My candy apple is (not) a McGuffin
次元つぐ
第1話
模試が終わり、冷房の効いた教室から一歩外に出ると、途端に熱気が襲いかかってくる。思わず呻き声を上げそうになるけど、この後のことを思うと私はすぐに気を取り直した。リサと夏祭りに行くことになっているのだ。二人で屋台を巡る光景が頭に浮かび、テンションが上がった。
「リサー、早く祭り行こー。お腹空いた」
ぞろぞろと教室から出てくるクラスメイトたちの中からリサを見つけると、私は駆け寄った。
「お腹空いたって、さっき食べたばっかじゃん」
「さっきって、もう三時間も前ですけど。普通におやつの時間なんですけど」
「まあいいけど。りんご飴食べたいとか言ってたっけ」
「うん。でもまだいいや。今はそれより何か主食的なやつが食べたい」
「おやつの時間なんじゃないの」
「なんでもいいけど早く行こ?」
他の誰かに声をかけられて、一緒に行こうとかいう流れにならないうちに、私は早く学校を出たかった。私はリサと二人だけで行きたかったのだ。
学校のある街の中心部から少し外れて川のあるほうに向かうと、祭りに行くらしい人たちの姿がちょっとずつ目立ち始める。浴衣を着ている人も多く、それを見ると少し羨ましかった。
「あー、いいなあ浴衣。私も着たかった」
自分が着たかったのも本当だけど、それ以上にリサの浴衣姿が見たかった、というのはもちろん言わなかった。
「実はこの下に着てたりして?」
ポロシャツとスカートの裾を軽く引っ張りながら、リサがそう口にした。
「えっ?」
私は驚いてリサのほうを見た。けど、すぐにそんなわけがないことに思い至った。服が四次元なんとかにでもなってない限り、どう考えても無理だ。
「いや無理でしょ、そんな『実は下に水着着てました』みたいなノリで言われても」
他愛のない、ボケと言えるかどうかも微妙な冗談に、いちおう突っ込んでおく。そんなふうにしながら歩いていくと、屋台が並ぶ様子が見え始め、夏祭りに来たという感じがいよいよ増して気分が高まってきた。
「うおー、来た、夏祭り」
「来たねえ、夏祭り。それで何食べるの」
「うーん、どうするかな」
祭りの屋台といえば多くが食べ物系であり、何を食べるか迷うのは必至だった。ざっと見ただけでも、焼きそば、たこ焼き、いか焼き、クレープ、冷やしきゅうり、綿あめ、串焼き、ベビーカステラ、たい焼き、かき氷、りんご飴、お好み焼き、などなど。
「迷う……。よし、もう全部買お。金に糸目は付けねえ」
ここのところは勉強ばかりで、外に出歩くなんてこともあまりなく、その分お金はあった。とはいったものの、結局買ったのはクレープだけだった。
「『金に糸目は付けねえっ!』とか意気込んだ割にこれだけ……しかも主食的なやつでもないし」
大きく出たくせに全然買わなかった私をからかうようにリサが言った。
「そんな言い方してないし。……リサは何か買わないの?」
「ああ、わたしはあれ買おうかと思って」
「あれ?」
するとリサは何も言わずに、私を置いてどこかへ行ってしまった。少しすると、リサはひょっとこのお面を付けて戻ってきた。
「ええ……何それ」
「ひょっとこ」
「それはわかるけど」
「あげる」
「え、なんで。リサが欲しくて買ったんじゃないの?」
「いいから。付けてみて」
「ええ……あ、ありがとう」
私は戸惑いながらもとりあえずお礼を言い、お面を付けた。リサから何かを貰うのは嬉しいけど、正直これはあんまり要らない……。
「……どう?」
「ふふ……面白い」
そう言ってスマホで写真を撮るリサを見ながら「何だこれ……」と私は思った。リサはときどき、こうやって何を考えているかよくわからない行動をする。
さっきの服の下に浴衣着てる発言なんかもそうだけど、右利きなのに右腕に腕時計をしていて、何かを書いたりするときにいかにも邪魔そうなのに邪魔じゃないと言い張ったり、話をしているときにちゃんと聞いているかと思ったら急に「湯葉って何で出来てるのかな」とか言い出したり、一緒に勉強しようと誘っても居眠りしたり落書きしたりして集中していないくせにいつも成績は私より良かったりする。落書きはなぜか世界史の図説に載っているインダス文明の印章の模写で、それがまたよく描けているのもなんか腹が立った。
「ひょっとこって火男(ひおとこ)が訛(なま)ったものらしいよ。竹筒で火を吹くからこういう口なんだって」
「へー……」
リサの素晴らしい無駄知識にそう返しながらお面を外し、きっともうこれを付けることはないだろうな、と思った。
「ていうかリサは何か食べないの?」
そもそもさっき何か買わないのと訊いたのは、何か食べないのかという意味だったのだ。
「わたしはまだそんなにお腹空いてないから後でいいや」
「えー、私だけ食べてるのもなあ」
「じゃあ一口だけちょうだい」
「はい」
私が手に持っていたクレープを差し出すと、リサはそれを一齧りした。
「おいしい」
そう言ってリサは口の辺りについたクリームを舐めた。リサが齧った部分をちらりと見てから私も食べた。
クレープを食べ終えると、私たちはまたぶらぶらと屋台を巡りはじめた。射的をやり、輪投げをやり、金魚すくいをやった。リサはそのどれもでセンスを発揮した。特に金魚すくいでは、一つのポイで何十匹とすくった。
「ええー、プロじゃん」
「別にそんな難しくないよ。水の中では水平に動かして、すくうときは端っこのほうで引っかけるみたいに獲るだけ」
「わかるけど、そんな簡単に出来ない」
私が少し拗ねたように言う横で、リサは一匹だけ残して他の金魚をすべて元の水に戻した。
「戻しちゃうの?」
「うん、一匹でいいよ。それに何匹もいると共食いするから」
「え、金魚って共食いするの」
「するよ。前も飼ってたけど、それでだいぶいなくなっちゃったもん」
「そうなんだ……でも一匹だけだと寂しい感じするな」
私は特に深い意味もなくそう漏らした。するとリサは何やら意味ありげな笑みを浮かべた。
「何その顔」
「いやぁ、ぶりっ子みたいなこと言うなと思って」
「べ、別に……ただ、見た目が寂しいっていうか、そういう意味で言っただけだし」
私たちは川のほうに向かった。河川敷では花火が打ち上げられる予定になっていて、開始までにはまだ時間があるものの、すでにちらほら人がいた。
「花火か……どうする?」
私はなんとなく人気のあまりないほうへ歩きながら訊いた。
「うーん、あんまり人多いの好きじゃないからな……学校で見るのは?」
「学校? 花火の時間には閉まってるんじゃない?」
「忘れ物したとか言って入れてもらえばいいよ」
「入れてもらえるかな」
「入れてもらえなかったら夜の校舎窓ガラス壊して入る」
「何その世紀末」
「世紀末っていうか80年代だけど」
その言葉の意味はよくわからなかったけど、とにかく私たちは学校で花火を見ることにした。
気が付くと暗くなってきていて、辺りには赤とんぼが何匹も飛び回っていた。
「うわー赤とんぼだ……もうそんな季節か……」
「赤とんぼ……アキアカネかな」
リサはアキアカネの「アカネ」の部分を強調するように言った。「
「どうだろう、種類とかよく知らないけど」
私は気づかなかったふりをして言った。
「空も茜色だし」
「いや全然普通の色ですけど……」
「アカネフィッシュにうってつけの日」
「それに至ってはもう意味がよくわからない。というかさっきからなに、アカネアカネって、人の名前……」
私は少しうっとうしく感じながら、けどどこかくすぐったいような気恥ずかしいような、妙な感覚を覚えた。
「そろそろ学校行こっか」
飽きたのか、それとも他にアカネ関連の言葉を思いつかなくなったのか、リサは急に態度を変えて言った。
「え、あ、うん」
私はいきなり梯子を外されたような気分で返した。
「りんご飴買うんでしょ」
そういえばそうだった。自分で言いだしたことなのに、すっかり忘れていた。
「もしかして忘れてた?」
私の微妙な表情の変化でも読み取ったのか、見透かしたようにリサが言った。
「忘れてないよ、私が言いだしたことなんだから。最後の楽しみに取っておこうと思ってたの」
図星を指された焦りから、私は半分ムキになって、つかなくてもいい嘘までついて否定した。
