3章 逆上村の春は遠く

「糞寒ぃ」

「哲佐君はそればかりですねぇ。他に何かないのですか」

 鷹一郎は呆れた口調でそう述べるが、寒ぃもんは寒ぃんだ。むしろ何故そんな薄着で平気なのか理解できん。

 俺はといえば、いつもより分厚いどてらを着込んで古式ゆかしき厚紙張の番傘と足元はカンジキだ。なのに鷹一郎ときたら、絹張りの蝙蝠傘に袷羽織に七つはぎ革のブーツといった洒落た洋装。こんな真っ白い日に気取って何の得があるんだか。ふん。


 ここは逆上村の入り口だ。雪に覆われ、それぞれの家は固く雨戸を閉ざしている。

 本当は村に聞き取り調査に来たのだが、まさに立ち入りを拒むように視界いっぱいを真っ白にけぶらせる猛吹雪。出したそばから凍りつきそうで、ため息すら出ない。逆城神社に登る前は春めいて晴れ渡っていたものだから、カンジキ片手の俺はずいぶんと妙な目で見られたものだ。けれども参道を登り始めた途端に雪がちらつき始め、神社に着いた頃にはこの通りの猛吹雪。

 あまりの惨状に先に桜林とやらを探すことにした。普通は先に軒を借りるべきだとは思うが、探索を目的とするのであればこの吹雪は寧ろ都合が良い。こんな大雪では誰の邪魔も入らない。それからこの真っ白な世界というのも都合が良いらしい。余計な情報を覆い隠してくれる、と鷹一郎は言う。だが身を切るように寒いのは勘弁してもらいてぇ。

「全く誰のせいだよ」

「相当嫌われているのでしょうね。悪いのは嫌う方です。少なくとも私は悪くない」

 この寒波はおかしい。

 お天道様もなんで好き好んで今日のこの日、この時に大雪を降らせるかと考えれば、その原因はこの鷹一郎以外あり得ないのだ。こいつが桜林に嫌われている。陰陽師という職業のせいかどうかはわからないが、人ならぬものの種類によっては鷹一郎を酷く嫌うことがある。

 だから化物に好かれる俺が代わりに探しに行くのだ。なんだか苦労ばかり押し付けられている気がするが、金をもらった以上仕方がない。

「さて、始めましょうか」

「む」

「好きにお歩きなさい」

 ふん、お好きに、か。

 いつものことだ。鷹一郎が俺の襟ぐりにそっと手を触れ、紙を挟んで何やらもごもごと唱える。そうすると首元がポゥと少しだけ暖かくなった。暗闇の中の蛍のように。まあ、寒ぃんだから都合はいいわな。

 さて、お好きにといわれてどこに行こうか。俺は桜林を探さないといかん。あるいは見つけるのは千代でもいいと鷹一郎は言っていた。

 なぜだかわからないが、碌でもないことに俺はそういうものに縁を繋ぐのが上手いのだそうだ。キョロキョロと当たりを見回しても、どこもかしこも白くけぶり、その向こうに時折チラチラと家の姿や木立の影が見える。

 とりあえず、気の向くままに雪をかきわけ足をすすめる。カンジキに踏まれた雪がキュイキュイと音をたてる。そういえば確かにあの辻切が丘から眺めたのは役にたったのかもしれん。頭の中になんとなく、俯瞰の地図が思い浮かぶ。神社を越えて村の更に先。方角としてはこちらの気がした。

 鷹一郎が言うことは、最終的にはだいたい正しい。それがまた癪に障るのだ。


 桜林、桜林。

 といっても咲いてはいないんだよな。咲いてない桜の木なんて他の木と見分けがつくのだろうか。だいたい林の広さもわからないときたもんじゃ、桜林のイメェジはさっぱり浮かばねぇ。

 桜林から探すには流石に無理だ。

 だったらやっぱり千代か。

 昨日二東山の茶屋で赤矢と店主と女給から聞いて合わせた千代の情報を、頭の中で構築する。

 やや面長なかんばせに細い眉と優しげにやや垂れた目元。それからすっと通った鼻筋に小さくぷりっと赤い唇。つややかな長い黒髪を左右で三編みにねじってくるくると耳の脇に編み上げたラジオ巻きに薄い色味の小袖。表と裏の色が異なる鯨帯に給仕中はかけ湯巻。それから冬には吾妻コート。足元は……そこは聞いてなかったな。情報が足りない。

 まあいい、どうせ足元なんぞ雪に埋まって見えやしねぇ。

 頭の中にぼんやりと千代の姿が現れる。

 これは俺のイメェジでは、ない。そう直感する。

 鷹一郎の札のせいか俺の想像のせいか、いつのまにかそのような、本当の千代の姿が脳裏に浮かび上がってきたのだ。

 その姿は想像という粋を超えて詳細だ。追加で桜の飾りを頭につけている。

「千代、お前は今、どこにいる。俺をそこに導け」

 そう呟けば、逡巡するように雪は逆巻く。

 世の中には巻き込まれ体質だとか不幸体質だとかいうものがある。それで俺はいわば人身御供体質とでもいうやつらしい。あやかしに狙われ呼ばれ食われかけるそんな体質。だから俺は仕事のついでにあやかし集めを趣味とする鷹一郎の御伴に雇われる。退治すべき狐狸妖怪の類がご丁寧にもあちら様から寄ってくる。そんな馬鹿馬鹿しい人生じゃ、多少やけっぱちにもなってもバチは当たるまい。それに何よりこの寒波。

 顔に次々とつぶてのような雪がぶつかってくる。びゅうびゅうと風はますます強くなる。もはや視界は白しか見えぬ。その白の中で、千代を探す。頭の中にある千代の姿を。

 どこだ。

 千代。

 どこにいる。

 そうすると

 不意に首元の紙片が熱くなった。

 来た。


「……ここに立ち入ってはなりません……」

 赤矢のいった通りその声は始まりと終わりが定かではなく、この雪全てに響き渡るようで、どこにいるのかわからない。

「千代さんか?」

「……どちら様でしょうか……」

「見つけたぞ」

 その小さな言葉のやり取りの間に、俺と千代の間で何かが繋がった。

 その瞬間、俺の視界が白の中でブレ、ぼんやりと脳内に浮かんでいた千夜の姿が視界の先にも滲み出た。

 だが、何か違う。何かおかしい。一体何が?

 目を凝らす。よくわからねぇ。

 ならば近寄るのみ。

 一歩踏み込むごとに拒むように雪は強くなり、一歩踏み込むごとに追い返すように突風が吹く。だが、だがだ。妖は俺を拒めない。何故だかわからんが、こんな美味そうな餌はないらしい。

 最後の一歩をその白に踏み込み、抜けた。


 そのとたん、ふわりと桜の香りが舞った。

 そこは確かに、あの赤矢が言う通り春だった。いや、赤矢から聞いた通り春だった。地面は黒く土が見えて若草が生い茂っている。桜は未だ……いや、桜の一部は淡い桜色に染まりかけ、桜色の風が舞っていた。そしてその風の中心に一人の女が立っていた。これが千代。

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