第1話

 "清く正しく美しく"。

 みんなもよく聞いたことがある言葉じゃないかな。

 実際、教室の中にも半紙が貼られている。書道の段位を持つ中学校の先生がいつの日か書いてきたものだ。達筆すぎて読めないのが難点なのだけど。

 言葉というものは読んで、その意味を理解することではじめて効果を発揮するものだと思う。温泉の効用が書いてある立て札みたいなものだ。

 私はクラスメイトと、この間家族で行った温泉旅行についての話をしていた。でも、教室の後ろ側では喧騒が響いていて、ついため息が出てしまった。

 別に決闘があるわけでもないが、この学校では─少なくてもこのクラスの中では─発言力がある人がトップに立つものだ。

 その相手に向かって、彼が何かを言っていた。まるで食って掛かるように。

 これが、いつもの光景だ。


 彼は正直に言って、いじめられっ子だ。

 身体と目つきが細いなあというのが第一印象で、特に悪いというところはないと思うのだけど。

 大人しいから、という理由だろうかグループの標的によくされていた。よく、私の目からもやりすぎだなと思うことがあった。

 彼にシャープペンシルを渡した日、同じ歩幅で校舎の中を歩いていた。

「あんまりからかわれているだけじゃだめだよ」

 先生にちゃん言おうね。

 私はたしか、こんなことを言ったような気がする。

 でも、君は何も言わず、首を横に振った。

 なんでだろう、私は疑問に思うしかなかった。

 下駄箱で靴を履きながら、"また、明日"と言ったのは、伝わっただろうか......。

 暗い教室の隅で彼は泣いている、いつもこんなイメージを思っているんだ。


 ・・・


、がんばるのよ!」

 親に送り出された私は高校受験の会場に向けて歩いている。

 同じ日に同じ方向に向かって歩いているのは、別の中学校の生徒たち。誰もが緊張を隠せない。もちろん私だって。

 ちなみに、奈緒というのはもちろん私の名前だ。それは"素直"という意味が込められていると言われたことがあった。親に期待を寄せてもらったように、誠実に合格を決めてみたいと思う。

 校門の前に立った私は足を止めて、大きく深呼吸をした。

 すると、視線の先の方に見知った姿があったのだ。

 相変わらずサイズの合っていない制服。緊張を隠し切れない後ろ姿がここからでも見て取れる。

 私はつい噴き出して笑いそうになってしまった。

 肩の荷が下りたのが功を奏したのか、お互いに合格した。

 お互いに進路を決めていく中、クラスのグループチャットから退出する人が増えていった。私もそろそろ潮時かと、仲の良いクラスメイトを"お気に入り"に入れて。あとはきれいに消してしまった。

 そして、もうひとり。彼のアカウントも残しておくことにするんだ。これから話す機会があればいいなと思っている。

 私たちは一緒に大人になっていくんだ。


 ・・・


 あ、という小さな呟きをしたのは、高校生のはじまりの日だった。

 入学式を迎える校舎の中に置かれたボードにはクラス割が貼り出されていた。そこに映る運命のいたずらにくすりと笑みが漏れる。

 すると、彼が少し遅れた登校してきた。私は彼に挨拶をすると、少しはにかみながらボードの方を指さした。

「......私たち、同じクラスなんだって」

 彼は緊張を隠せずに自己紹介をしていた。たどたどしいという表現がぴったりな言い方だ。

 でも、最後につくった精一杯の笑顔をみて、私はなんだか嬉しくなってしまった。

 他に一緒に進学した人は居なかったから、本当に良かったよね。


 それから、つつがなく高校生活がはじまった。

 彼はあまり数多くないものの、しっかりとクラスメイトを作っていた。たまに男子同士で笑い合っているようだった。

 私は新しい親友を迎えて、中学生から続けているテニス部に入ることにした。彼女と共に、今までより力をつけて試合を挑んでみたいと思う。

 しばらくするとレクリエーションの日が近づいてくる。

 クラスの交流を兼ねて行われるこのイベントでは、自由にチームを決めてよいことになった。

 私はつい、彼に声をかけようとした。

 でも、出しかけた声はすぐにしぼんでしまう。私は女子で、彼は男の子だし。彼は彼で友人がいるのだから、私が出る幕もないだろう。

 この出来事がひとつの境界線だったと思う、彼と話すことが少なくなりだした。

 私たちは同じ時を過ごしているから、それに安堵したという理由だけで、それが自然だなって思ったんだ。

 だから、これで良いのだろう。

 結局、私はクラスになじめない消極的な女子たちとチームを組んだ。

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