割れなかったグラス

羽衣まこと

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 生きる希望というものが、人にはそれぞれあると思う。

 それは近しい誰かの存在かもしれないし、漫画なのかもしれないし、アニメやドラマ、話題の映画や、推しの誰かなのかもしれない。あるいはいつかの美しい思い出や、優しい言葉や、温かい食べ物なのかもしれない。

 私にとっての希望は、グラスだった。

 それも、泣きながら床に叩きつけたグラス、だ。


 悪いことというのは、重なるようにできている。私がそれを思い知ったのは、中学三年生の頃だった。受験だからという理由で友達と組んでいたコピーバンドが解散し、昨年は全国大会まで上り詰めた部が地区大会の予選落ちをし、私のことを褒めてくれた先生が転勤でいなくなり、ずっと上位をキープしていた成績が落ちて弟に負け、志望校を担任と親に反対された。ドン底だった。今思えばくだらないことだと思うが、でも、小さなことでも重なると大きなダメージになるものなのだと、その時に初めて知った。 

 それから十年が経って、私は社会人になった。そうして、悪いことはあの頃と同じように重なった。

 

 最初はただ、疲れたな、と思っていた。深夜の二時に仕事が終わって、朝十時にはもう会社にいる、そんな日が増えていた。繁忙期だからと何度自分に言い聞かせても、疲れが消えるわけではなかった。最後の休日は先月だったとか、そんなことを考えるのも面倒になっていた。観たかった映画の公開がいつの間にか終わっていて、ついこの間出てまだ読んでいない漫画の新刊がもう出ていた。時間が過ぎるのが異様に早かった。ずっとうっすら疲れていて、体が重かった。

 じっとりとした視線を感じる、と思うようになったのもその頃だった。隣の席の先輩だった。十歳近く年上の男性社員で、帰り道が一緒だということが判明して以来、よく終電間際に一緒に帰ろうと誘われるようになった。帰りの電車で読書をすることが楽しみだった私にとって、それはとても面倒なことで、負担だった。

 これは告発の話ではない。グラスの話だ。だから詳細は割愛する。だけど私は、今も夜道が怖いし、後ろから人の走ってくる音がすると身がすくむ。腕や手を掴まれると動けなくなるし、残業は一人か、逆に大勢でしかしたくない。狭い部屋に誰かと入る時は緊張するし、エレベーターにはできるだけ乗りたくない。顔を寄せられるのがとても嫌いだし、耳の近くで話をされるのはもっと嫌いだ。

 こういう時に恋人や友達がいれば、もう少しなんとかなっていたのかもしれない。だけど、悪いことというのは重なるものなのだ。

 私にとっての親友は、片想いの相手でもあった。親友は女性だったが、私は十年以上も、彼女に一方的に恋をしていた。そしてその頃、彼女は一回り歳の離れた男性と付き合っていて、私と会う回数が減っていた。

 彼女が入籍したと知った日の夜も、私は残業をしていた。深夜三時を回り、始発を待つかタクシーで帰るかひとりで悩んだ結果、タクシーで帰ろうと決めてコートを羽織った。いつもすぐ捕まるタクシーは捕まらず、駅まで歩いてタクシー乗り場に並ぼうかとも考えたが、前の日に乗ったタクシーの運転手から「若い女の子がこんな夜中まで遊び歩いて」というような説教をされたことを思い出し、家まで歩くことにした。その時は、真面目に働いていても勤務地が渋谷だとこういうことになるんだな、とひとつ学びを得た気でいたが、今思えば、案外傷ついていたのかもしれなかった。

 先に言っておくが、会社から自宅までの間に何かひどいことが起きたというわけではない。私は先輩の件が悪化したせいですでに引越しを終えており、駅から遠いが目の前が大通りという賃貸に住んでいた。途中の道も明るい道を選んで歩いたし、時折酔っ払いとすれ違ったが、絡まれるようなことはなかった。家までは歩いて一時間と少しで、たいして長い距離でもなかった。

 午前四時ごろの街というのは、とても静かなものだ。都会なのに、夜中はまだうるさいのに、明け方になるとこんなにも人がいないものなのかと驚いたくらいだ。途中で空が明るくなり、きれいだとすら思っていた。だけど自分が歩く道に雫が落ちていて、そのことに気づいて初めて、私は自分が泣きながら歩いていたことを知った。

