第8話 2人だけの飲み会
もし真依に出会わずに佳澄と再会していたら、ワタシはどうしていただろう。
あの頃の想いを呼び覚ましていただろうか。
つかず離れずな関係を職場で続けて、佳澄から意外にも飲みに行かないかと誘いを受ける。
「わたしは飲めないけど、仕事を代わりに引き受けてもらっている分のお礼がしたいから」
「……分かった。いつにする?」
気にしないで欲しいと断ることもできたけど、なんとなく最近の佳澄は機嫌がいいと感じていた。
その理由を突っ込むのはやめておいたけど、仕事の上でずっとギスギスしっぱなしの関係も辛いので誘いに応じることにする。
2人なので予約するほどでもないだろうと、スケジュールが合う金曜日にした。
真依には余計な心配をさせたくないので、同僚と飲みに行くとだけ伝えてある。
当日、会社を出る時間を佳澄に伝えると、佳澄は時間きっちりに上がってくる。
そういう几帳面さは変わらなくて、エレベータホールであっさり合流できて、2人で駅前まで歩いた。
ワタシの歓迎会の時は佳澄は参加していなかったので、佳澄と外で会うのは再会して初めてのことだった。
店はワタシの好きな場所でいいと言われたので、好きなビールの銘柄のあるチェーン店にした。
「今日はわたしに遠慮せずに飲んで」
もちろん飲む気だったけど、佳澄は迷わずにウーロン茶を頼む。
「佳澄はお酒は飲めるの?」
「前は飲んでいたけど、飲まなくなってもう3年は経つかな」
「妊活のためにってことだよね」
向かいに座る佳澄は視線を落として、軽く首を振って頷く。
「この話はやめようか?」
佳澄を余計に刺激することもないだろうと、その話を引き延ばすのはやめておく。
折角佳澄が誘ってくれたので、少しは仲を改善させたい。それなのに佳澄の望んでない話題をいつまでも続けたら佳澄の機嫌が悪くなるだけだ。
「葵には関係がない話だしね」
再会して初めて佳澄はワタシの名前を呼んだ。
それは飲み会の場とはいえプライベートな場だからなのかもしれない。
「そうだね。でも愚痴くらいは聞くよ」
「葵をサンドバッグにしていいってことなんだ」
「打たれ強いつもりだから、多少は大丈夫」
そこで飲み物が運ばれてきて、杯を合わせるだけの乾杯をする。
再会を祝して、とは言えなかった。
「葵は、なんでこんな時に転職してくるの?」
「佳澄がいるって知っていてじゃないから、仕方ないじゃない」
佳澄がストレートに文句をぶつけてくれたのは嬉しかった。佳澄もわざとじゃないことくらいは分かっているはずだ。
恋人になるより前の、気心の知れた友人だった頃を思い出す。
思えばあの頃は互いの思っていることを何でもぶつけ合えた。
「知っていたら転職しなかった?」
「悩んだかな。転職先の本命だったしね。まあ、佳澄には一番再会したくない相手だよね」
「黒歴史でしかないから」
言い放ってくれた分、じめじめはしなくて逆に笑いさえ出た。
「何で笑うのよ」
「黒歴史なら黒歴史として封印してくれるならそれでいいかなって思っただけ。ワタシも過去をそう言い切れたらいいんだろうけどね。佳澄のことじゃない部分ね」
「落ち着いたんじゃないの?」
「今はパートナーがいるから落ち着いてるよ。でも、そこに至るまでがいろいろあったから、振り返るとまだ辛さはあるかな」
蒸し返そうというわけではない。今は幸せだし、真依を裏切るつもりもない。
ただ、かさぶたの下にはまだ傷があることもワタシは知っている。
「葵って理性的に見えて、夢中になると周りが見えなくなるくらいのめり込むでしょう?」
「……気づいていたんだ。それで何度も失敗したんだよね」
ワタシは自分に都合のいいようにこの人はこうだ、と思い込んでしまう傾向がある。なんとなく分かっていたけど、佳澄に言い当てられるってことは、その傾向は昔からあったってことなんだろう。
「葵はそのうち人に刺されても因果応報なんじゃないかって気がしてきた」
その言葉に一人だけ思い当たる人物がある。
