花田克美のこと(注:この話もこちら側の世界の出来事です)

 規模は小さいが、その筋ではそこそこ有名な任侠団体である花形組。

 そこの組長である花形貢は今、驚愕の表情を浮かべていた。

 深夜にタクシーから降り、自宅に向かい歩いていた時、いきなり何者かの襲撃を受け……目の前で、ボディーガードのふたりが一瞬にして叩きのめされたのだ。

 そして叩きのめした男は、芝居がかった大げさな態度で名刺を渡してくる。


「どうも、ルポライターの天田士郎といいます。ちょっとお話が聞きたいのですが――」


「てめえ何なんだ! ヤクザ相手にこんな真似しやがって! ただで済むと思うなよ!」


 花形は、凄まじい形相で吠える。だが、士郎は全く怯まない。それどころか、ニヤニヤ笑っている。


「いやー、ヤクザの組長だってんなら、もう少しマトモなボディーガードを雇いましょうよ。ま、花田克美がここにいたら……私なんぞは瞬殺されていたでしょうがねえ」


 その言葉を聞いた瞬間、花形の表情が一変する。


「てめえ、奴を知ってるのか! 奴はどこに──」


「いい加減にしろ」


 士郎の顔に、奇妙な表情が浮かんだ。次の瞬間、花形の喉に何かが食い込む。

 それは人間の手のひら、そして指だ。凄まじい握力で絞め上げられる。


「うっ!」


 花形は声も出せず、もがき苦しむ。やがて、意識が遠のいていった。




 花形が意識を取り戻した時、彼は縛られ、パイプ椅子に座らされていた。周りを見ると、木造の小屋のような建物にいるらしい。それも、山小屋のようなものだ。殺風景で、生活の雰囲気がまるで感じられないのだ。

 目の前には、パイプ椅子に座った男がいる。先ほど、組員ふたりを一瞬で倒した天田士郎という男だ。

 士郎は、不気味な表情を浮かべている。花形にとって、どこか見覚えのある表情だ。この男と会ったのは、これが初めてのはずだ。にも関わらず、この表情と雰囲気には覚えがある。


 何だ、こいつは……。

 どこかで会ったか?

 いや、会うのは初めてのはず。

 思い出した。

 こいつは、克美の野郎にそっくりだ。


 顔つき、体格、声……どこにも似たところはない。なのに、かつて自分が拾い組員にした男と同じものを感じるのだ。


「なあ、組長さん。教えて欲しいのは、花田克美のことだ。正直に話してくれよ」


 士郎の不気味な表情を前に、花形は逆らうことが出来なかった。口が勝手に開き、話し始めていたのだ。




 まだ、花形が二十歳そこそこのチンピラだった頃のことだ。ヨーロッパのとある小国に仕事で出向いた時、あの男と出会った。


 ヨーロッパにある小国・デボン共和国は……かつて、独裁者とその一族が長年に渡り力を背景とした恐怖政治で民衆を弾圧していた。その後、革命が起きて独裁政権が崩壊したものの、当時はまだ政情は安定しておらず、無法地帯にも等しい状態となっていたのだ。

 そんなデボン共和国で、花形は売春婦の調達係をさせられていた。そこで、克美と出会う。

 そもそも、当時の克美には名前すら無かった。ボロボロの汚い服を着て、裏通りでゴミ箱を漁っていたのだ。一目見た時には、ただの大柄な浮浪者だとしか思わなかった。だが、その後に……花形は、恐ろしい光景を目にする。


 数人の若いチンピラが、ゴミ箱を漁っている克美に因縁を付け始めた。だが襟首を掴んだ時、克美は動く。大きな体が、はっきりと見えないくらい素早く、かつ力強く躍動する──