 それから数日後の朝、私は玄関扉の取っ手に手をかけたまま、突然動けなくなった。コートを着てカバンを持って、ハイヒールを履いて、誰もいない部屋に「いってきます」と声をかけて、扉の取っ手に手をかけて、そのまま動けなくなった。そして泣いた。気がつくと一時間が経っており、会社から電話が来ていた。その日は熱が出て吐き気がするということにして会社を休んだ。久々の休日だった。ほとんど寝て過ごした。

 それで少しは楽になるかと思ったのに、そうはならなかった。私はその日以来頻繁に泣くようになった。玄関だけでなく、朝の電車や日中、つまり仕事中にも。メールを打っている手の甲に涙が落ちてくるとか、コピーを取っている間に泣き出してしまってトイレに駆け込むとか、そういうことが日常になった。


 生まれて初めて心療内科へ行ったのは、それから三週間ほどしてからだった。

 スマホで検索すると、心療内科は池袋の駅近のビルにあった。池袋という街は、娯楽のための施設ばかりの印象があったから、当たり前のように「そういうもの」があるのが何だかひどく不思議に思えた。

 ビルの中は少し暗くて、脱毛サロンに来た時の印象と似ているなと思った。目的がある人しか来ないタイプのビルだ。同じビルの中には歯医者と、知らない会社と、それから消費者金融の支店が入っていた。

 担当してくれた先生は、優しそうな顔をしたおじさんだった。声も優しかった。だけど私は勝手に怯えていて、早く帰りたいと思っていた。今考えればひどい偏見だが、「こういうところ」に来ていることが、当時の私は漠然と後ろめたかった。「外れてしまった」のだと思った。もう戻れないような気がした。それなのに、堂々とここに居るのもなんだか悪いように思えた。ただ頻繁に涙が出るだけでは、症状が軽過ぎるようにも思えた。不眠の症状もあるにはあったが、そこまでひどいものでもなかった。

 案の定、鬱という診断はされなかった。先生の話はうまく入ってこなかったが、「ストレス」とか「軽度」とか「不安」とかいう単語が聞こえた。私は全ての質問に引きつった笑顔で答え、自分で予約を取ったくせに、早くこの時間が終われと真剣に願っていた。

 続けて行われたカウンセリングは、もっとひどかった。私を担当してくれたのは、きれいでいい匂いのするお姉さんだった。彼女もとても優しかった。だけど私はほとんど逃げ出したい気持ちになっていた。先ほど鬱と診断されなかったことで、大げさに騒ぐ馬鹿な女だと思われたのではと心配になっていた。自分が矮小な人間のように思えて恥ずかしかった。だから何を言われても、「大丈夫です」「ありがとうございます」「頑張ります」「気が楽になりました」と得意の笑顔ですべてをやり過ごした。とにかく早く帰りたかった。全然楽にならなかった。

 料金は、「結構するなあ」と思ったことを覚えている。記録を取っていなかったから正確な額はわからないが、カウンセリングも毎回受けたら支払いを続けられないんじゃないか、という感想が記憶に残っているから、そういう額だったのだと思う。帰り際に、待合室で中学生くらいの女の子と中年の女性が並んで座っているのを見かけた時も、金持ちなんだなあ、と思った記憶がはっきりとある。他人の経済状況なんて私にはわからないのに、それにお金があったからって、こういうところに来ているなら幸せ絶頂ということはないだろうに、私は咄嗟にそういう下世話なことを考えたのだった。最低だと思った。でも、窓口で処方箋と薬局の案内用紙を受け取って隣のビルの薬局に向かうために階段を降りている時も、私は同じことを考え続けた。中学生の頃の私が今の私と同じ状態になったとしたら、両親はこういうところに連れて行ってくれるだろうか、とか、診察費とカウンセリング代、それから薬代までを、私の親は毎回きちんと払えるだろうか、とか、そういうことを考えた。考えて、「難しいかもしれない」という結論を出した。両親は私を愛してくれていたが、お金はそんなに持っていなかった。

