光 1
気づいたら真っ黒な場所に立ってた。
見えるのは黒。
右も左も上も下も前も後ろも黒。
暗いんじゃなくて黒。
だって、自分は見える。でも光源はない。不思議なところ。
そこに何かひとつ浮き上がったような気がして、視線が自然とそこに行った。
何?
黒にひとつ、小さく浮かび上がったのは。
「………っ⁉︎」
口。
赤い口。
女の人の、赤い。
口はひとつ、2つ、3つってどんどん増えた。増えて動いた。何かを言った。
けど声は出てなくて、動くだけ。
口。
僕は知ってる。その口を。
知ってる。よく知ってる。何を言ってるの。聞こえない。聞こえないよ。
口は増える。どんどん増える。
増えて増えて増えて増えて。
「母さん‼︎」
堪らず、耐えきれず呼んだ瞬間、口は消えた。ひとつ残らず。
中3の春。
母さんは死んだ。
いつもと同じだった。
ただいまって帰って、家には誰も居なくて、しばらくして仕事から帰ってきた母さん、におかえりって言った。
ただいま。
僕は部屋に行って、母さんがご飯を作ってた。
本当にいつも通りだった。
ご飯を食べて、お風呂に入って、まだ寝ないけどおやすみって部屋に戻った。
おやすみって母さんは言った。
今日も父さん遅いの?って聞いたら、今日も遅いみたいって。
僕が見た最後の母さんがそれだった。
母さんは死んだ。
自ら命を絶った。
僕は日付が変わる頃に帰って来た父さんに光‼︎って狂ったように呼ばれるまで何も気づかなかった。
母さんは、いつもの母さんだった。
何も変わった様子なんてなかった。
何回同じその日を繰り返しても、僕は絶対気づかない。
それぐらい、母さんはいつも通りだった。
それからは。
それから、は。
毎日テーブルにお金が置いてあった。
毎日5,000円。
僕はそのお金でご飯を買った。
コンビニで。スーパーで。
着るものがなくなって、洗濯しなきゃって洗濯した。
どんどん汚れていく部屋に、家に、掃除しなきゃって掃除した。
父さんと会わなくなった。顔を合わせることがなくなった。
お金だけ置きに来てるみたいだった。
5,000円から10,000円に、10,000円から20,000円に。
金額が増えて、父さんが家に来る日はどんどん減った。
何で。
火葬場でつぶやいた父さんの声が、耳から離れなかった。
先生と相談して、僕は全寮制の私立男子高校を受験することにした。
家に居るよりいいだろうって。
僕もそう思った。先生が父さんに電話して、父さんの了承を得てくれた。
そうだよね。反対なんかしないよね。
僕は家に居ない方がいい。父さんから離れた方がいい。父さんだってそう思ってる。きっと。
けど、父さんはいいよって言ってくれたけど、それだけだった。
だから僕はほとんど全部自分でやった。先生に協力してもらいながら。
受験して合格して入学して。
このまま少しはマシな毎日になるのかな。
そう思い始めた1ヶ月ぐらい経った頃だった。
僕は体育の授業終わり、教室に戻る途中3年生の先輩たちに呼び止められて、そして………。
目を覚ました保健室で、担任の先生に言われた。
『そんな顔でこんな全寮制の男子校なんかに入ったら、こういう目に遭うことぐらい分かるだろ。まあ、女じゃないんだ。妊娠することもないし、気にするな』
気にするなって。
気にするなって………?
されたことを思い出して、僕は泣きそうになった。
確かに僕は男で、だから『そういうこと』をされても女の子ほどの被害は被らないのかもしれない。でも。
暴力だよ。これ。
先生。暴力だよ?犯罪じゃないの?
顔。
僕は母さんに似てるってよく言われた。
母さんは美人だった。
自分では特に何も思わない顔だけど………。
先生が持ってきてくれた制服に着替えて、まだ授業中だったけど、もう今日は寮に帰れって荷物を渡された。
もう少し警戒しろ。分かったな。
僕は、寮には戻らずふらふら歩いた。
山。
山に行こう。
ふらふらと歩きながら同じクラスの地元の子が言っていたのを思い出して唐突にそう思った。
あの山は天狗山。
天狗がいるって言われてる山。
あの山には入っちゃダメだ。
入ったら出られなくなる。そう言われてる。実際あったんだぞ、そんなことが。
うん。
もういいや。
もういいよ。いいんだ。
もしかしたらあの日の母さんも、そんな風に思ったのかもしれない。
僕はふらふらふらふら歩いて行った。
途中で荷物がないことに気づいたけど、それももういいやって。もう要らない。
歩いて、山に入って、歩いて歩いて。
「………何で」
何でこんなことになってるんだろう。
視界は黒。母さんの口が消えた。
消えたのに。
何で。
僕が言った言葉に合わせたみたいに、口がまたそこに現れた。一斉に。無数の口が。母さんの。
黒い上下左右前後ろ。
母さんの口に埋め尽くされる。そして。
そして口は言った。
『何で』
母さん。
………母さん。母さん母さん。
何で。
カアアアアアアッ………
そのときだった。
何でって僕も言おうとしたとき。
どすって何かが僕に乗った。そして鳴き声。カラスの。
カアアアアアアッ………
うるさいぐらいの鳴き声に、無数の口は消えて。
前。
目の前。
目を開けた目の前。真ん前に。
「うっ………うわあああああっ」
カラス。
カラスが僕を、覗き込んでいた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます