勇者なんかじゃない!

もりおか

第1話

「絶対に嫌だ!」

 俺はそう言うと扉に鍵をかけてベッドの中へと逃げ込んだ。母さんがドンドンと扉を叩きながら喚いている。俺は耳を塞いで毛布に包まった。

「あんたね、今出なくていつ出るのよ! 勇者でしょ!」

 しつこく母さんは扉を叩く。情に訴えかけようとしても無駄だ。俺は30年前に世界を救った勇者……の息子に産まれたというだけのただの村人。勇者なんかじゃない。身体能力はもちろん剣技にも長けている優秀な兄とは比べるまでもなく、堕落しているバカな弟、おまけに無職。

 そんな俺を見て3年前父さんは兄さんだけを旅に連れて行ったし、母さんは毎日小言を言っていた。勇者の血が流れているはずなのに、なんて言われても困る。そんなこと俺が一番思っていることなんだから。なんで俺だけ何もできないんだって。そんな自分が昔から大嫌いだった。

 魔王がいなくなってから30年、父さんたちが旅に出てしばらくして、どういうわけかまた魔族達が現れて、世界は再び混沌にまみれた。そして、勇者がいないのを知ってか知らずか魔族達はこの村へとやってきたわけだ。

 しかも、俺の20歳の誕生日に。前から感じていた、昔から本当に碌なことがない、というか運がない。そして今こんな状況になってもなお俺は、自分自身が何もできないことをよく理解している。だからこうして、魔族達がいなくなるまでただベッドの中で待つことを選択したのだ。うちの家は街から離れた丘の上に立っているから、ここから出なければ気付かれることもないだろう。つくづく思う、嫌な人間だと。俺は再びぎゅっと硬く目を閉じた。

 しかし、閉じたその目はすぐに開けることになる。突然扉を叩く音が消えたからだ。母さんが諦めたのだろうか。でもそれにしては静かすぎるし、ブツブツしつこい小言すらも聞こえない。それだけじゃなかった。さっきまでガタガタとなっていた窓枠や風の音も、外から聞こえていた爆発音や悲鳴も何もかもが一瞬で鳴り止んだのだ。まるで時が止まったかのような静寂に、緊張感が増していく。

 毛布から少しだけ顔を出して部屋の中を見渡すが、特に変わった様子は見受けられない。恐る恐る体を起こした、その時だった。

「ようやくお目覚めか」

 背筋が凍りつく。毛穴という毛穴から嫌な汗が一気に吹き出すのを感じた。誰もいないはずの部屋に響いた聞き覚えのない声。若い男の声だ。この家にいるのは母さんと俺だけ、つまり、それは第三者の声でしかない。しかもその声が聞こえたのは俺の後ろ側からだ。部屋の角に置かれたベッドの上、体を起こしたところでせいぜい枕を置くスペースくらいしかないその方向から声がする。ありえない。その主は間違いなく人間ではない何かだと一瞬で悟った。恐怖で動けなくなる俺に、もう一度その声は話しかける。

「おい、聞いているのか」

 怒りを感じているのかやや荒っぽい言い方に、死への恐怖がさらに増幅する。逃げなくては、俺は咄嗟に毛布をその声の方へと投げ付けてベッドから飛び起きた。そしてすぐさま扉へと走り、取手へと手を掛ける。が、動かない。何か強い力に守られているのか、ガチャガチャ動かしてみてもビクともしない。

「母さん、母さん!」

 ドンドンと扉を叩きながら呼んでみるが、何度叫んだところで返事はない。もしかしたらこんなバカ息子に愛想を尽かして逃げてしまったのかもしれない。思わず涙が込み上げる。そうだ、自分なんかが死んだところで誰も悲しまないし、なんなら誰も気づいてすらくれないかもしれない。俺は扉を叩く手を止めた。

「騒がしいやつだな」

 そいつが小さく呟く。俺は意を決して振り向いた。どうせ死ぬのならせめて俺を殺す化け物の顔を一度くらいは睨みつけておきたい。そう思ったのだが、そこにいた人物は化け物と呼ぶにはあまりにも似つかわしくない外見をしていた。

 身長は150センチほどの小柄、綺麗なブロンズのショートヘアに、青く澄んだブルーサファイアの瞳。肌は白く透き通りまさに絵に描いたような美少女、いや、声からして男だろう。そこには容姿端麗な美少年が立っていたのだ。腕を組んでこちらを見据えている。先ほど聞いた低めの声とは少しギャップを感じる。こんな綺麗な子が魔族なのだろうか。俺がしばらく見惚れているとそいつは眉間に皺を寄せて俺を睨みつけた。

「おい、なにか言うことはないのか」

「言うこと、って」

「例えば……ほら、『久しぶり』とか、なんかあるだろ」

 そいつは少しだけ頬を赤らめながら俺を睨みつけている。あるだろと言われても、俺とは今が初対面なわけで、初めまして以外の言葉は出てこない。俺がそうやって困惑していると、そいつは目線を逸らして小さく呟く。