 ビルを出ると、外は晴れていた。明るい日差しの中、こんなことを考えている自分はひどく醜い存在のように思えた。人がたくさん行き来する雑踏も、責められているような気がして怖かった。隣のビルの薬局で薬を受け取ったあとは、俯き気味で逃げるように駅に向かった。

 ホームに向かう途中、前から歩いてきたスーツのおじさんと肩がぶつかった。「すみません」という私の頼りない声は、おじさんの「チッ」という大きな音にかき消された。びっくりして振り返ると、自分の歩いていた道がとても広く、周りには人があまりいなかったことに気づいた。わざとぶつかったのかもしれない、と思うと怖くてたまらなかった。そうじゃないのかもしれないのに、本当にただよそ見とかをしていて、ただ悪気なくぶつかってしまって、ただ機嫌が悪くて舌打ちが出てしまったとかそういうことかもしれないのに、あまりにも恐ろしくて、心臓がずっと早鐘を打っていた。私は唇を噛んでホームへ向かい、ちょうど滑り込んできた電車に乗った。ずっと唇を噛んで、声が漏れないようにしていた。涙は止められなかった。家に着くまで大声を出さないようにするので精一杯だった。

 

 部屋の中のものを全て捨てようと決めたのは、アパートに到着して玄関で一通り泣いたあと、靴を脱いでいる時だった。

 どうして突然そんなことを決めたのか、私自身にも正確なところはわからない。でも、もしも死ぬなら部屋はきれいな方がいいだろう、というのは頭の隅にあったと思う。遺品で人生を推測されるなんて絶対に嫌だった。中途半端に書いてみた小説や詩や漫画を見られたくなんかないし、本棚の一角に隠してある成人指定の同人誌なんか見たら両親は悲しむだろう。商業の漫画だって小説だって、私が好むものは昔から、明るくてハッピーで真っ当なものではなかった。暗かったりグロかったりエロかったり、まともな人が見たらきっと眉をひそめるようなものばかりだった。それらはすべて「こういう精神状態」になる前に買っていたものだったけれど、いざという時に「病んでいた」なんて馬鹿みたいな結論を安易に出されたら困ると思った。そんなのは不快だし、尊厳を踏みにじられる感じがする。人としての尊厳はせめて保って死にたかった。だからもしも死ぬなら、部屋には何も置きたくなかった。全部自分で処分して、真っさらにして、初めから何もなかったことにしたかった。何も入っていない本棚とベッドとローテーブル。それだけにしたいと思った。何もかも捨てたかった。

 たった今脱いだ靴から捨てようと決め、私は手にした靴をそのままゴミ箱に突っ込んだ。そのあとカバンと上着を廊下に放り、律儀に手は洗い、洗面所の戸棚からゴミ袋を一枚とって、壁一面の本棚の中のものを乱暴に入れていった。クローゼットも開いて、服を手当たり次第全て袋に詰めていった。すぐに一枚じゃ足りなくなり、洗面所に戻ってゴミ袋の束ごとリビングに持っていった。無心で詰めていくと、袋はいくつも積み重なった。本は資源ゴミとして捨てなければならないとわかっていたが、構わず全てゴミ袋に入れた。ルールなんかどうでもよかった。何もかも面倒だった。

 気がつくと床に雫が落ちていて、私は自分が泣いていることに気が付いた。ゴミ袋は五つ目になっていて、それをぼんやり眺めながら、私はふと、こういうことを、みんな思春期とかで一度はやるんだろうかと考えていた。何かを盛大に捨てたりしたことが、私はこれまでの人生で一度もなかった。ちまちま積み重ね、こつこつ取っておくような人生だった。思春期の頃は人並みの苛立ちを感じていたはずだと思うが、癇癪を起こしても、泣いてぬいぐるみを放り投げるだけの、いわゆる「いい子」な怒り方をしていた。ずっとそうだった。そうやっていい子にして、大人しく生きてきたのに、実際に大人になるといいことは何も起きなかった。悪いことばかりがこうして重なって、私は今、持ち物を全てゴミ袋に入れている。馬鹿らしいと思った。こんなの馬鹿らしい。くだらない。人生はクソだ。