 直後、一分と経たない間に、全員が路上に倒されていたのだ。

 一方、克美は息も乱していない。平然とした様子で、こちらを向く。

 その時、花形は初めて気づいた。凶行の主は、東洋人の少年だった。ひょっとしたら、日本人かもしれない。

 花形は思わず、声をかけた。


「おい、そこのあんた。何やってるんだ?」


 すると、少年はこちらを向く。


「あ、に、日本の人ですか……」


 凶悪な風貌からは想像もつかない、たどたどしい日本語が返ってきた。


 当時、克美がなんと名乗ったか花形は覚えていない。花形が覚えているのは、克美はデボン共和国で日本人の母親と暮らしていたが、母親に捨てられ、さらに革命の時、育ての親と住む場所を失った……という話だけだ。

 花形は克美のケンカの強さと天涯孤独な背景に目を付け、知り合いの日本人の中年男と養子縁組を結ばせた。やがて日本国籍を取らせ、日本に連れ帰る。その後は、半ば強引に組に引き入れる。名前も改名させた。




 組員になった後の、克美の働きは凄まじいものがあった。


 中国人マフィアのアジトに単身で乗り込み、十数人を惨殺したのち全てを爆破。


 兄貴分である花形に因縁を付けたコロンビア人組織の日本支部を壊滅。


 敵対するヤクザ組織にひとりで乗り込み、素手で全員を叩きのめした挙げ句、警察に通報した。結果、その場にいたヤクザは……克美を除く全員が、銃刀法違反で逮捕されたが、克美には正当防衛が認められた。


 克美の身体能力は人間離れしており、野獣並みの腕力と素早さを兼ね備えていた。また銃器の扱いにも長けていたが、最も恐ろしいのは凶行の際の冷静さだった。普段は荒々しく感情豊かな克美が、戦闘の際には殺人マシンのように冷静かつ正確に行動するのだ。


 そんな克美の化け物じみた活躍の結果、花形は出世していく。

 だが、想定外のことが起きた。  


「あいつは、いきなり消えちまった。しょせん、あいつは日本では生きられない男だったんだ──」


「死ぬはずだったのに、行方不明じゃ不安だよね。いつひょっこり現れるかわからないし」


 士郎が口を挟む。その瞬間、花形の表情が凍りついた。


「な、何を言ってるんだ?」


「あんたは克美の力を利用し、花形組という組を興すまでになった。そして組の規模も少しずつ大きくなった。しかし、そうなると次に必要なのは金儲けの上手い人間だ。人殺ししか能のない克美は必要ない。しかも、克美はあんたの知られたくない部分も知ってる」


 淡々とした口調で語る。聞いている花形の表情は凍りついていた。

 そんな花形の反応を見ながら、士郎は喋り続ける。


「だから、あんたは克美を消すことにした。鉄砲玉に仕立て、日本最大の中国人マフィアの本部に殴り込みを掛けさせてな……ついでに中国人マフィアの方には、トチ狂ったバカがそっちに向かってますよお、って匿名の電話を入れてな」


「な、何でそれを知ってる……」


「あのなあ、ちょっと調べりゃ、猿でもできる推理だよ。あんたにひとつ教えてやるよ。克美がどうしてああなったかを、な」


 ・・・


 デボン共和国。

 今でこそ、民主主義の国となってはいる。しかし、かつて独裁者とその一族が力で支配していた時代……その狂気の矛先は国民にだけ向けられていたのではなかった。

 独裁制の時代、デボンの周辺では外国人旅行客が行方不明になる事件が年に数回起きていた。行方不明になるのは、決まって若い女性である。


 その行方不明になった女性たちのほとんどが、独裁者ナジーム・バレクの一族の奴隷となっていたのだ。

 克美の母親も、元は日本からの旅行者だったのだが、バレク一族の人間にみそめられて捕らわれた。その後、待っていたのは奴隷としての生活……。

 やがて子供が産まれたが、しばらくすると、その子供は母親から引き離され、とある施設に預けられる。

 デボン共和国の狂気の巣窟と後に評されることとなる、ヨハン・ベルーセン教授の研究施設は、ナジーム・バレクの命令により、ひとつの研究に心血を注いでいた。最強の兵士を造り出すという、あまりにバカげた研究である。

