第7話 御老公
砂と化学的な添加剤を入り混じった臭いがあった。
コンクリート臭がする廃墟ビル。
もはや電気など通ってもいないであろう、その建物のエレベーターが動いていた。
その光景を見れば、怪奇現象かと思うような状況であるが、実際は違う。
ビルの屋上には、一人の男が立っていた。
男は、手に持っているスマホで誰かと話していた。
通話相手は、この男と同じ組織の人間である。
電話の向こうから聞こえてくる声は、とても冷たいものであった。
男の口調から、それがよくわかる。まるで虫けらでも見るかのような話し方だ。
しかし、それは仕方がないことでもあった。
なぜなら、組織にとって末端の者は、ただの駒なのだから。
駒がどんな扱いを受けようと、気にする必要はない。
「御老公と館長がビルに入ったのを確認しました。はい。周囲の警戒を厳重に行います」
報告を終えた後、男は双眼鏡を片手に緑に覆われた林を眺めている。
ビルの地下。
地下2階の表示灯が点灯すると、中年の男が先に出てくる。
道着に、刀と脇差の二本差しを腰に差した中年の男だ。
中年と言っても、その見た目は衰えたものは一切感じさせない。
その顔つきは精力的で、目付きは鋭い。
鍛え抜かれた肉体は、鋼のようであり、全身から闘気が溢れ出しているようだ。
男の名前は、
続いて、エレベーターから車椅子に乗った老人が出てきた。その後ろからはスーツを着た二人の男たちが続く。
一人は車椅子を押しているが、もう一人は周囲を警戒するように見回している。
三人と老人は、そのまま進むと、人間と同じ大きさの窓枠がはまった場所の前へと移動した。
地下であるにも関わらず、ガラスの窓枠があるとは奇妙なことではあるが、そこは、地下3階にある25m四方の何もない部屋を見下ろすことができるベランダだった。
その部屋は汚らしい所だった。
むき出しのコンクリートの地には、黒い染みがいくつもできており、鉄格子のついた扉が備え付けられている。
部屋の壁に設置された照明のいくつかは、蛍光灯がチカチカと点滅していた。
どうやら、壊れてしまっているようだ。
老人は、そんな部屋を見下ろしてい
た。
車椅子の老人は、どこか嬉しそうな声で話す。
それは、待ちに待った瞬間が来たからだ。
「源郎斎よ。今日は、どのようなモノを見せてくれるのじゃ」
年齢は、60歳ぐらいの小柄な男性であった。
髪はすべて白くなっているが、その瞳はまだ力を失ってはいない。
むしろギラついていると言っていいだろう。
源郎斎は答える。
彼の表情もまた、楽しげであった。
「例の小僧に対する刺客の試験。と言ったところですな。鬼哭館の剣士ではなく、流れの剣士で《
源郎斎はそう言うと、近くに居た男に合図をする。その合図を受けた男は、スマホを取り出し伝達をすると、見下ろすことができる地下3階に3人の男が入っていく。
腰には刀を差している。
《鎧》と呼ばれる三人組だ。
その様子を見た老人は、口元を大きく歪ませると、笑い始める。
その声は、静かな部屋に響き渡っていた。
「して。相手は?」
老人は、期待に満ちた目で尋ねる。
それに対して、源郎斎は落ち着いた口調で答えた。
「当方の鬼哭館の剣士。表の道場で出来の良い者達を集め、そこから剣で人を斬ることを教えてやりましたが、拒否を示した者です。ですが、それなりに腕は立ちます」
それを聞いた老人は、笑みを浮かべたままで言った。
まるで、新しい玩具を与えられた子供のような無邪気な笑顔だ。
そして、源郎斎に向かって命令を出す。
これから起こる出来事への命令であった。
「余興じゃな」
その言葉を聞いて、源郎斎もニヤリと笑う。
命のやり取りを、楽しむ顔つきをしていた。
やがて、3人の男達がいる部屋に6人の若者が入れられる。皆、周囲の状況に驚きながらも、手渡されていた刀を構える。
その姿を見ていた老人は、ゆっくりと口を開いた。
「では、始めようかのう」
老人の言葉と同時に、源郎斎は3人の男に合図を送る。
すると、3人の男達は刀を抜いた。
6人の若者達も遅れて刀を抜く。状況を完全に理解はしていないが、抜かなければ殺されるということだけは分かっているのだ。
3対6の戦いが始まった。
だが、戦いと呼べるものではなかった。
なぜなら、それは男達による一方的な殺戮だからだ。
《鎧》のリーダー格の男が言った。
「一人頭、二人ずつ斬るぞ」
その言葉に、他の二人が頷く。
3人の男達が、6人の若者を囲むように広がる。
まず最初に殺されたのは、先頭に居た若者であった。
彼は、恐怖からか震えていた。そこに男が向かっている。若者は男を斬りつけたのだが、その一撃は空を切った。
次の瞬間には、若者は男に喉を突かれていた。
1人目。
男は、突いた刀を振り上げる。
若者達は、仲間がやられたことで、冷静さを失い動けないでいた。
しかし、それも一瞬のこと。
男は振り上げた刀を動けないでいる若者の顔面を叩き割る。
2人目。