 どうせなら全部壊してやりたくなった。全部壊して、捨ててやる。全部。全部全部全部全部全部。

 私は食器棚に走った。走ると言ってもほんの数歩の距離だったが、それでも確かに走って戸を開き、手前のグラスを勢いよく掴んだ。一人暮らしを始めるときに、実家から持ってきたグラスだった。花柄の、ダサい、子どもの頃に買ってもらって、もう気に食わないから要らないとは言えずに、一人暮らしを始めるときに母親のすすめで持ってきてずっと使っていたグラスだ。

 私は腕を振り上げて、それを思い切り投げた。床に向かって、叩きつけるように投げた。

 ガシャン! という大きな音は、しなかった。

 花柄のグラスは、こつ、と床に当たったあと、ころころころ……と間の抜けた音を立てて転がっていき、やがてベッドの足に当たって停止した。停止する時でさえ、ことっと控えめな音がしただけだった。静かなものだった。

 私は、うそだろ、と思った。

 うそだろ割れないのかよ、と、真剣に思った。

 私は割れなかったグラスを見つめた。そして心の中で、「オイ」と冷静にキレた。今思うと全く冷静ではなかったが、確実にキレてはいた。なんならそこそこ引いてもいた。お前なんなんだよと思った。グラスに向かって心の中で罵った。映画とかドラマとか漫画とか観たことないのかよ、空気読めよ馬鹿、だからダサい柄なんだよお前なんか。そんな風に脳内で花柄グラスを罵ったあと、私は「ふざけんな」と叫ぶことにした。叫ぶべきなんじゃないかと思った。そのあたりから何か展開がおかしいような気はしていたが、とにかく叫ばなければならないと思った。だからぱっと口を開いた。

「ひっ」

 うそだろ、と思った。二度目だ。

 口から出た言葉は「ひっ」だった。しかもちょっと高かった。あまりにもキレていたせいで、泣き過ぎで喉がおかしくなっていたことに、私は気づけなかったのだ。

 現実は小説より奇なりなんて言ったのは誰だクソ、と私は脳内でまたキレ出した。

 百歩譲って「奇なり」が存在するとして、そんなものを体験するのは百万人に一人くらいの世にも幸運な輩だけだ。最初に唱えた奴に今の私を見せてやりたい。見てみろほら、だいたいの現実は小説よりダサいんだ。奇でもなければ劇的でもない。主人公ポジションのはずの私は泣き喚くこともできないし、グラスは割れずに床を転がる。しかも「こつ、ころころころ……ことっ」みたいな音で。クソダサいし音も小さい。ふざけんな。

 もっと派手な音を出して、盛大に割れるべきだと思った。全部がなっていないと思った。絵にならないだろそんなんじゃ。そんなんだから声も変なのが出るんだぞ、ふざけんな花柄クソダサグラス。

 そんな風にツッコミを入れている自分が奇妙で、おかしかった。私はその場に突っ立ったまま鼻を鳴らし、引きつった声で「なんだこれ」と呟いた。顔は涙でべちゃべちゃになっていて、半分乾き始めて皮膚が引っ張られる感覚がした。喉はかさかさで痛かった。「なんだこれ」の直後には、しゃっくりのようにまた「ひっ」と高い声が漏れた。

 何もかもがくだらなかった。くだらなくて、ダサくて、間の抜けたワンシーンだった。

 こんなに緊張感のない世界に生きてるのか私は、と妙に肩の力が抜けた。全部が茶番のようだと思うと、自分に起きた出来事も大したことじゃないと思えた。それは一瞬だけだったが、確かにそう思えたのだった。こんなのは深刻でもなんでもない、ダサい私のダサい物語のダサいエピソードの一つでしかないのだ。オムニバスの小説集とかの、真ん中くらいにあるあんまり記憶に残らない短編小説のひとつ、になれるかどうかもかなり微妙なショボいエピソードだ。

 完全にテンションが下がっていた。それでとりあえず、死ぬことを考えるのは一旦やめた。部屋のものを全部壊して捨ててやるのもやめにした。すでにゴミ袋に放り込んだものはもとの場所に戻すのが面倒なのでそのまま捨てることにしたが、それ以上新たに何かを袋に入れることはしなかった。