 強力な筋肉増強剤の投与、洗脳による記憶の消去、繰り返し行われる戦闘訓練など……実験体となった少年たちは、あまりにも過酷な環境での生活を強いられた。当然、被験者の少年たちは耐えきれずに次々と死んでいく。

 だが、奇跡が起きる。ひとりの東洋人の少年が、薬物の副作用にも洗脳にも過酷な戦闘訓練にも耐え抜き、一人前の兵士として成長したのだ。彼はいずれ、最強の兵士として独裁者に御披露目されるはずだった。

 しかし、革命が起きる。革命により、ベルーセンは死亡。施設は暴徒化した民衆により破壊された。だが不思議なことに、実験体となった東洋人の姿は発見されなかったのだ。


 ・・・


「その東洋人が、克美だったってワケだよ。いやあ、調べるのに金かかったぜ」


 士郎は語り終えると、ポケットからタバコの箱を取り出した。彼は一本抜き、口にくわえる。


「そ、そうだったのか……だが、それはオレのせいじゃねえだろうが」


 いつのまにか、花形は震え出していた。士郎の顔つきが、どんどん奇怪なものになっているのだ。何か楽しいこと、ワクワクするような出来事を前にしている子供のように。あるいは、獲物をいたぶる猫のように。


「本当に、あんたは悪くないのかな? あんたは克美を拾い、日本に連れて来た。日本人の身分を与え、そしてヤクザにした。そこまでは良いよ。問題は、その後だ。あんたにとって、克美は邪魔になった。だから始末することにした。さんざん利用した挙げ句ポイ捨てってのは、誉められたもんじゃないよなあ」


 しかし、花形の耳には何も聞こえていない。

 彼は空気の変化を感じていた。室内の空気が、どんどん変化している。重苦しく、濃厚なものに……その元凶は、目の前の士郎だった。士郎は笑っている。不気味な笑顔で、花形を見ているのだ。


「お前は、何者なんだ……」


 士郎のあまりに不気味な笑顔を目の当たりにした瞬間、花形は冷静さを保てなくなっていた。震えが口にまで伝染し、歯と歯があたりガチガチと音をたてる。

 その音が室内に響き渡り、士郎は眉をひそめた。


「あんた、オレの話を聞いてんのかい?」


 士郎は、タバコを花形の額にグリグリと押し付けていく。すると、花形の口から悲鳴が上がる。だが、士郎は手を止めない。無理やり、火を揉み消した。


「だらしねえな。克美だったら、声ひとつ上げないだろうぜ」


「お、お前……ど、ど、どうする気だ……」


 花形はガチガチ歯を鳴らしながら、どうにか声を出す。


「はっきり言おう。オレはあんたが嫌いだ。あんたは、昔見たクズ野郎どもにそっくりだ。ボディーガードがいた時だけ、やたらと勇ましかった奴にな。あんたを見ると、そいつを思い出すんだよ。だから……」


 言いながら、士郎はナイフを取り出す。ヒィ、という声を上げ、花形はもがいた。

 だが、士郎はお構い無しだ。花形の背後に回り、縛っていたロープを切る。

 ニヤリと笑った。


「生き延びたければ、オレと闘って勝つんだな。オレはあんたとは違う。約束は守るぜ」


 言いながら、士郎は花形を首根っこを掴んだ。凄まじい腕力で持ち上げると、床に叩きつけた。

 花形は床に倒れる。しかし危険にさらされてヤケになったのか、さっきまでの怯え方が嘘のように立ち上がり、士郎に猛然と突進して行く。

 だか、そこまでだった。

 花形の腹を襲う、強烈な膝による一撃。何か重たい物が腹を貫き通し、背中にまで達するような強烈な痛みだ。彼は耐えきれず、崩れ落ちる。


「あんたは、本当につまらん男だな」


 花形がこの世で最期に聞いたもの……それは、士郎の侮蔑の言葉だった。





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