折戸源三郎の言い分
「知らんと言ったら知らん! 千代なんて娘はおらんのだ」
「知らないはずはないでしょう、折戸源三郎さん。それにどうして娘だっていうんです? 『千代さんという方を訪ねてきました』以外、私は何もお尋ねしていないでしょう?」
源三郎はきつく鷹一郎を睨むが、どこ吹く風だ。
「……そうか、お前らあれだな。赤矢という男に頼まれて来たんだな。話すことなんざねぇ! ええい、帰れ! とっとと帰れよ!」
まさにけんもほろろだ。
目の前で小柄な骨太の齢五十ほどの男ががなり立て、ドンと土間を踏み鳴らして戸口を指さしている。家の奥の暗がりには疲れ切った顔の女が座っている。おそらくこの源三郎の妻だろう。
けれども源三郎が相手にしているのは鷹一郎だ。赤矢も同じような対応をされたのだろうが、鷹一郎のほうがよほど悪辣だ。何しろ鷹一郎は自分の目的を遂げるためには、終局的には他人がどうなってもいいと思っていやがるからだ。源三郎に僅かに同情する。鷹一郎のこの薄っすらと微笑みの形をした唇は柔和に見えるが、目は全く笑っていない。
「仕方ないですねぇ」
鷹一郎はそう述べて軽く息を吸う。
「私は確認したのです。あなたご自身が提出された死亡届を。
一 病名 全身打撲(転落)
一 職業 女給
一 患者姓名 折戸千代
一 患者住所 神津逆城町逆上村42番地
一 年齢 20
一 年月日 元治元年4月2日
一 医師
一 医師住所 神津逆城町南2の8番地6
どこか間違いがございますか?」
まさに立板に水をかけるか如く一息でつらつらと並べられるその呪文に、源三郎はたじたじとするばかり。目を丸くして口をぱくぱくとしている。
「なんでッ!? なんでそんなことを知っているッ!?」
「あなたが戸長に届け出された死亡届は県でまとめられますから、そこで拝見いたしました。間違いがございますか、とお尋ねしております」
苦虫を噛み潰すようにギリリと歯を鳴らす源一郎に、鷹一郎はさらににこにこと畳み掛ける。
「どうしてわざわざ死亡届をだされたのですか? 出さなくてもよかったのでは?」
「はっ!? エッ!?」
想像もしなかったであろう返答に、源三郎は目をぱちくりさせた。
「千代さんに何があったのです?」
「な、何が……?」
「ええ。別に行方不明でもいいじゃないですか。どうしてわざわざ死亡届を出されたのですか?」
耐えかねたように源三郎はふるふると頭を左右に振って後ずさる。
「……いないんだ。とにかく、もう、千代はいないんだ、それでいいじゃねぇか……とにかく帰ってくれよ。それでもう来ないでくれ。頼むよ。どうか」
源三郎はまるで祈るような姿勢にまで背を縮め、最後の声は蚊が鳴くようだった。
そこで話は終わり。それ以降、何を尋ねても源三郎は何も答えなかった。
結局源三郎の抵抗は予想はしていたものの、おおよそ予想どおりだなと思いつつ源三郎宅を辞した。鷹一郎は相変わらず、何の痛痒も感じていないようにこう述べる。
「押しても駄目でしたから、次は引いてみましょうか」
「あんな追い詰めるこたぁねぇじゃねえかよ」
「そんなことは私の知ったことではありません。それに不実の届出は違法です」
「違法ねぇ」
それを言うなら無関係な者が死亡届を覗き見るのも違法じゃないのかね。そう口を開いても、無理やり見たのではなく、尋ねたら役所の人間が勝手に見せたのだと宣うだけだ。
逆上村を出る頃にはすっかり雪はやんでいて、南に下る逆城参道にはポカポカとした春らしき陽気が差し込んでいた。何人かごとの集団が神社に向かってに次々と登ってくるのにすれ違う。雪が止むまで茶屋がどこかで待っていたのだろう。ここはいつも観光客で混み合っている。
耳を澄ますとケキョという鶯の鳴き声が遠くに聞こえた。
先程の源三郎と鷹一郎の話を改めて考える。
源三郎が千代の死亡届を出したということくらいだ。
赤矢の話では、千代は逆城南に下宿していた。たまには実家に帰りはしたのだろうが、生計としては既に独立していたようだ。同じ戸籍にいるとはいえ、同じ家に住む者が行方不明になったのとは、趣が少し異なる。同じ家に住んでいた者が突然いなくなれば探しもするだろうが、一年も前には既に千代は家を出ていた。そのままいないままでも、おかしくは、ない。
それなのに源三郎は何故わざわざ死亡届を出したのか、か。
少なくとも千代が
源三郎と会って、それから千代はどうなった? 何があった?
死んだのか?
生きているのか?
千代は死んでいる必要があった?
行方不明では支障があった?
赤矢が来たときも、死んだといわずとも鷹一郎の言うように帰ってきていないとか、帰ったが再び出ていったとか、そう言えばよかったのかもしれん。そうすれば赤矢は他をあたっただろう。
それに俺があの雪の奥での見た千代の姿はなんだったのか。
「なぁ、千代は生贄なのか?」
「さて、どうでしょう。生贄というのは多義的なものですが、哲佐君はどの意味で仰っているのです?」
鷹一郎は小首をかしげる。
「どの意味? あのでかい桜に捧げられたんじゃないのかい?」
「哲佐君はそのお立場に慣れすぎですねぇ。捕食者が捕食する理由というのは色々あるものですよ。食事、生殖、服従の証。酷いときはおもちゃとか。猫の妖なんかはそういう側面が強いですから捧げられたらそれはもう悲惨です」
「たまったもんじゃねぇな」
そう思うと板塀の上でにゃぁと伸びをする猫ですら恐ろしく感じてしまう。あの猫が俺を襲ってこないのは、たまたま満腹で、でかくなっていないからだけのことかもしれぬ。
「それで結局なんなんだよ」
そう言いかけて鷹一郎を見ると鼻をひくつかせていた。
「さて、それじゃあ作戦会議と洒落込みますか」
視線を追うと、上品そうな居酒屋の縄暖簾が見えた。
金さえ出してくれるなら俺に否やはねぇよ。
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