 

 翌日は、まだ本棚に残っていた漫画を読み返した。幸い仕事は一時的に落ち着いていて、というか落ち着いていたから心療内科に行くことにしたのだが、とにかく日曜も珍しく休みだった。

 翌週の土日も、運良く休みだった。しかし外に出るのは億劫で、私は部屋で漫画を読んで過ごした。そうしていたらゴミ袋に放り込んで捨てた漫画も読みたくなってしまって、電子書籍で全巻買い戻す、などというくだらないことをした。最初から持っていたものを捨ててしまったせいで、意味もなく数万円を失った。でも別にどうでもよかった。何もかも茶番に思えた。

 結局朝から晩までずっと漫画を読み続け、目が疲れてきたら寝た。日曜の夜、日付を跨いだ深夜一時に転職サイトに登録して、月曜の朝はいつも通りに出勤した。涙はやっぱり突然出てきたし、心療内科でもらった薬も、飲むと副作用で眠くなるので、あまり飲みたいと思えなかった。 


 それから実際に転職するまで七ヶ月かかり、転職してからは丸三年が経った。

 心療内科には結局、四ヶ月間通院した。カウンセリングは受けなかったが、一時的にでも涙を止めるためにはやはり、副作用を押してでも薬が必要だった。そうしなければ仕事ができなかった。

 今は通院の代わりに、時折小説を書く。カウンセリングよりも精神が落ち着くと私は思っているが、他の人はどうだかわからない。そういう話をする友達も特にいない。そもそも心療内科に行ったことがあることも、小説を書いていることも、あまり他人には話していない。


 割れなかったグラスは、今も食器棚にある。と、言いたいところだが、先日洗っていた時に手が滑ってしまい、他の食器と当たって飲み口が欠けたので捨てた。情緒も何もないと思うが、もともと好きな柄ではなかったし、いい機会だと思っただけだ。

 グラスが欠けた瞬間の私は淡白だった。一ミリも迷わずさっと泡だらけの手を洗い流し、グラス本体と破片を広告の紙に包んで、ビニール袋に入れてマジックで「ワレモノ」と書いて玄関の靴箱の横に一時的に置いた。そして残りの洗い物をし、翌週の不燃ゴミの日に普通に捨てた。

 このように、現実は小説よりダサいし劇的でもない。くだらないし、そっけないまま淡々と続く。そういうものなのだろうと思う。

 私の部屋に、あのグラスはもうない。だけど私は、それがなくても生きていけることを知った。全巻捨てて電子書籍で買い戻したあの漫画も四年ぶりに新刊が発売したし、めちゃくちゃ面白かった。そうやって続いていくのだ、私の人生は。そういうものなのだ。

 ちなみに近頃ヘビロテになっているグラスは、とある詩人の作品展に行った時に買った、ぐるりと一周詩がプリントされているものだ。「光」という漢字が目に入って衝動買いしたのだった。グラスには、光という言葉が良く似合う。

 いつかこの詩のグラスも床に叩きつける日が来るんだろうかと、私は時々考える。たぶんいつかはそういう日が来るのだろうと思う。今は忙しいけど毎日平穏で、仕事で日付は跨がないし、同僚に怯えなくていいし、大失恋も特にしていないが、これから先もずっとそうでいられるかはわからない。予想外の不運や、理不尽としか言いようのない出来事だって、たくさん起こるのかもしれない。

 床に叩きつけたら、このグラスは割れるだろうか。私は想像してみる。想像して、どちらでもいいなと思う。割れてもいいし割れなくてもいい。割れたらきっと「いやお前は割れるのかよ」というツッコミを入れるだろうし、割れなかったらきっと「やっぱ割れないのかよ」というツッコミを入れるだろう。どちらにせよ、私は反射的にそういうダサいことを思う。そうしてまた、涙でぐちゃぐちゃの顔で「なんだこれ」と鼻で笑い、「ひっ」とダサい声を出して、死なないことを選ぶのだろう。「こつ、ころころころ……ことっ」とかいう、あの間抜けなグラスの姿を思い出して、生きることを選ぶのだろう。


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