薬師エヴィは倒れない

夜船

一章・機械都市国家マキナ

第1話 鬼ごっこはけっこう疲れる

 白い光が、砂漠に揺れている。


「いくらモテないからって、見かけた女の子を一秒でストーキングはないでしょうが!」


 陽の一筋も差し込まない裏路地を、少女は走っていた。その小さな背に不釣り合いなほど大きな木の箱を背負って、悲痛な怒号を上げている。


「わたし、鉄の塊はタイプじゃないって言いましたよね! なんで追いかけてくるんです!」


 少女がちらと後ろを覗いて叫ぶ。彼女のすぐ後ろには、機械仕掛けの巨体がついて走っていた。

 大きさはゆうに三メートルは超えているだろう。コードもモーターもむき出しで、本来頭部に当たるであろうところには一眼のレンズがあり、『〇〇九七九』と数字が刻印されている。異形というべき機体だ。


 機械仕掛けの巨体は答えない。

 人間と自由に会話ができるような機械は、この都市にいらないからだ。


「わたしは旅の商人、でっ! エヴィと言います! 作ったお薬を売りに来たんです! あなたみたいな鉄の塊なんかに用はないんですよ!」


 それを理解していない少女は、何とか説得を試みていた。


 機械仕掛けの巨体は、返事の代わりに路地裏のパイプをへし折って少女――エヴィに投げた。

彼女は間一髪でそれを避けると、人間業ではありえないほどの膂力りょりょくでもって左足で地を蹴り、身を翻した。


 エヴィの小さな体が宙に浮く。


「ああもう、あんまり乱暴なことはしたくないんですけど!」


 その瞬間、目深に被った白いヴェールの隙間から、白い髪と薄い青の瞳が覗いた。

 この都市は砂漠の真ん中に位置する。色素の抜けた彼女の風貌が、旅人である何よりの証拠だ。


 エヴィは白いワンピースの裾を派手に浮かせて、右足を高く上げた。

 ぶん、と踵が空を切る音が響く。

 その踵は、正確に機械仕掛けの巨体の頭部を捉えていた、が。


「やめておけ」


 寸前で、男の腕にぶつかった。


 男は何かしら訓練をしているらしく衝撃に耐えきれているが、エヴィの蹴りは人間なら食らえば一発で死ぬレベルの威力だ。エヴィは思わず肝が冷えるような心地に支配される。


「なっ――」


 エヴィはバランスを崩し、頭から後ろに転ぶ。割って入った男の左手が、彼女の腰に当てられた。

 彼は左手でエヴィを支え、右手で機械を制する。先ほどまで騒がしかった路地裏に、緊張感のある静寂が響いた。


「〇〇九七九号様、誠に申し訳ございません。この女は私の客人で、ここの作法を知らんのです」


 うやうやしく男が言った。


 エヴィはヴェールの隙間から、男の姿を捉える。

 肌は焼け、髪と目は黒い。白いワンピース型の民族衣装らしき服を、腰あたりで留めている。顔立ちからして年頃は三十ほどだろうが、顎に生えた無精ひげが年齢感覚を狂わせる。


 しかし一番の特徴は、その首筋に入った入れ墨だろう。


「〇一六八番。客人の申請はグランドパレスにするのが規則だ」


 巨体はその首筋の入れ墨と同じ番号を、頭部のどこかから発した。エヴィは身体を起こし、叫ぶ。


「鉄の塊が喋った! わたしがいくら話しかけても――むぐ!」


 男がエヴィの口をふさぐ。そして彼女にだけ聞こえる声で、言った。


「死ぬぞ」


 エヴィにはその一言よりも、むしろ男の萎縮した表情の方が説得力があった。本物の死に瀕した人間がする顔だ。

 男はエヴィから巨体へ視線を移すと、頭を下げて静かに言った。


「承知しております、〇〇九七九号様。どんな処罰でもお受けします」

「……わかっておるならよい、と主上は仰せだ。貴様は貴重な者だからだそうだ、命拾いしたな」

「もったいないお言葉でございます」


 男が頭を下げたまま口にすると、機械は稼働音を路地裏中に響かせながら奥へ消えていった。

 エヴィは安堵の息を吐き、膝から崩れ落ちる。


「あ、ありがとう、ございます……」


 男は立ちあがり、エヴィを見下ろす。


「旅人なら行き先の国のことを調べてから来い」


 機械に対する態度とは打って変わって、ぶっきらぼうな言い方だった。


「え、もしかして最初から見てたんですか」

「北の国でしか採れないスパイスの匂いがする。それに、あんなうるさい音出してたら、嫌でも気づく」

「はぇえ……」


 エヴィは頭上を仰ぐ。高層ビルの窓から、住人が何人か顔を出して彼女を見ていた。先ほどの機械のように、一眼のレンズがぎょろりとエヴィを見返している。どうやらこのあたりは機械が住む領域らしい。


