赤の魔女と白金の騎士
ユキノト
第1話
「これでよし、と」
丁寧に土を整え、額に滲んだ汗を袖で拭うと、シェルヴィは小さな白い球根を手にとる。
クイエドと呼ばれるこの球根はこのまま食べることも出来るが、こうして植え付ければ、春に小さな黄の花を茎一杯に咲かせる。その花の香りが頭痛に殊の外よく効く。王太后様が偏頭痛持ちらしいから、猶更下手な植え付けをする訳にはいかない。
王宮の隅、木々に囲まれた薬草園の腐葉土を小さなスコップで掘り返すと、懐かしい匂いが鼻腔に届いた。
「……」
森――シェルヴィの故郷の香り。今いる王宮のような、人の手による美ではなく、雑多で過酷で、それゆえの命の喜びに満ちた美しい場所。
頭上では瑞々しい木の葉が陽光に踊り、足元の森床は降り積もった落ち葉でふかふか。時折吹いてくる優しい風に、木も草花も一斉に歌を歌い、その中を姿の見えない『者達』が笑いさざめきながら、駆けていく。
「……ん? そうよ、そっちはギャプソン」
森ほどの数ではないが、ここにも『彼ら』はいる。
「風邪薬になるの。にがーい、にがーいね」
遠い記憶から現実へと意識を引き戻してくれた可愛い声が、一斉に息を飲んだ。どうやら『彼ら』も薬は嫌いらしい。
傍らの大ミゲの木の枝に寝そべる、黒猫が金の目をこちらに向けた後、欠伸をし、伸びをした。
彼らが不意におしゃべりをやめ、さっと遠ざかっていった。
明るい笑い声と共にやって来るのは、薬草園で共に働く――と言っても、ここの管理者のフォルメイ先生がいないと、こうしてすぐ消えてしまうのだけれど――シェルヴィの同僚2人だ。
「まだ信じられないわ」
「夢のようってこういうことを言うのね」
何かに浮かれているようだが、夢などと言う時点で、私には関係ないと判断すると、シェルヴィは埋めた球根に目を戻し、丁寧に土を被せる。そして、奇麗な仕上がりに、1人満足して微笑んだ。
だが、シェルヴィの予想は外れた。しかも悪い方向に。
「あ、シェルヴィ、今日中にセクレドダチュラを20束、乾燥室に届けてくれない? 今回は膏薬にするそうよ」
「……はい?」
(セクレドダチュラ? 膏薬用? ――冗談じゃない)
後は仕上げに水をやって、というところで、かけられた声に唖然として振り返った。
膏薬用のあれを20束、つまり400本を摘んで手で揉んで、という作業を好きな人間はいない。薬師を目指しているシェルヴィですら、遠慮したい代物だ。手袋を貫通してちくちく肌を刺す、棘だらけの茎。しかも、ちぎった場所からしみ出てくる苦汁が傷に沁みて痛痒くなり、作業後3日間は手が緑色に腫れ上がる。
「あの、私はこの後フォルメイ先生のお手伝いをする予定で」
大体、シェルヴィのセクレドダチュラ処理当番は、今月既に終わっている。
そう続けようとして、目の前の2人の異常な空気に気付いた。
「うふふ、あのね、私達、明後日のマロックス公爵夫人のお茶会にお呼ばれしてしまったの」
「聞いて頂戴、シェルヴィ。そこにラズフィード殿下、いえ、今は筆頭騎士様とお呼びすべきね、あの方がおいでになるの!」
「……」
――だから、セクレドダチュラに触りたくないって?
半眼を向けて見せたのに、シェルヴィのそんな顔どころか、存在自体目に入ってないんじゃないかという様相で、彼女達は宙を見つめ、うっとりと溜息をついた。シェルヴィは右頬をひきつらせる。
寝ていた大木の上の猫が、金の目を開いた。そして、面白いものを見るかのように、その目を弓なりにしならせた。
「だから午後はその準備をするの、ねえ、カレン」
「ええ、メイシー」
「……」
どうやら彼女達の中で、当番の交代は既に決定らしい。こっちの返事も聞いていないのに。
申し訳なさそうでもいじめという感じでもなく、ただ「当たり前」という風に無視されると、いっそ清々しくなってくる。
(まあ、常識的に考えれば、この態度が普通……というか、むしろいい方か)
彼女達は基本的に善良だが、下級でも一応貴族。フォルメイ先生の遠縁というだけのシェルヴィの意思など、悪気なく気を払う必要を感じないのだろう。しかも実のところ遠縁というのも嘘で、シェルヴィには身寄りすらおらず、その上、ローデルフ族。露骨に差別してこないだけ上々だ。
シェルヴィは、風に舞い上がった自分の黒髪を視界に入れ、諦め混じりの溜息を吐き出した。
「せっかく王宮勤めが叶ったのに、行先は地味な薬草園。行儀見習いにもなりゃしないってお母様に言われて、肩身が狭かったの」
「私もこれで妹達に顔向けできるわ。従姉妹達に「王宮勤めといっても、所詮薬草園なのでしょう?」なんて意地悪を言われていたらしいの」
「お勤めなんて名前だけという話なのに、薬草園だけは厳しいと評判で、事実そう……私、草むしりをする羽目になるなんて思ってなかったわ」
「あの、ここはすばらしい場所ですよ? おかげで多くの人々が救われている訳でして……」
(地味って何? しかも所詮? ここの研究がどれだけ大事か、わかんないわけ!? 大体草むしりじゃない! 薬草摘み!)
