いは、しないに越したことはない」
ギンジの言葉に、皆が頷いた。
大きな馬車と、その周りを歩いて付いて来る武装した二十人近い数の男たち。
そんな連中が、ゆっくりと近づいて来た。みな槍や剣などの武器を持ち、革の鎧を着ている。しかし、馬車が近づいて来るにしたがい、妙な点に気づいた。
まずは、馬車から漂ってくる悪臭だ。周りの男たちも顔を歪めている。
さらに、馬車の荷台は檻となっている。そこに入っているのは人間なのだ。それも、ひとりやふたりではない。十人近くいるだろう。それだけの人数が、五メートル四方の大きさの檻に閉じ込められているのだ。
馬車が近づくにつれ、檻の中の様子もはっきりと見えるようになる。
「ひでえな……」
思わず呟いたのはガイだ。檻の中にいるのは、ボロ切れのような服を着て痩せこけた幼い子供たちである。悪臭は子供たちの体から匂ってくるようだ。恐らく、もう何日も体を洗っていないのだろう。
そんな馬車を操っているのは、顔に傷痕のあるいかつい大男である。その横に座っているのは強欲そうな顔をして小綺麗な着物を身にまとい、肥え太った中年男である。両者ともに、顔をしかめながら馬車を走らせている。
ギンジたち一行は道を譲り、馬車と男たちを通らせた。馬車はギンジたちの前を一旦は通り過ぎた……はずだったが、すぐに停止した。
馬車の上にいる太った中年男が振り返り、こちらを見ている。その視線は、チャムを捉えていた。
「なあ、あんたら。儂は商人のアルゴという者だ。この辺りでは、少しは知られておる。ところで、そのニャントロ人なんだが……幾らで売る?」
その言葉を聞いた瞬間、ガイの表情が変わる。
「んだと!」
「まあ待てガイ。アルゴさん、こいつはオレたちの仲間だ。だから売れねえんだよ」
ギンジが前に進み出る。同時にカツミも進み出て、さりげなくガイとチャムの前に立つ。
だが、アルゴには引き下がる気配がない。それどころか、馬車を降りて来たのだ。こちらに向かい歩き、ギンジの目の前で立ち止まる。
「なあ、あんた。そこのニャントロ人は高く売れるぞ。金貨五十枚で譲ってくれんか」
「てめえ! いい加減にしろって言ってんだよ!」
憤然となるガイだったが、横から押し止める者がいた。
「ガイくん、今はまだ戦う時ではありません」
今度はタカシが進み出る。不敵な笑みを浮かべながら、アルゴの前に立った。
「アルゴさん、と言いましたね。我々は、この娘を売る気はありません。この娘……いやチャムは、我々にとって道案内であると同時に大切な友人でもあります。お引き取りください」
笑みを浮かべながらも、鋭く言い放った。普段のヘラヘラ笑いが嘘のような雰囲気である。しかし、アルゴの方も一向に引く気配がない。
「だったら、金貨──」
言い終えることはできなかった。いつの間にかチャムが、カツミの脇をすり抜けて前に出て来たのだ。彼女は憤然とした様子で、アルゴの前に立つ。
「なー!」
チャムは、掛け声と同時にアルゴを殴った。アルゴはその一撃で無様に吹っ飛ぶ。うめきながら、顔を押さえて仰向けに倒れた。
「お前は悪い奴だにゃ! チャムは、お前なんかとは行かないにゃ!」
いつも陽気でニコニコ笑っているはずのチャムが、今は顔を歪めて怒っているのだ。短い赤毛が逆立ち、尻尾が異常に膨れ上がっている。恐らく、ケットシー村での一件を思い出したのだろう。倒れているアルゴを見る目には、怒りと憎しみとが宿っていた。
「こいつ、けだものの分際で……お前ら! このニャントロ人を捕まえろ! 金ははずむぞ!」
アルゴの声。と同時に、周囲にいた男たちが一斉に動く。手にした武器を構え、ジリジリと近づいて来た。
その動きにいち早く反応したのは、カツミだった。右手でバトルアックスを構え、威嚇するようにぶんぶん振り回す。そして左手の日本刀はまっすぐ男たちに向けている。男たちは動きを止めた。怯んでいるのがはっきりと見て取れる。
「お前ら、悪いことは言わねえ。長生きしたかったら失せろ」
カツミの声は静かなものだった。しかし、その静けさが怖さに拍車をかける。元々はただの傭兵なのだろう、奴隷たちの護衛のために雇われ、相手はせいぜい山賊だろうと……バトルアックスを片手で振り回す敵との戦闘は想定していなかったらしい。
しかし、御者台にいた男が降りて来た。顔に傷痕のある大男だ。カツミにも負けないくらいの体格をしている。大男は、怯んでいる手下たちに怒鳴った。
「お前ら何やってる! さっさと殺せ──」
次の瞬間、大男は驚愕の表情を浮かべる。自分の喉から、金属の何かが生えていた。ガイの投げたナイフの柄だ。正確に喉に突き刺さっている。大男はナイフを抜き、何事かわめこうとした。
だが声が出ない。次の瞬間には、喉から大量の血が迸る。大男は喉を押さえてうずくまった。だが最後の力を振り絞り、立ち上がってカツミに向かって行く。
だが、カツミのバトルアックスが一閃した。
直後、大男の首が落ちる。
「ば、化け物だ!」
誰かが叫ぶ。と同時に、男たちは一斉に逃げ出して行く。アルゴもまた、男たちと共に逃げて行った。
しかし、ヒロユキは呆然としていた。なぜ、こんなことになったのだ……不良少年同士のケンカのような下らないやり取りの末、人がひとり死んでしまった。
こんな下らないことで。
「ガイさん──」
「ヒロユキ、言いたいこと分かる。だが今はやめておけ。はっきり言って、あれは仕方ねえ。むしろ、ひとりで済んで良かった」
言いかけたヒロユキだったが、ギンジが肩を掴んで制する。
その表情は、普段と同じだった。いやギンジだけではない。タカシも、カツミも、ガイも、チャムも、みんな平然としている。人がひとり死んだというのに、誰も気にも止めていないようだ。
ヒロユキは改めて、自分と他の者たちとの差を感じた。
ぼくは考えが甘いのか?
