巫女と不思議な空間

八咫空 朱穏

第1話『妹の頼み事』

 今日はこんなところかしら。


 境内けいだい清掃せいそうを終えて、ひたいにじんだあせぬぐう。鎮守ちんじゅの森の天井をあおぐと、そこにはまだ太陽の姿はない。木漏こもれ日が光の線を描いているから、もうじき顔を出すだろう。


 ほうきを片付けるついでに、神主に外出のむねを伝える。了解との返事をもらうと、軽く服装ふくそうを整えて御影石みかげいしの石段を下りる。

 普段この村で生活しているから、神社から里に下りること自体、回数は多くはないが日常の範囲内。しかし今回の外出は、少しばかり特別なものだ。




 昨晩のこと、私の部屋のふすまが静かに開いて妹が中に入ってきた。妹が私の部屋に来ることは滅多めったにないので、なにか重要なことがあるのだろうと身構える。


「姉さん……。ちょっと、いい……かな?」

「ええ、大丈夫よ」

「お願い、が……あるの……」

「お願い? 珍しいわね、何かしら」

「そろそろ、て……もらわない、と……ダメ、なの……」

「何を?」

「神社の、植物……。大丈夫か、診て……もらう、の……」

「誰に?」

「フェネル、に……」

「フェネルにお願いすればいいの?」

「うん……」


 妹は小さくうなずく。


「でも、なんで私にたのむのよ。自分で行けばいいじゃない?」

「明日、から……火灯刻かとうこく、に……行く、の……。それで……」


 この時期、夕朱穂谷ゆうしゅほだにある火灯刻やしろの手伝いをするために、妹は1週間程度の間神社を留守にする。運悪く、神社の植物の定期健診けんしんと火灯刻への手伝いとが被ってしまって、どうしようもないので私を頼ったようだ。妹にとっては、植物の方よりも手伝いの方が重要らしい。


 この手伝いは、氷緑ひょうろく皇国の神社の関係者にとって非常に大切なものである。いねや米を用いる神事、そして例祭と切っては切れない関係があるからだ。その稲や米というのは、火灯刻社が全てを管理している。


 夕朱穂谷は、皇国随一ずいいちの米どころである扇水おうみなの上流域に位置する。もちろん、夕朱穂谷も稲作いなさくは盛んだ。古くからここで神事に用いる米を育てていて、それは今も変わらず脈々と受け継がれている。


 なにしろ、皇国全土の神事で使う米をここだけで育てているのだ、火灯刻社の関係者だけでは到底とうてい人手が足りない。だから、全国から巫女みこや神主が田植えや稲刈いねかり等の稲作の手伝いをするのが慣例となっている。


 手伝いと言ってもそんなに軽いものではなく、そこに行っている間は、もっぱ稲作いなさく関連のことをしなければならないらしい。

 ここ東雲しののめ神社では、毎年妹の藍花あいかが手伝いに行っている。 


 私が手伝いに行こうとすると、決まって妹は『私、が……行く、の……』と言ってゆずらない。理由は『向こう、に……行く、の……とても、楽しい……。それで……ここ、に……戻る、と……落ち着く、の……。それを……感じたい、から……。だから、行かせて……』ということらしい。

 私にはよくわからないが、極力他人と話そうとしない妹がここまで意志を示すのは珍しい。それに、妹に楽しいと言わしめるものは滅多にないので、私はその仕事を任せてしまう。

 そういう訳で、毎年妹が夕朱穂谷へと手伝いに行っているのだ。


「そういうことね。わかったわ」

「姉さん、ありがとう……」




 昨晩そんなやりとりがあって、私は妹からおつかいを頼まれている。……が、ひとつ重大な問題がある。肝心かんじんのおつかい先の店の場所がわからないのだ。


 聞いておけば良かったと後悔こうかいしても後の祭り。妹はすでに東雲を出発しており、遠く夕朱穂谷に居る。わざわざ聞きに行くのも悪いし、妹もそんな余裕はない。それに何より転移陣を使う必要があるから手間がかかる。仕方がないので、知り合いに聞いて情報を得ることにした。


 知り合いで真っ先に思いついたのが神社の神主。しかし、なぜか東雲よりも別の場所の方がくわしいので候補から外した。外出する旨を伝えているわけだし、今から引き返すのもおかしい気がする。


 次にフェネル。彼女は魔女だから、店の場所を知っているはず。……いやいや。彼女の店に行こうとしていて、その場所がわからないんだからこれでは本末転倒ほんまつてんとうだ。これも候補から外そう。


 その次に思い浮かんだのがソラ。たまに境内で空をながめている自由で気儘きままな奴。彼は確か魔法使い……だったはず、多分。なんというか、魔法を使っているイメージが彼に似合わないのだ。身なりもあんまりそれっぽい感じがしないし。まあ、彼が魔法使いじゃないにしても、そこら中をふらついているはずだから村のことはよく知ってると思う。


 何なら、彼も店を営んでいる。店つながりでフェネルのことを知っているかもしれない。……店に居る姿はほとんど見たことがないけれど。でも、この時間なら流石さすがにまだどこにも行ってないと思うし……。

 動かないことには何も始まらない。勝手に見当をつけて、まずは彼の店に行くことに決めた。

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