その1 第一話

ニブルヘイム・ガルガンチュア

 「ふぅっ!?くうっ……こ、ここは」

 男が目を覚ますと、そこはどこかの屋内だった。男が元居た場所と比べ、十世紀ほど昔の……

 「……待て……僕は一体、どこから来た。それに、ここはどこだ。元居た場所とはなんだ」

 記憶が無い、というのが適切かは元の記憶がないのでわからないが、最低限必要なことも覚えていないらしい。

 理解を要するが、男は記憶喪失ということでいいようだ。倫理観、常識はある一定を保持している。

 男が今居るところは、西暦でいう1400年代のヨーロッパのような、ファンタジー好きの日本人が好みそうな、煉瓦造りの城だった。凍えるような冷気が石と石の間から、絶え間なく漏れ出している。

 「……人の気配はあるようだが」

 こんな城が権力の象徴だった中世の感覚では、異邦人を迎え入れるような寛容な文化は恐らく無いだろう。人の気配があり、男の存在の拠り所を欲しているからと言って、むやみに人に遭遇していいわけではない。

 廊下の方から男性の声が聞こえる。男は隠れて聞くことにした。

 「ヴァルナ、バロンの様子は」

 「ふむ……ラーフの鑑定に依れば、命に別状はないようです。しかし……あのパラミナでの決戦の時に倒れたことによる被害は、彼の命一つで償い切れないでしょう」

 「……我らとて、まだ負けたわけではない。バロンが生きていることがわかれば、まだ反撃の糸口は見つけられるというものだ」

 男性の容姿は二十代後半と三十代前半……といったところ。男のことを話しているようだ。

 「バロン、入るぞ」

 男はその二人組が入ってくることは予期できた。ベッドに戻ったが、先程の男性たちを改めて見てみると、廊下から聞こえた重みのある声が出るとは思えない、端正な顔立ちの美青年が二人居た。

 「バロン。貴様には、先の国境での戦いの折何が起きたのか話してもらうぞ」

 男性の片方が男に向けて話しかけた。ヴァルナと呼ばれていた男だ。

 「……ふむ。僕はバロンという名なのか。ではそう名乗らさせてもらう」

 男はわざとらしく顎に手を当てた。

 「ふざけているのか?」

 ヴァルナは眉間に皺を寄せた。

 「……さあ、どうだろうか。何分ここがどこかすらもわからぬものでな」

 「わからないわけが無いだろう、ここは我が軍の首都、ガルガンチュアだぞ」

 「……そもそも、だ。僕は国境で戦った記憶などない。僕……?いや私は研究所に……

 すまないが、何もわからないんだ」

 傍観に耐えかねたのか、もう片方の男が口を開く。

 「そこからか……いいかバロン。私の名前はエンブルム。三大国の一つ、ニブルヘイムの王だ。この世界には女は一人しか居らず、その一人の女を巡って砂漠の国、パラミナと炎の国ムスペルヘイム、そして氷の国ニブルヘイムで争っているのだ。たった一人のその女は『神子』と呼ばれている」

 「……何?女が一人だと?バカな、ならこの世界はどうやって成り立ってるんだ」

 「私たちは過度の外傷以外で死ぬことはない。老いることは無いんだ」

 「……なるほどな。それで、僕はお前たちの部下か何かだったのか?」

 バロンはただ疑問を口にしたが、それがヴァルナの逆鱗に触れたようだ。 

 「貴様のせいで我々ニブルヘイムは国土の大半を失ったんだぞ!自分の責任から目を背けている場合ではない!」

 バロンの首に氷で出来た剣があてがわれる。

 「……ほう。本当に追い詰められているのなら、誰かの責任を追及するよりすることがあるんじゃないのか」

 「ふざけるな!」

 首元で氷剣が壊れる。

 「だが、貴様の言うことも一理有る。……貴様は、何をどれほど覚えている」

 ヴァルナは落ち着きを取り戻し、話をする気になったようだ。

 「……ああ。僕は何故ここに居るのかわからない。お前たちの知っているバロンが誰かわからないし、俺の名前がバロンかどうかもわからん」

 「なるほどな、記憶が無いということか。ひとまず、ここはニブルヘイムに協力してくれないか?」

 「……ああ、わかった。それ以外の選択肢も無いのだろう?」

 「物分かりがよくて助かる」


 会議室

「バロン。戦況の説明をする」

 ヴァルナがバロンの方を向きつつ、液晶のようなものを指で示す。

 その液晶には、地図と各軍勢の分布が記されていた。

 「赤がムスペルヘイム、黄がパラミナ、青が我らニブルヘイムだが、見て解る通り、我らの領地は無いに等しい。要であった国境の戦いにて凄まじい嵐が発生し、それによって国境が突破されたことで最早絶体絶命ということだ」