正直に言えば、りんご飴は口実でしかなかった。リサと一緒に夏祭りに行くための。だからそれはりんご飴じゃなくて他の何かでも良かったのだ。たこ焼きでも金魚すくいでもチョコバナナでもお面でも焼きそばでもラムネでもかき氷でも。いや、本当は夏祭りさえもただの口実かもしれない。私は、リサと一緒でさえあればどこでも、何でも良かったのかもしれない。
私たちは、映画を観る前にポップコーンやなんかを買うように、持ちきれないほどの食べ物を買い込み学校に持って入った。もちろんりんご飴も忘れずに。一旦それを隠してから職員室に鍵を借りに行き、再び戻って回収すると、教室のある棟のドアの鍵を開け中に入った。
人気のない夜の校舎は、普段とまるで違う雰囲気だった。しんと静かで、灯りの点いていない校舎の中は外より一段暗く、その対比のせいでよけいに不気味に思えた。消火栓や非常灯の赤や緑といった色が非日常感を増すのに一役買っていた。私たちはスマホで前を照らしながら四階にある自分たちの教室に向かった。
模試が終わってからけっこう時間が経っているはずなのに、教室の中にはまだ少し冷房の冷気が残っていて、足元にそれが感じられた。リサが窓を開けると、生ぬるい風が外から入り込んできて、滞っていた教室内の空気をどこかに押しやる。窓から外を見やると、立ち並ぶビルや観覧車の光が見え、さっきまで私たちがいた川がその向こうにあるというのが、なにか不思議な気がした。
「屋上で見たかったな」
「そうだね」
私はリサの言葉に相槌を打った。残念ながら屋上へ続く階段は封鎖されていて、そこから屋上には出られなかった。
「誰もいない校舎に忍び込むとか、ちょっとやってみたかった」
「青春っぽいよね」
「ちょっと今どきどきしてる」
「まあ、先生にバレたら怒られるかもしれないしね」
どきどきしているのは私もだったけど、そのどきどきとリサのどきどきはきっと違う種類のものだろう。私はそのことを思って少し胸が痛むのを感じながら、素知らぬふりをして返した。
「そういうのじゃなくて……」
そう小さく口にしたリサの顔は、暗いせいか、どこかいつもと違って見える気がした。言葉の意味がよくわからず訊き返そうとしたところで、最初の花火が上がった。
「あ、始まった」
私は花火に気を取られ、リサに訊き返そうとしたこともすぐに忘れてしまった。花火の光は遠くから私とリサを少しだけ明るく照らし出していた。
「たーまやー」
私は呑気に口にすると、返しを期待して、ちらりとリサのほうを見やった。けどリサは花火のほうを見つめているだけで、何も口に出す様子はなかった。
「なんか言ってよ」
「え、なに?」
「だから、私が『たまや』って言ったんだから『かぎや』って返してよ」
「なにそれ」
「え、知らないの?」
私は今日一日リサにやられっぱなしだったことを思いだし、ちょっとだけやり返すことにした。
「花火が上がったら『たーまやー』『かーぎやー』っていう掛け声を出すの。常識でしょー」
「なんで?」
「え? なんでって、昔の花火屋の名前らしいけど……」
正直、由来とか詳しいことまではよく知らなかったので、私の声はだんだんと小さくなった。
「ふぅん、そうなんだ」
リサはどこか上の空というか、気のないような返事をした。せっかくやり返そうと思ったのに、かえって自分の底の浅さを晒されたようになってしまい、私はもやもやした。
しばらく黙って花火を眺めていると、ふいにリサがこちらのほうを向いたので、私もリサのほうに自然と目が向いた。私はそのとき、念願の(ということになっている)りんご飴を口にしようとしているところだった。
目が合った。
この瞬間。
私はなぜだか、このときのことをずっと覚えているだろうと思った。
花火の音がどこか遠くへ消え去った。窓から夏の夜の空気が流れ込み、それがリサの繊細な髪とスカートを揺らしているのが目に映った。その風は秋を少し含んでいて、夏の終わりを予感させた。季節の終わりが近づいていることを思うと、どこか切ないような気分になり、胸が少し締め付けられるみたいだった。一つの季節が終わるということは、それだけまたリサと一緒にいられる時間が少なくなるということだ。卒業までにまだ半年あるとはいえ、そんなのきっとすぐに経ってしまう。
「ねえ」
リサが口を開く。
「茜はわたしのこと、好き?」
「…………?」