この世界では、人殺しが当たり前なのか?
いや、そんなはずはない。
ヒロユキが考え込んでいる間に、ガイは馬車の荷台に上がり、檻に近づいた。鉄格子の扉を、超人的な腕力で無理やりこじ開ける。
「お前らは、もう自由だ。さあ、逃げろ」
しかし、子供たちには動く気配がない。皆で隅の一角に固まり、怯えた目でガイを見ている。
「おい、何なんだよお前らは! 逃げろって言ってんだよ!」
苛立ったような表情で怒鳴るガイだった。
「やめろガイ。こいつらは、どうすればいいかわからねえんだ」
後ろから、カツミが冷静な声をかける。
「昔ヤクザだった時、こんな奴らを大勢見てきた。日本に売られてきた子供たちを、な。こいつらは命令されなきゃ何もできないのさ」
「そんな……」
ガイは唖然とした表情で、子供たちひとりひとりの顔を見つめる。
だが、子供たちは動こうとしない。怯えた目で見つめ返してくるだけだった。彼らからは、意思や覇気といったものが感じられない。自由を得た喜びもなかった。
「な、何だよ。お前ら、奴隷の方が良かったってのかよ……」
ガイは、虚ろな表情で呟く。その横に来たヒロユキとチャムも、黙って見ていることしかできなかった。
「仕方ないですね。彼らは街に連れ帰り、別の商人に引き渡すしかありませんよ」
そう言ったタカシの表情は、いつになく神妙なものだった。彼は子供たちを見つめる。
直後、タカシの表情が歪む。だが、それは一瞬の出来事だった。すぐに、いつものヘラヘラ笑いが顔に貼り付いた。
「ただ、どこかに湖でもあればいいんですがね。彼らの体を洗ってあげないと不衛生ですからね。我々の鼻もおかしくなりますし」
そう言いながら、周囲を見渡す。辺りは草原であり、湖などない。ヒロユキはふと、水と安全はタダと言われていた日本での生活を思い出す。そして、目の前にいる子供たちを見た。あまりにも汚く、臭く、哀れだ。しかし、これが現実である。コルネオ、オックスとラーグ、そして売られる子供たち。異世界の現実を目の当たりにし、ヒロユキは今にも押し潰されてしまいそうな気持ちになる。
こんな世界、チート能力もらっても来たくない……。
ヒロユキがそんなことを考えながら見ていると、ひとりの少女が目に留まる。両手両足を縛られ、口には猿ぐつわをされ……他の子供たちとは扱いが違う。ずだ袋に穴を開けたような服を着せられている。色は白く、手足は枯れ枝のように細い。だが、それよりも大きな特徴があった。
その額には、透明の宝石が埋め込まれているのだ。
これは見覚えがあるぞ。
そうだ、思い出した……。
これ、魔法石じゃないか。となると、この娘は魔法のための女奴隷?
ゲーム『異世界転生』において、魔法を覚えるためには魔法石を埋め込まれた女奴隷が必要だった。主人公は美少女の奴隷を買い、そして魔法を覚える。魔法石の種類によって、さまざまなタイプのキャラが登場していた。しかし……現実に現れた女奴隷は、あまりにも異質で、哀れな存在に見える。
ヒロユキは複雑なものを感じながらも女奴隷に近づき、縄を切った。さらに猿ぐつわも外す。
「君、大丈夫?」
声をかけたが、女奴隷は答えない。怯えた目で後ずさり、首を振る。
ヒロユキは、優しく微笑みながら喋り続ける。
「ねえ君、名前は何ていうの?」
女奴隷の目から怯えの色が消え、代わりに困惑の表情が浮かぶ。彼女はもう一度、首を横に振った。そして顔を上向きにし、アゴを上げて喉を指差す。
「な、何だと……」
ヒロユキの口から、怒気を含んだ呟きが洩れる。そばにいたガイも、険しい表情だ。
女奴隷の喉には、刃物で斬られたような大きな傷がついていた。
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