 「……なるほど、その国境の戦いに俺は出撃していたと、そういうことだな」

 「察しがいいな、その通りだ。先程はすまなかった。お前の責任でないことは知っていたのだが」

 「……気に病むな。まだ負けていないのなら、勝機は確実にある」

 「ふ、そういうところは忘れていないようだな。当然、まだ負けてなどいない。ムスペルヘイムは数こそ多いがその大半が機甲虫という生物兵器でしかない。極めて練度の高い少数で構成された我々と比べて個々の戦闘能力は極めて低い」

 「……ニブルヘイムまで攻め上がってきているのは少ないな」

 「やはり本能的な戦闘のセンスは隠せんな、バロン。そう、今氷竜の骨まで攻め上がってきているのは極少数、それも特段強い面子が揃っているわけでもない。

 そこで、私とお前の二人で氷竜の骨を奪還する。お前の記憶の復旧、そして戦力面から見てそれが最良だ」

 「……将軍自ら前線に出撃するのか」

 「ああ、何せもう残っている兵自体が少ないからな」

 「……わかった」

 

 ニブルヘイム・氷竜の頚椎

 城の外は一面の雪景色、北の狐の城のような、白一色だった。

 氷竜の骨へはガルガンチュアを出て、古代世界の時間で言う一時間程で着く。

 「……どうしてそんな近くまで来たんだ」

 バロンがヴァルナに問う。

 「機甲兵にロクな思考ができるとは思えん。あと少しで勝てるとか、自分が大将の首を獲るとか、そういう下らない欲で周りが見えてないんだろう」

 薄い新雪の下は岩かと思えるほどの硬度の氷が鎮座している。

 しばらく歩くと、開けた空間に無数の細いなにかが張り巡らされた場所に出た。

 「ここが氷竜の骨。あそこに建物があるだろう。あれが地下の食料を発掘する基地だ」

 「……地下の食料?」

 「わからないか。この世界は砂漠、火山、氷山で成り立っている。食料などあるわけがないだろう。食べなくても命に別状は無いが、士気が違うだろう」

 「……そういうものなのか」

 「ともかく、ここまで無計画に突っ込んでくるような機甲虫に食い尽くされる前に取り戻すぞ」

 ヴァルナに追随し、クレーター状の氷竜の骨を下っていく。

 建物の周りを飛び回っていた機甲虫がこちらに気づく。

 カルコソマ属、モーレンカンプだ。

 「鉄騎隊でも剛顎隊でもない!一気に叩くぞ!」

 ヴァルナが氷の大剣を作り出し、モーレンカンプと打ち合う。

 そしてそのまま、モーレンカンプは縦に真っ二つになった。

 「……すごいな、あんなに大きい虫を一撃とは」

 「言ったはずだ、練度が違うとな」

 ヴァルナは少し自慢げに答えた。

 「……ふん、守っていたのはこの一匹だけか」

 「こいつがまめだっただけだろう。他の大多数はこの中で食料を食い漁っているはずだ」

 「……ならば行こう」

 