「でもそれって、わたしの薬のことも皆さまに知ってもらえた、ってことですよね」

「……案外図太いな、あんた」

「まあ繊細なメンタルじゃ流れの商人なんてやってられませんから」


 そう言うとエヴィは木の箱を背負いなおし、ふらりと立ちあがった。


「わたしはエヴィ! 北の町から来ました! 人間用のお薬がお入り用の方、ぜひわたしのお薬を買ってくださいね~!」


 エヴィが上方めがけてそう叫ぶと、機械仕掛けの住人たちは顔を引っ込めた。彼女は天を仰いだまま、「ありゃりゃ」と間抜けな声を上げる。


「わたしの売ってる薬は結構珍しいから、ほかの国だとみんな買ってくれてたのに」

「あんた、人間用の薬なんて売ってるのか。それはこの国じゃやっていけないな」

「え、なんでです?」


 男は本当に何も知らないんだな、とため息を吐き、言った。


「この国じゃ人間同士の医療は禁止されてるんだ。人間の作った薬なんてものを買ったら、一発で処刑だ」


 エヴィはあきれ顔の男に視線を戻し、他人事のように言った。


「へえ。変わった国ですね」

「……あんたほどじゃないがな」


 それじゃ、と言って立ち去ろうとする男の手を、エヴィはとっさに掴んだ。びき、と骨が軋む音が響き、男が思わず顔をしかめた。


「ちょ、ちょっと待ってください!」

「なんだ、薬なら買わんぞ」

「ええと、それ以前の話でして……」


 エヴィは照れくさそうに笑いながら、おずおずと申し出た。


「ここ、人間用の宿がめちゃくちゃ高いみたいなので、お兄さんのおうちに泊めてもらえません?」

「図太いというより面の皮が厚いな」

「何とでも言ってください! わたしはいくら罵られようと泊まろうとしますからね!」


 胸を張って得意げに言いはなつエヴィを、男は相変わらずの渋面で見守っていた。

 いくら振っても握った手を離そうとしないエヴィに根負けしたのか、男は「わかった」と口にした。


「僕の家に泊めてやる。また町中であんなふうに騒がれたらかなわん」

「ほんとですか? やったー!」


 エヴィが両手を挙げ、ようやく男の右手が解放される。


「ただし、だ。さっきみたいに、電脳様に喧嘩は売るなよ?」

「”電脳様”?」

「国を哨戒していらっしゃるアンドロイドの方々だ」

「アンドロイド? あんなぐっちゃぐちゃの、アンドロイドの内臓みたいなのが?」


 エヴィの知っているアンドロイドは、一見すれば人間と見まがうような人型のもののみだ。一度本で工場の中にある備品整備ロボットを見たことがあるが、あれだってコードやネジの跡は白い機体の中にしまわれていた。


 あんなロボットにも該当しないような存在がアンドロイドだなんて、エヴィには信じがたかった。


「しっ、大声でそんなことを言うな」


 男が鋭い声で注意した。エヴィは反射的に自分の口をふさぐ。今の自分は何を言ってもこの国の墓穴を掘ってしまうらしい。


 男は静かに辺りを見回したあと、脅威がないことを確認したのか無言で頷いた。


「続きは僕の家でやろう。外にいるかぎり、電脳様方の監視下だ」


 男は左の路地に曲がると、表路地に出た。

 そこには彼曰く電脳様が、彼らに合わせた規格の街の中を歩いていた。

 エヴィがこの国に来たとき、彼らは武装した人間かと思った。それほどまでに、この街は電脳様のためのものになっているのだ。


「この国は機械都市国家マキナ」


 男はエヴィに背を向けたまま、言った。


「ここにいる限り、僕たちは人工知能のはらの中だ」

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る