私は一瞬リサの言葉の意味がわからず、少し遅れてやっと理解が追い付いても、それは何かの聞き間違いか嘘か夢のように思えた。あまりに唐突でしかもストレートな問いかけに、私はなんと答えればいいかわからなかった。
「……」
短い沈黙の後、私は致命的なミスを犯したと思った。リサに訊かれたとき、何事でもないかのように、すぐに「え、好きだけど」とでも答えていれば、それはまだ、単に「友達として好き」という意味に解釈できたはずだ。けど私はこの時点でもう微妙な間を空けてしまっていて、それには意味深なものが含まれている。その意味深なものというのは、「好き」は「好き」でも「恋愛的な意味での好き」という解釈であり、この数秒にも満たないほんのわずかの間にそれはたぶん私たち二人の間で暗黙の了解となってしまった。
それでも私は、まだそれを「友達として好き」という意味に解釈したという体で通すことに決め、というかそうするしかなく、自分自身の心にもそのふりをするように準備させた。
私はあくまでも、友達としてリサのことが好きなのだ。そうだよな、私?
「好き、じゃない……と言えば嘘になる、かも」
全然無理だった。意識しまくりだった。
言葉を口にしながら、なぜか涙が浮かび、顔が赤くなるのを感じた。私はとてもリサと目を合わせていられず、下のほうを向いた。すると、椅子に引っかけてあるひょっとこのお面が目に入った。不自然と知りつつ、私はそれを顔につけた。もうつけることはないだろうと、少し前に思ったばかりなのに。
「なんで急にひょっとこつけたの?」
案の定リサに突っ込まれる。
「べ、べつに……。それより……どうして急に、リサのこと好きかどうかなんて訊くの?」
「ふふ、どうしてだろうねえ」
リサは私をからかうように言った。口調からすると笑っているようにも思えたけど、お面をつけているせいで、どんな表情をしているかまではよくわからなかった。
問われて逆に私は気になった。リサは私のことをどう思っているのか。怖いけど気になった。迷い、訊こうとして、いざ声を出そうとしたとき、先取りするようにリサが口を開いた。
「わたしは好きじゃない」
リサはきっぱりそう言い放った。殴られたみたいな衝撃が私を襲った。
一瞬呆然とした後、しかし私はすぐに気を取り直した。リサのことだから、その後にまたそれを否定する言葉を続けるのだろう。一度ショックを与えておいて、後で安心させるというドッキリのような手口だ。
「…………」
けれどリサは何も言わなかった。短い間に私の中に不安と恐怖が生まれ、沈黙が長引くにつれ、それらは急激に膨らんでいった。さっきから感じていたどきどきが不穏なものへと変わり、息が苦しくなった。
私はその状況に耐えられず、恐る恐るお面を上に持ち上げると、リサの顔を窺った。リサは何やら笑みを浮かべていた。しかし私はその表情の意味がわからず、不安と恐怖に今度は戸惑いが加わった。
「リサ……?」
困惑しながら私がその名前を口にすると、リサは笑みの度合いをわずかに増した。かと思うと、いきなりその身を私に近づけ、
「嘘」
左の耳元で、そう小さく囁いた。それからまた身を離すと、私が手に持っていたりんご飴を一口齧り、音をたてて食べはじめた。
「え……? それって……?」
「ん、甘酸っぱい」
私の戸惑いを知ってか知らずか、リサは口にした。その「嘘」というのは、いったいどこからどこまでのことを指すのだろう。けど確実なのは、リサが私を好きじゃないというのは噓だということだ。そのままだけど。
「私のりんご飴……」
勝手にりんご飴を食べたのを咎めるように私は言った。けど本当はそんなことはどうだって良かった。
「それあげたんだからいいでしょ」
リサが私の頭の上のお面を指して言った。
「まあ、いいけど……」
お面の下でそう口にしつつ、私もリサと同じようにりんご飴を齧った。
「甘酸っぱい……」
その味は、一生忘れられそうになかった。
My candy apple is (not) a McGuffin 次元つぐ @tsugumoto_tsugu
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