第7話 溜息の理由
翌日、メールでワタシが佳澄の仕事の一部を請け負うことのルールを決めた。
システム関連の問い合わせはそのままワタシに投げてもらって、ワタシの方で基本的に処理をする。とはいえ、佳澄も状況を全く知らないはまずいので、管理台帳を作った上で、1週間に一度打ち合わせの場を設けて擦り合わせをすることになった。
問い合わせをそのまま引き取ることになって、ワタシは日によっては残業になることも少し増えた。でも、残業すると言ってもちょっとだし、そこまで負担にはなっていない。
その日、午前中に入っていた佳澄との週次の打ち合わせは、朝に連絡が来て急遽キャンセルになる。午後からなら参加できると言われたので、予定が空いていた定時前にリスケする。
確保し直した会議室で待っていると、時間きっちりに佳澄が姿を現す。
「ごめんなさい。急に予定を変更してもらって……」
でも、
「体調悪いんじゃないの?」
思わずそう言ってしまうくらいには佳澄の顔には生気がなかった。
「いつものことなので気にせず続けてください」
「……その、治療の影響ってこと?」
小さく頷いた佳澄をそれ以上は追求できなかった。
ワタシは佳澄のパートナーでもないし、自分が不妊治療を望んでいるわけでもない。
繊細な話題だと分かっているからこそ、深掘りはできる領域ではなかった。
「また溜息ついてる」
真依の声にワタシは視線を真依に向ける。
溜息をついてるなんて自覚はなかった。
でも、家で寛いでいるのに、つい佳澄のことを考えてしまっていた。
「どうしたの?」
覗き込んできた真依の腰を引き寄せて、胸中に顔を埋める。
「ごめんなさい。心配かけて」
「原因が私だったりしないよね?」
「真依に悩むような原因ないでしょ?」
「…………PMSが酷くて、生理の日以外にも断っているじゃない?」
「それ、真依のせいじゃないでしょう」
少し前から真依は女性特有の病気で通院をしている。生理前が顕著に体調が悪くて、ワタシとタイミングが合わないと、半月以上体を触れ合わせられないこともある。
「そうだけど、私のせいだし……」
「真依はそれがもし、ワタシだったらどう思ってた?」
「…………そうだね。ごめん」
同じ女性だからこそ、男性には理解しづらい悩みであっても理解することができる。真依が辛いなら、支えるのはワタシの役割だ。
「今度ワタシも一緒に病院に付き添おうか?」
定期的に真依は婦人科に通院しているので、行き辛い場所でもないし、ついて行こうかと提案する。
「やだ。葵も一緒に診察室に入るって言うでしょう?」
「いいじゃない」
「絶対連れて行かない」
同性婚は法的には認められていないし、社会としても一部分だけ容認されている状態だ。パートナー登録はしていても、いざという時にどこまで認められるかは関わった人次第だろう。
そんな状態でパートナーですって、どこでもついて行けるかと言えば難しいのはワタシだって分かっていた。
でも、真依が辛いなら、少しでもワタシが何かしたい思いはあった。
「今は私より葵でしょう? 何に悩んでいるの?」
「そうだった。職場にね、不妊治療をしてる人がいるの。仕事を続けながらの不妊治療って、精神的にも肉体的にも大変そうなんだけど、真面目な子だから自分の責任だっていっぱい抱え込んじゃっていそうなんだよね。
でも、必要以上に踏み込んだら、綱渡り的に保てているバランスを崩しちゃいそうで、どうしようかなって」
「そっか……難しいよね。そういうの。葵より年上の人?」
「同い年。でも、最近始めたというよりは、前から不妊治療はやってるみたい。ワタシって、そんなことを考えたこともないから全然想像がつかなくって」
女性でも絶対子供が欲しいって人と、できたらでいい人と、欲しくない人、いろいろある。
ワタシは自分が親になる想像もつかなくて、強く子供が欲しいと思ったこともなかった。
「じゃあ、葵は私が子供が欲しいって言ったらどうする?」
「まずは養子でいいのか、自分の子供が欲しいのかで変わるかな。自分の子供が欲しいなら、どういう形で精子を提供してもらうかを一緒に考えないとだね」
「わりと前向きなんだ」
「だって、真依は前提を分かっていて言ってるでしょう?」
真依の言葉には、今の関係のままでという前提があることくらいは流石に理解できていた。でないと、真依はワタシにこんなことを言ったりしない。
「そうだね。どうなるんだろうって考えたことはあるけど、本気で欲しいかって言ったらそんな覚悟までできてないし、気にしないで。聞いてみたかっただけ」
「一人で悩むのだけは止めてね」
「深く悩んでないから。それよりも葵の同僚の話だったでしょう? すぐ脱線するんだから」
「そうだった」
真依と一緒にいると、真依の世界にワタシを引き込んでくれる。
もっと甘えたくて真依を膝の上に乗せる。
腰を緩く抱くと真依もそれに応じて身を委ねてくれる。
「今って初婚の年齢も上がってるし、子供が欲しいけどできないって悩む人も多いよね」
「みんな35歳までにはって言うけど、ストレスを受けやすい社会で自然にできるとも限らないし、時間が経てば経つほど追い詰められるしね。私も葵と生きるって選択をしてなかったら捕らわれていたかもしれない」
「会社としては、不妊治療をしたいって人の配属を融通の利きやすい部署に替えたり、不妊治療に関わる休暇も許容してくれてるから、全く何もしていないわけじゃないんだけどね。それだけで解決する問題じゃないから」
「仕事がすごくできる人なら、治療に関わる休暇分を吸収しきれるのかもしれないけど、大抵そういう人には多く仕事が振られてるよね。ってなると、みんなぎりぎりでやっていっているのに、不妊治療っていう負担がのし掛かるだけだよね」
「そうなんだよね。ワタシが上司ってわけでもないから、負担を軽くしてあげるのにも限界があるんだよね。それに、不妊治療を年単位でして、幸運にも子供が生まれて産休、育休に入ったとしても、その先にまた難関が待ってる。
子供を持つって目的が果たされて満足する人もいれば、その間に5年、10年キャリアが停滞することになるから、後悔する人もいる」
どちらも上手くこなせる人もいるだろう。でも、躓くと立て直した頃には時間が経過していて、何もかもが周回遅れになる。
だから佳澄はそんな悩みのないワタシに対して苛立ちを覚えたのだろう。
でも、ワタシだって真依との生活を守るために必死に生きている。
「その人は子供とキャリアどっちを大事にしたいタイプなの?」
「そこまでは聞いてない。でも、多分どっちにも振れていないから、余計にしんどいんじゃないかなって思ってる」
「子供を産めるって保証もないし、キャリアを諦めるのも簡単にできることじゃないよね」
「そうなんだよね。ワタシにできることってなんだと思う?」
「葵にできる範囲でその人の仕事を一部引き受けてあげるとか、後は注意して見てあげることくらいじゃないのかな。今は頑張れていたとしても、頑張りすぎるとどこかで心か体かどちらかが音を上げるだろうから、そうならないようにだけして注意して見てあげたら?」
「うん。そうする。でも、働いて、結婚して、子供を持つだけでも大変なのに、更に頑張るのにも限界があるよね」
「私はその内の2つだけだけど、葵は手が掛かるから、簡単じゃないからね」
「真依だからやっていけてるって自覚はあります」
よろしい、と満足げに頷いた真依の唇をワタシはそのまま求めた。
「だから、甘えさせて?」
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