鴉 106

「俺はただただ嬉しいけどね」






 はいって天狗が俺にタブレットを渡しながら言った。






 嬉しい?






 受け取って、首を傾げる。



 何が嬉しいって言うのか。






「親離れってことでしょ。で、オレは子離れのとき」

「………俺は、まだ、そこまでは」

「うん。最初の一歩。成長じゃん?だから親として、ただただ嬉しいってこと」






 親離れ。



 子離れ。






 親子じゃないのに成立する言葉で関係。



 天狗と俺はそうで、俺は。





「できるのか?俺」

「何が?」

「………親離れ」

「何で?」

「働けるのかなって。俺は山以外知らないし、学校も行ってないし」






 この山以外を知らないんだから、この山以外のことをタブレットで調べたところで知識はできても理解はできない。



 そしてそんな自分を否定する必要は、天狗の言う通り、ない。






 知らないのなら知っていけばいい。いきなり一気に、なんてしなくてもいい。



 少しずつでもいい。



 することは否定じゃない。この山で天狗が教えてくれたことを軸に、どんどんと経験していくことだ。






「さあ、では鴉くん。鴉くんに問題です。鴉くんが行ったことのないその学校とは、ズバリ何するところでしょうか?」

「………?勉強するところ、だろ?」

「ぶっぶー。ハズレ」

「え?」

「まあ、ハズレっていうか」






 天狗は少し間をあけて、そして言った。






「学校ってさ、サラリーマンを作るところ、なんだよね」

「サラリーマン?」

「サラリーマン、サラリーウーマン、だね」

「………?」






 サラリーマンって、会社で働く人のことを言うんじゃないのか?



 学校が、それを作るところ?






 学校って光や光より小さいのが行くところを想像してたけど、違う?



 それとも、サラリーマンになる学校があるってことか?






「サラリーっていうのは、継続的に働いてる会社、団体から定期的に受けとる賃金のことを言うんだよ。お給料ってやつ。だからサラリーマン、サラリーウーマンっていうのは、働いてるところから決まった給料を受け取る人ってこと」

「うん」

「でもいきなり働けって言われてもさ?無理じゃん?だから学校でね、その会社や団体で問題なく働けるよう教育する。読み書きや計算はもちろん、決まった時間に決まった場所に行く、とか、号令する人の指示に従う、とか、言われたことをやる、とか。そういうことが普通に、当たり前にできるように。学校って結局はそういうとこ」

「………」






 俺が思ってた学校像と、天狗の学校像が全然違って、俺はえ?ってなってた。



 学校は勉強するところ。



 でも天狗の説明だと、学校って。






 訓練するところ、みたいだ。






「鴉がサラリーマンになりたいなら学校に行くことは大事かもしれないけど、単純にお金を稼ぎたいなら、学校行ってないからどうこうに引け目を感じる必要性はゼロ。鴉には命がある。それだけでいくらでも稼げるようになれる」

「命?命って、生きてれば誰にでも………」






 ないよ。






 俺の言葉を途中で遮って、天狗はきっぱり言い放った。



 ないよ。命は生きていれば誰にでもあるものじゃない。






「あるように見えて、ない。多くの命は大元から消えかかってる。光のように」

「………」






 光。






 首に矢が刺さって、ヘドロにまみれてた光。






 否定は死。



『ある』を『ない』にしたら、存在するものは大元からなくなる。






 光はこの山に死ぬつもりで来た。






 自分の否定。



 命の否定。






 それが矢となりヘドロとなり、光にはまだ。光はまだ。






「鴉なら大丈夫。鴉には命がある。オレが育てたんだから間違いない。鴉はこれから何にでもなれる。どうとでもできる」

「………親バカだな」

「当然。鴉は世界一だよ」






 俺は、本当に恵まれてるんだな。幸せなんだな。



 親に捨てられたってのに、これ。



 捨ててくれたことに、感謝さえできる。






 ふうって息を吐いて、俺はもう一度、タブレットを開いた。

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