剣呑な目つきになるのを抑えつつ、そこだけは譲れないと反論してみたものの、またもや見事に効果なし。
「そう、そうなの、シェルヴィの言う通り! 殿下はそのすばらしい薬草園にご興味をお持ちになって、ここの後見人で、殿下の叔母でもあらせられるマロックス公爵夫人にお声掛けくださったの!」
「公爵夫人さまさまだわ。薬草園に勤めていなければ、ラズフィード様がおいでになる茶会に私達が出るなんて、ありえなかったもの」
「いえ、そんなすばらしさを認めて欲しかった訳では……」
(……って、それも聞いてない)
シェルヴィはカクリと肩を落とした。
裕福な地方領主令嬢の彼女達にとって、王宮勤めは乙女の夢物語に欠かせない舞台装置らしい。
なお、彼女達が語る夢物語とは、王宮で“健気に”働くうちに、見目麗しくもお金持ちな王子様とか公爵様とか(ただし若者限定)に見初められて、惚れ込まれ、歯の根が浮くような賛辞をもらい、色々買ってもらって、自分より美しく高貴なご令嬢を嫉妬させながら、豪華絢爛に結婚し、その後、優雅に左団扇で暮らしつつ、愛され自慢をする、という感じらしい。
――ちなみに、以上の言葉遣いと表現には、多少シェルヴィの解釈が入っている。
そして、人間、“夢”を目の前にすると、何も見えなくなるらしい。
「何を着ていこうかしら? もう少し早くお声掛けくだされば、1から注文することもできたのに」
「あのラズフィード殿下に間近でお会いできるせっかくの機会なのに、本当に口惜しいわ。もう少し時間があれば……」
「あら、カレンの美貌なら、ドレスに関係なく殿下のお目に留まるのではなくて?」
「そういうメイシーの方がずっと美人じゃない。殿下にお声掛けいただいたら、私に教えてね」
(……目が笑っていない)
しかも、夢と当て擦りと牽制の対象になっているのが、世にも忌々しい『あれ』だという事実がさらに怖い。
(物好きにも程があるというべきか、知らないって不幸と同情すべきか……)
現実から逃避しようと、最近流行の、毛羽立って艶々と光る彼女らのドレスに目を向ければ、土で汚れた自分のドレスも目に入った。
「あ、そうだわ、お土産にお菓子を頂戴してきてあげる。シェルヴィにはお菓子って珍しいでしょう?」
(……ありがとうって言うべき?)
にこっと微笑んだ同僚に、シェルヴィは曖昧に微笑みつつ、口を噤んだ。
「ネックレスは……合うのがないわ。お父様にお願いして至急新しい物を」
「ねえ、今日これから街に下りない? 今日あたりメルベーシャの宝石商がペリミシアとの交易から戻ってきているかもしれないわ」
だってどんな反応をしようと、彼女達は興味ないのだから。それが恋する乙女の残酷さか、身分差ゆえの残酷さか、分からないけれど。
「……」
頬をほんのり染めたまま、楽しそうに話し続ける2人に、否どころか、了承を返す気力すら奪われて、シェルヴィは深々と溜息をつくと、踵を返した。行き先は、虚しいかな、セクレドダチュラのある区画だ。
背後から、「にゃおーん」という黒猫の“笑い声”が響いた。
(ムカつく……)
振り返って睨むのも億劫で、シェルヴィは聞こえないふりをする。
「……あー、ごめん、香水、苦手だったね」
人と猫の気配から遠ざかった所で、風の合間に聞こえてきた文句の声に苦笑すると、シェルヴィは気分を入れ替えようと深呼吸した。
『内緒の言葉よ、シエル』
「――インティリォーレム レスオンデ ミーヒ」
それから、祖母に教えられた言葉を口内で小さく紡いだ。
足元から湧き上がったつむじ風がふわりとシェルヴィの全身を包む。その流れは徐々に強さを増し、渦を描きながら天へと駆け上がっていく。
同じ風に吹き上げられて空へ立ち上る黒髪。身に纏わりついていた香水の移り香がその合間を通って、青い空へと消えていった。
風が止み、最後の髪の束が背に降りた。
「香水も元は花なのに、何であんなに強烈なのかな?」
不思議だね、と今度は肩へとやってきた『彼ら』へと笑いかけた。
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