次に狙われたのは、刀を捨てた若者だった。
若者は悲鳴を上げ、逃げようとした。
しかし、その背中を別の男に斬り裂かれる。
3人目。
次の犠牲者が選ばれる。
その相手は、まだ少年と言えるような年齢の若者であった。
若者は、手に持った刀を震わせていたが、それを振り上げることができずにいた。
それでも、なんとか抵抗しようと必死になって刀を振るう。
しかし、それが仇となった。
その刃は、男に届くことはなかった。
逆に刀を弾き飛ばされてしまう。
男は、刀を弾くと若者の心臓を突き刺した。
4人目。
残った若者は2人しか残っていなかった。
若者は、目に涙を浮かべ、叫び声をあげながら刀を振り回す。
だが、その攻撃が男達に当たることはない。
男達は若者を取り囲む環を広げて様子を見る。
すると、また斬っていない男の一人が動き、若者の懐に飛び込むと、その腹部を横から深く斬りつける。
傷口から血が噴き出す。
5人目。
最後に残された若者は、すでに戦意を喪失していた。
両手を挙げ、降参の意思を示す。
それは、命乞いだった。
男は、そんな相手に近づき、容赦なく首の頸動脈を斬った。
6人目。
こうして、鬼哭館の裏の道場に集められた6人の若者達は3人の男達によって、全員殺された。
源郎斎は、その様子を満足そうに見下ろしていた。
老人は、その様子を見つめて嬉しそうな声で言う。
「中々良い腕をしておるな」
源郎斎は、それに答えるように口を開く。
「一方的過ぎましたな。やはり、斬り合うだけの度胸がなければ剣士としては役に立ちません」
老人は、そんな源郎斎に向かって尋ねる。その口調は、怒りを含んでいた。
「ところで。女の供給をさせていた例の男・
源郎斎は息を飲み、答える。
「はい。中心街の交差点を横断。渡り終えて死亡しています。警察は、そのまま心不全の病死として片付けていますが、死に方に不自然な点があります」
「警察は司法解剖をしていないのか?」
老人の問いに対して、源郎斎は首を横に振る。
それを見て、老人は大きくため息をつく。
犯罪が疑われたり、死因が分からなかったりして、警察が扱った遺体は全て司法解剖に回される訳では無い。
警察が2018年に扱った遺体は約17万人(交通事故などを除く)で、うち解剖されたのは2万344人(12%)で、全体の88%は司法解剖されることなく処理されている。
都道府県別で解剖率が最も高かったのは神奈川で41%だが、一方、広島1%となっている。
2016年石川県の精神病院で患者が亡くなる事件が発生。
当初、病院側は遺族に対し心不全が原因と説明するが、遺族側が不審に思って警察に連絡。司法解剖が行われたことで、死因は肺血栓塞栓症だった。
これによって、入院中に患者の身体を拘束していたことが発覚した。
死因究明の解剖は、事故や犯罪の見逃しを防ぐ役割もある。
警察庁の研究会が2011年にまとめた報告書によると、1998~2010年に発覚した犯罪見逃し事案は43件で、22件は死因を誤っていたという事実がある。
源郎斎は老人の問を、さらに説明した。
「面倒くさがりな警察は司法解剖をしていないので、詳細は分かりかねますが、葬儀の為に運ばれた死体を確認したところ、頸部が切られていました。皮膚を切らずにです」
源郎斎の言葉を聞いて、老人は目を細める。
そして、口を開いた。
言葉には、怒りが含まれていた。表情も、普段の穏やかなものではなくなっていた。
だが、それでも口調は変わらない。いつものように落ち着いた声音であった。
老人は、静かに言葉を紡ぐ。
「どんな術を使ったか知らぬが、どういう小僧じゃ」
源郎斎はその質問に、はっきりとした声で答えた。
「剣士です」
スマホを取り出し、源郎斎は街の防犯カメラ映像を見せる。
交差点の中で、杉浦正明とすれ違う竹刀ケースを持った少年の姿があった。
「街の防犯カメラ映像ではハイスピードカメラでは無いために、はっきりは分かりませんが、あの時に近くに居たもっとも怪しい奴は、この少年以外に居ません」
老人は、源郎斎の言葉を聞いて不服な顔をする。
「何者じゃ、こ奴。儂のことを知っての
源郎斎は、老人に向かって頭を下げる。
「まさか。ただ、調べはついています。名前は
ただ、その剣の腕を殺しとして使うことを
源郎斎の答えを聞いた老人は、笑みを浮かべた。
「小僧の始末もじゃが、女の供給ルートの再確保もな。急げよ」
老人は、一層厳しくなった口調で命令を出した。
源郎斎は、深々と礼をする。
そして、ゆっくりと部屋を出ていった。
その後ろ姿を見送りながら、老人は呟いた。
「忌々しい体じゃ」
その顔は、今まで以上に醜悪なものになっていた。
まるで、この世の全てを憎んでいるかのような表情だ。
しかし、それは無理もないことだった。
老人にとって世界とは、自分の思い通りに動かないものは全て敵なのだから。
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