鎮華春分 桜に囚われた千代の話 ~明治幻想奇譚~

Tempp @ぷかぷか

序 高台からの眺め

 ひぅい、ひぅいと鳥声が響く。ヒヨドリだろうか。

 そう思って見上げた細い雲のたなびく春空が晴れ渡るこの辻切つじきが丘の高台からは、逆城さかしろ神社の梅林が鮮やかな紅に染まっているのが見えた。

 逆城神社は江戸の初めからある由緒正しき神社で、参道を登って少し丘となった上にある。高度的にはここ辻切が丘より少し低い程度。だから、ちょうどこの丘からは真っ直ぐ東にその全景が見渡せるのだ。逆城神社の梅林はこのあたりでは有名な景勝地だ。今も人出で賑わっていることだろう。

 そしてその梅林の奥、神社の北東に一際背の高い一本の巨木が見えた。このあたりの緑は深い。なのにその木はやけに目立つ。

「それで今日はここに何の御用なんだ」

「特に用というものでもないのですよ、哲佐てっさ君」

 鷹一郎おういちろうはただまっすぐ、調べるようにその景色を眺めている。

「じゃあなんでここに来た。寒ぃんだよ」

「こういったことは、一度全体というものを俯瞰する必要があるのです。それにしても、哲佐君は顔に似合わず軟弱ですねぇ」

「うるせぇ」

「うるせぇとはまた口の汚い」

鷹一郎はそのように述べて、薄らと唇に笑みを乗せる。

 立春2月4日は過ぎたといえど、まだなお寒い。

 こんな風の吹きすさぶ丘の上ではなおさらだ。

 俺はといえば分厚い半纏を着込んで肩をこすっているというのに、隣で涼し気な笑みを浮かべるこいつは濃茶地に井桁いげたと花模様の綿のかすりの着物に書生羽織という、実にうすら寒そうな格好で飄々としていやがる。

 俺の隣に立つ秀麗な眉をひそめるこの男は土御門つちみかど鷹一郎という。学生の時分に知り合い、それ以降の腐れ縁だ。そして俺の今の所の雇い主で、つまり俺をまた酷い目に合わせる腹積もりなのだ。

 これまでも碌な目に合ったことはない。けれどその話はまた、別の機会に。


 時は明治16年。

 文明開花の鐘はなり、日の本は広く世界に開かれた。なのに鷹一郎は今どき陰陽師を名乗っている。

 土御門家は平安時代、安倍晴明を排出した藤原北家から連綿と続く陰陽師の一族で、鷹一郎はその末席にあたる、らしい。けれども公的な機関としての『陰陽師』はすでに存在し得ない。

 御一新明治維新によって明治の府が開かれてすぐ、政府機関としての陰陽寮は廃止された。江戸末期からうかれ熱のように沸き立った神仏分離の流れにおされ、存続し得なくなったのだ。陰陽寮が司っていた暦の作成も西洋のぐれごりお歴が担うこととなり、お役御免というやつだ。西欧から入ってきた科学の光は人の世のみならず、迷信だのあやかしだのの世にも襲いかかったわけだ。時流というやつだろう。

 けれども陰陽寮が廃止されたからといって古来より日の本に根付いた狐狸妖怪や呪いのたぐいが大人しくいなくなるわけではない。

 そういえば横浜の馬車道や東京の銀座通りにもガス燈というものが灯りはしたが、強い灯りはかえって深き闇を浮き彫りにする。それらの昏き者どもが隠れ住むには好都合な闇を。そしてその闇の間に間に様々な怪奇や事件は発生し、それを払う陰陽師の存在とその必要性はいや増していた。


 とまぁ、ここまでは一般論だ。

 俺にとっては鷹一郎は帝都で出会った珍妙な学友で、今はただの雇われ御供だ。それなりの金はもらっているが、たいていがろくな目に会わねぇ。だから極力関わりたくはねぇ。けどまぁ。

『哲佐君、金に困ってはいませんか』

 そう呟く鷹一郎の声はいつも絶妙なタイミングで俺に降ってくる。その前夜、博打で散々に負けた腹いせに最後の一銭を投げつけて屋台で蕎麦を啜った俺は、まさに無一文になったばかりだったのだ。

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