「……『会いたかった』くらい言ってもいいだろ」

 もじもじしている美少年を前に、俺は何も言うことができず、ただ呆然と立ち尽くしていた。一体何の話をしているのだろう、というか、これはあれだ、明らかに俺ではない誰かと間違えているパターンだ。そうでないとしたら新手のナンパになってしまうが、この様子を見る限りありえないだろう。どうしたものか、とても気まずい。しかしこのまま話を続けていても、さらにややこしいことになるだけだし、見たところこの子はあまり強そうではない。敵意は感じないし、俺を殺しにきたわけではなさそうだ。俺はコホンと小さく咳き込んでから口を開いた。

「もしかして誰かと勘違いしてないかな。たぶん俺は君と会うのは初めてのはずだけど」

 そう言うと、その少年はピタリと動きを止めて、ゆっくりとこちらを見つめた。先程の可愛らしい表情とは打って変わり、その突き刺すような冷たい視線に寒気が走る。無言のまま数秒が流れて、俺はもう一度声を発した。

「えっと、初対面じゃなかったら申し訳ないんだけど、俺全然君のことを覚えてな、っ!?」

 そこまで言って突然視界がブラックアウトした。何が起こったのか頭が追いつかない。次の瞬間、こめかみに激痛が走る。ようやく俺は頭を片手で掴まれていることに気がついた。人間の、しかも大人の俺の頭を片手でだ。割れてしまいそうなくらい強く握られる。

 咄嗟にその手を掴んで引き剥がそうとするが、びくともしない。さっき見えていた少年の手とは思えないゴツゴツした感触の腕、そして鋭い爪が俺のこめかみにめり込んでいるのがわかる。

「うわああああ……っ!」

 メリメリとまるで音が鳴るように頭が軋む。殺される。と思ったが、そいつは意外にもすぐにその手を離した。それと同時に俺はそのまま床へと倒れ込む。ズキズキとこめかみが痛い。刺さった爪の跡からは少しだけ血が出ていた。油断してはいけない。例え見た目が綺麗だとしても魔族、凡人の俺なんて一捻りで殺されてしまう。

「すまん、人間はすぐに壊れるんだったな。でも、今のは忘れたふりをしたお前が悪い」

 そいつは俺の首根っこを掴んで軽々と持ち上げると、無理やり自分の正面へと立たせた。いや、正確にはそいつの『背中から生えている異形の腕』が、だ。黒い木の枝が何本も捻れて絡み合っているかのような奇怪な腕は、俺の身長ほどの長さがある。それがまるで蜘蛛の足のように何本も生えていて気持ちが悪い。この美しい本体からそんな恐ろしいものが生えるなんていったい誰が想像できるのだろう。

 俺は恐怖と緊張に体を震わせていた。先ほどのように人違いだと言ったら次こそ殺されてしまうかもしれない。俺はなんとか話を合わせようと試みる。

「じ、実は最近記憶喪失になってしまって、昔のことを全く思い出せないんだ」

「ほう、私を覚えていないと」

「ご、ごめん。だから、君のことを色々教えてほしいんだけどダメ、でしょうか」

 そう言うと、そいつは顎の下に手を当てて何やら考えるような素振りをしていた。後ろの黒い腕もただぐねぐねと動いているだけで、危害を加えようとはしてこない。そいつはしばらく考えると、良いだろうと言って自分の胸に手を当てた。

「私の名はヴォルフ。長き日に渡り封印されていた」

「ヴォルフ、だって?」

「名前は覚えていたか、そうか」

 そいつは満足げな表情を浮かべていた。覚えていて当然だ。なぜなら、それは30年前に父さんが倒した魔王の名前だからだ。困惑している俺を置いてそいつは話を続けていく。

「あの日、2人で世界を変えようとお前は言ったが、私はその手を取るわけにはいかなかった。魔王としての役目がお前を選ぶことはできなかったからだ。そして、お前は私を封印して眠らせた。そのまま殺してくれれば良かったのに」

 ヴォルフは悲しげにふっと笑った。青い綺麗な瞳はまっすぐと俺を見つめている。ようやくこいつが言っている話を理解することができた。どうやら俺を父さんと間違えているようだ。

 でも、俺が昔から聞いてきたこととは食い違う部分が多い。もしこいつが本当にその魔王なのだとすれば、奴は死んだわけでなく、封印により眠らされていただけということになる。なぜ父さんは倒したと滅ぼしたと、そんな嘘をついたのだろうか。

「お前、私を封印するときに何て言ったのかも覚えていないのか」

「ご、ごめん」

「……お前は」

 そう言うと、ヴォルフは突然俺の両頬に両手を添えた。冷たい指先が耳に触れてゾワッとする。家族ですらこんな距離感で互いを見ることはないだろう。しかもその美しい顔は上目遣いで頬を赤らませながら俺を見つめている。恋愛経験なんてほぼない俺にとってはこの時点でとっくにキャパオーバーだ。こいつが例え男だろうと魔王だろうと、この顔面に耐えられるやつがいるのだろうか。