 ニブルヘイム・食料基地

 クレーターの底には、楕円の屋根が被さった建物があった。入り口らしきドアは開け放たれ、暗闇が口を開けていた。

 「……この奥か」

 「ああ、この奥だ。行くぞ」

 闇の中に入ると、四方八方から視線を感じた。それに続けて、何かを貪る生物音と、何かが擦れ合う不快な音が響く。

 ヴァルナが暗闇に向けて、氷の刃を放つ。

 それと同時に、無数の羽音が闇の中を舞う。一つ、また一つと、次々に羽音が重なる。それと共に、闇の中に赤い光が二つずつ灯る。

 続いて赤い光は、こちらに向かって接近してくる。

 「……仕留めていいんだな?」

 バロンがヴァルナに視線で合図を送る。お互い頷く。

 鉄の針が硬質の床を引き裂いて涌き出る。闇の中で踊る赤い光を串刺しにし、赤い光が次々と消え失せる。

 入り口から入るわずかな光に照らされて、床に落ちた赤い光がこちらに突進する。それをヴァルナの氷剣が切り捌いていく。

 瞬きのうちに、赤い光は消え失せていた。

「終わったか。やるなバロン。今までと同じ戦いだ」

「……ああ、戦おうと思った瞬間、今みたいなことができた」

「それでいいのだ、この世界ではな。本能で戦い方がわからなければ、野垂れ死ぬだけだ」

「……ああ。ところで、この巨大な虫が機甲虫でいいのか」

「ああ、それがムスペルヘイムの主力兵器だ。外で倒したモーレンカンプも、機甲虫の一種だ」

「……よくわからないんだが、どうして虫を使う。兵器は他にあるだろう」

「知らん。費用対効果がいいからじゃないのか」

「……そういうものか。もっと詳しく調べておいた方がいい気もするが」

「調べてもわからんことを調べるより、今この戦争に勝つことが重要だ。未来のことを考える余裕など無いし、学を修める場所など作れるはずもない」

「……わかった。これは俺が一人で研究しておく。先に行こう」

 闇の中を進んでいくと、次第に開けた場所に出た。そこはボロボロになった豪華客船のホールのような、もっと分かりやすく言えば、ヨーロッパの劇場のような、西洋風の荘厳さを持った、ガラスのキヤノピーを被った広場だった。

「……ここはなんだ」

「氷竜の骨の中央だ。ここの真下から食料が獲れるんだ」

「……思っていたより敵の数が少ないようだが」

「言っただろう。ここまで攻め上がるのは余程のバカだとな」

「ああそうだな!ここまで攻め上がるのは無能のすること、兵法を無視した愚行だと!」

 広場に男の声が響く。二人が声の方に向き直ると、そこには赤い軍服を着た男が居た。

「アグニ、だと……!」

「……誰だ、あの男は」

 燃えるような赤い刺繍が施されているその軍服は、一目で火山地帯の国、ムスペルヘイムの兵であることがわかる。

「生きていたか、バロン。国境で死んだと思っていたが」

 アグニと呼ばれたその軍服は、バロンの方へ不敵な笑みを浮かべる。歯を剥き出しにして、何か恍惚とした笑みを。

「……知らん。誰だ」

「……?頭でも打ったか」

 アグニはきょとんとした。

「おいヴァルナ、こいつ本当に頭でも打ったか?」

「ああ。記憶の混濁を起こしている。好敵手を失ってしまったな、アグニ」

 ヴァルナが少し嘲るようにアグニに向けて顔を綻ばせる。

「ちっ、ニブルヘイムの兵ってのはどうしてそんなに目の奥が笑ってねえのに顔は笑えるのかわからんな。まぁいい。記憶が無くなっていようが、戦い方は体が覚えてるだろ。行くぜ、バロン、ヴァルナ!」

 鋼鉄の床を軽く踏んでアグニが飛び上がり宙返りして右足で蹴りを繰り出す。バロンがその場から飛び退き、蹴りが床に凄まじいへこみと焦げを残す。アグニが手で地面をついて後ろへ回転し、バロンと拳を突き合う。鋼が左腕から涌き出てアグニの脇腹を狙うが、アグニが全身から熱を放ってその刃の鋭さを失わせる。アグニはバロンの左腕を引いてバランスを崩させ、顎にアッパーカットを叩き込む。バロンは踏み止まり、右の拳をアグニの頬にぶちこむ。アグニは少しだけ怯んだが、ほとんど気にせずに蹴りを繰り出す。バロンは左腕でそれを弾き、強く床を踏んで後ろに飛び退きながら鋼の刃を地面から突き出す。アグニの腹に刃が突き刺さる直前に刃は熱で溶け、アグニは地を走るようにバロンに接近する。そのアグニを遮るように、ヴァルナが氷剣で切りかかる。

「手緩い!」

 氷剣を握りしめ、熱量を上げてへし折る。勢いをつけて回し蹴りを繰り出すが、ヴァルナは身を屈めてそれを躱し、新たな氷剣で切りかかる。咄嗟にアグニはそれを躱すが、僅かに頬骨に傷がつく。アグニは掌に炎を集中させ、それを至近で爆発させる。お互いに吹き飛び、受け身をとる。

「さすがにバロンとヴァルナが相手では分が悪いか」

 アグニは軽やかにジャンプし、キャノピーのガラスを破壊して縁に立つ。

「ニブルヘイムもまだ諦めていないようだな!せいぜいがんばって領地を取り戻せよ!」

 アグニはそう言い残すと、炎の軌跡だけを吹雪の中に残して消えた。

「……はぁ、はぁ」

「息が上がっているようだが、大丈夫か、バロン」

「……っあ、ああ。だが、本能で戦い続けるのにも限度があるぞ」

「ふむ。お前でも音をあげることはあるのだな。……いや、今のお前はもはや別人だったな。まあいい。お前の意思とは関係なく戦争は続くし、お前は戦力に計上される」

「……ああ……」

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