相手はワタシの妹の柚羽だ。ワタシは姉としての自分ではなく、愛する存在を手に入れることに必死で、妹に対して裏切り的な行為を重ねた。
柚羽なら大丈夫だとワタシは思い込んでいたけれど、今思うとあの時刺されても仕方がなかったかもしれない。
「心当たりがありそうな顔で黙らないでよ」
「ワタシは佳澄にとって軽蔑するような存在でしょう?」
別れると佳澄に一方的に告げられて、それから先佳澄はワタシとは一言も口を利いてくれなかった。
「そこまでは思ってないよ。ただ、わたしは弱いからそうすることでしか、葵とのことの整理をつけられなかっただけだよ」
「そう……」
ワタシは今となっては佳澄に未練はない。ただ、佳澄はワタシに相談もなしにどうして自分だけで別れるという選択をしたのか、という疑問は残っていた。
あの時は苦しくて苦しくて何も考えられなかったけど、こうして言われると佳澄も悩んで出した結論だとは分かる。
「葵はいつから髪を伸ばしてるの?」
高校時代のワタシはスポーツをしていたこともあってショートヘアだった。
なので、佳澄の記憶にはショートヘアだったワタシしか残っていない。
「大学に入ってから」
佳澄に振られて、表面上は普段通りに戻れても、大学に入るまでワタシはそれを引きずっていた。それでも無理矢理自分を変えたくて髪を伸ばした。
「もてたでしょう」
「もてたことで良かったことなんか一つもないけど」
高校時代は女子校ということもあって、女性にしか告白をされたことはなかった。
だから初めは男性の親切をそのまま受けていたけど、下心つきだということも知った。
「結局男が求めるのは体だけじゃない」
「葵、ストップ。ごめん、わたしが悪かった」
手にしていたジョッキの残りを飲み干して、ワタシは2杯目を注文する。
別に佳澄に腹を立てたわけじゃなくて、これがいつものペースだった。
「葵の今のパートナーは女性?」
佳澄が話題を変えてくれたのは、佳澄なりの配慮なのだろう。真依とのことは隠すことでもないので、素直に答える。
「そう。一緒に住み始めて3年くらいかな」
「可愛い?」
「可愛いし、2つ年下だけどワタシよりしっかりしてる」
真依は表に出るのは得意じゃないけど、ワタシが甘えると包み込んでくれる。
「葵に捕まらなくてもいいのにね」
「喧嘩売ってる?」
一時期は付き合っていたとはいえ、別れる時に佳澄は女性同士で付き合うことに否定的な言葉を告げた。今は男性と結婚しているし、女性同士に嫌悪はあるかもしれない。
「今の葵を見てると、上手く行ってるんだろうなって感じてる。わたしはそういう風に生きることを選ばなかったけど、その先に道はあったんだなって思ったくらい。けど、そのパートナーにも葵以外との可能性はあったわけでしょう?」
「真依は、ワタシと出会ってなかったら普通に男性とつきあって、結婚したかもしれないね」
むしろそうするつもりだった真依を引き留めたのはワタシだった。
「葵にはなんか、危うさがあるんだよね。普通じゃない道に周りを迷い込ませるみたいな感じの」
「ワタシ、普通に真面目に生きてるつもりなんだけど」
女性が女性を好きになるのはマイノリティなのかもしれないけど、それ以外の部分で特殊な性癖もない。ただ、幸せになりたいという思いで求めたのが真依だっただけだ。
「葵の存在そのもの? 迷う子が出て来るかもしれないから、うちの部の子には必要最小限の接触にしておいてね」
「今は高校時代みたいに女性から告白されるなんてことないからね。パートナーが女性であることは流石に言いふらせないけど、恋人がいるって隠す気もないし」
「じゃあ、葵から誘いがあっても応じないようにうちの部のみんなには言っておく」
「…………佳澄、容赦なさすぎ」
「葵に容赦する必要ないでしょう?」
文句がある? と鋭い視線を投げかけられて、ワタシは肩を竦めた。
もっとじめじめした飲み会になるかと思っていたけど、思ったことを言い合えた気がして、後味は悪くない飲み会だった。
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