 先程まで命の危険を感じていたとは思えないような展開に正直動揺を隠せない。こんな綺麗な顔が近くに来たら、そりゃ誰でもドギマギしてしまうだろう。

「私がもう一度目覚める時がきたら、そのときは番になろうと」

「つ、つが、い?」

「私と一生を添い遂げてくれるということだ。私はあの日からお前のことを忘れたことはない。だから、私は」

 ヴォルフは頬を赤らめてゆっくりと目を閉じた。長く綺麗なまつ毛が揺れて、艶のある唇は徐々に俺へと近付いてきた。経験がなくてもこのあとに起こることは想像がつく。慌てて俺はヴォルフの両肩に手を置いて、顔を離した。

「お、俺が、そんなことを言ったのか!そっかそっか。昔の俺、そんなこと言ったのかー」

 動揺を誤魔化すように、俺はうんうんと激しく頷き、ヴォルフの両手を外させる。さっきのはどう考えてもキスする距離だった。少しくらいしてもいいかもと思ってしまった自分の視界へぐねぐねと蠢く黒い腕が入り、俺は正気を取り戻した。こいつは魔王だぞ。いや、それ以前に相手は男だ。いくら俺に経験がないとは言っても誰でもいいわけじゃない。それにさっき俺はこいつに殺されそうになっていたんだぞ。危うくその美貌に惑わされるところだった。良いかもしれないと思ってしまったのも、きっとこいつの魔力で魅入られてしまっていたからに違いない。

 はは、と笑う俺にヴォルフは不満そうな顔を浮かべていた。話を戻されないように俺は間を空けずに聞き返す。

「それにしても、それって本当に俺なのかな。だってほら、そんな昔の話なら見た目も違ってたり、するんじゃないか?」

 そう言って俺は首を左右にひねってよく顔を見せる。いくら息子だからとはいえ、見間違えるほどは似ていない。ガタイはともかく、見た目は兄さんの方が父に似ている。違うところと言えば黒い髪くらいで、そもそもの身体能力、そして勇者としての素質も兄の方がしっかりと受け継いでいるのだ。俺にはこの体付きと赤茶色の髪くらいしか分け与えてもらっていない。そしてだらだらと説明口調で喋ってしまうのはきっとおしゃべりな母さん譲りだ。

 ヴォルフにはやんわりと人違いであることに気づいてもらわなくてならない、そうでなければきっと俺は殺される。もしかしたら俺どころかこの街ごと一瞬で消し飛んでしまうかもしれない。だが、その願いとは裏腹にヴォルフは首を横に振る。

「私はお前の持つ魔力に引き寄せられてここへ来た。この力はお前以外にはありえない。忘れるわけがないだろう」

 そう言って瞳を潤ませながら俺を見つめている。真剣な眼差しがこう言っている、お前は自分にとって本当に大切な存在だと。俺ではなくてそれは父さんのことなのだけど、とても複雑な心境だった。勇者と魔王の間柄でということももちろんあるが、それよりも自分の父さんがこんな美少年と『そういう』関係にあったということが驚きであり、ショックでもある。30年前ということは結婚する前のようだけど、母さんはこのことを知っていたのだろうか。

 俺が考え込んでいると、ヴォルフの黒い腕が俺を抱き抱える。正確には俺の体に巻きついて拘束したと言った方が正しいかもしれない。両腕を動かそうとしてもびくともしない。

「な、何してんの」

 恐る恐る聞いてみるが、ヴォルフは涼しい顔をしながら窓に向かって手のひらを向ける。と、次の瞬間には閃光が走り爆発音と共に窓が壁ごと吹っ飛んだ。それと同時に外気の風が吹き込んでくる。外壁のバラバラと落ちる音、ビュービューと吹き込む風、さまざまな音が再び聞こえ始めた。

「ちょっと、カケル、どうしたの今の音は!」

 ドンドンと再び母さんが扉を叩く音がする。本当にさっきまで時が止まっていたのだろうか。俺が呆然としていると、ふわっと体が浮き上がる。ヴォルフは綺麗な金色の髪をなびかせながら宙に浮くと、一言呟いた。

「行くぞ」

 どこへと聞き返す間も無く、俺たちは壁の穴から外へと飛び出した。鳥の様に空を飛ぶというよりも宙に浮かぶといった方が正しいかもしれない。ぷかぷかと浮きながら眼下には二階の壁が吹き飛んだ俺の家、そして遠くには煙が上がっている街が見える。翼もないのに空を飛んでる、なんて呑気なことを考えられたらよかったのだけど、そんな余裕は微塵もなかった。

「少し眠っていろ」

 ヴォルフはそう言って今度は俺に手のひらを向けた。殺されてしまうのかもしれないという恐怖、そして父さんへの疑念、いろんな感情が頭を巡りながらも、俺はそのまま意識を手放した。



ーーーどうして父さんは魔王を倒さなかったのか、なぜヴォルフは俺を父さんと間違えたのか、そして、俺はこのあとヴォルフとどうなってしまうのか、それはまた別の物語。




企画該当タグ:魔王、勇者の息子、身長差

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