第39話『王の悪あがき』

 抱きしめ合うローランとセレーネ。

 その二人から目をそらし、離れていく人影があった。


 聖王国最後の王族、ルイーズである。

 彼女の瞳は一抹の寂しさを浮かべていたが、深呼吸をすると、かすかな笑みを浮かべた。


(……お二人とも、幸せになってくださいね)


 ローランに密かな恋心を抱いていたルイーズにとって、彼がセレーネと結ばれたのは悲しむべきことかもしれない。

 しかしルイーズの胸中は二人の幸せを願う気持ちでいっぱいになっていた。


 そしてその足は聖王ディヴァンが亡くなった場所へと向く。

 そこには聖王が身に着けていた王冠と、地面に転がる宝玉――ビフレストの大鍵があった。


「王冠は聖王国へ、大鍵は魔界へ。……あるべきところに返さなくては」


 ルイーズがその二つを拾い上げたとき、周囲には騎士たちが集まりひざまずいた。

 臣下を前にして、王族として進む道を指し示さねば。

 ルイーズは騎士たちを真剣な眼差しで見つめた。


「父と兄亡きいま、聖王国は苦難の道を歩むことになります。私は民のため、この命に代えても国を守りましょう」


「それではルイーズ殿下は王に――」


「いえ、王にはなりません。代王として政務につきながら、ゆくゆくは民にもまつりごとに参加できる仕組みを整えてまいります。……それこそがローラン様のおっしゃる『身分の隔たりのない平等な世界』への第一歩につながるはず。王家としての血筋は私で途絶えましょう」


 それは腐敗している貴族社会を憂いて、以前から考えていたことだ。

 それをいう立場になかったことと言い出す勇気もなかったが、ローランの想いに後押しされ、ルイーズはついに口に出した。

 貴族の子息で構成されている騎士団には当然動揺が広がる。

 それもまた、ルイーズの予想していたことだった。


「みなさん、失望したでしょう? ……私が進む道はやがて貴族社会の撤廃につながります。あなたがた貴族と反目するのは必至。……長く王家に仕えていただいたみなさんに討たれるなら受け入れられます。……なんなりと」


 そのルイーズの決意の言葉に、再び動揺が広がる。


「う……討つなんて、とんでもございませんっ!!」


 騎士にとって貴族の未来を憂いた保身など、主君への忠誠心の前ではちりも同じだった。

 彼らの中に剣を抜く者など現れるはずもなく、ただ彼らは新たな主君の気丈さに心を震わせる。

 彼ら全員の想いを受けて、騎士団長ノエルがルイーズの前に進み出た。


「失望などありましょうか。ローラン殿の心の正しさは身分を超え、魔力の有無などは関係ありません。彼の望む世界の実現のためならば、我らもまた命を捧げましょう!」


「ありがとう」


 ルイーズは遠くにたたずむローランとセレーネを見つめ、そして騎士たちや山の民に視線を移す。

 いつまでも傷心の気持ちでは彼らに見せる顔がない。

 良い国を作り上げようと、気持ちを新たにするのだった。



 ……その時、不気味な地響きが鳴り響いた。

 立っていられないほどの地の揺れに、それぞれが周囲を警戒する。

 すると全員の意識に直接、重々しい女の声が聞こえてきた。


「――我が王国を勝手にはさせぬぞ」


 これには皆、聞き覚えがあった。ティタニスの声だ。

 そして同時に地が割れ、巨大な手のひらがルイーズにつかみかかる。

 騎士たちが駆け寄った時にはすでに時遅く、地中から巨大なティタニスの体躯が現れていた。


「ルイーズ殿下!! ……おのれティタニス、再び復活するとは何事か!!」


 騎士団の面々はそれぞれの魔法でティタニスを攻撃する。

 狙うはルイーズを捕まえている左手の付け根だ。

 魔法の一斉射撃によってティタニスの腕には亀裂が生じる。


 しかしその亀裂は沸き立つように盛り上がる岩によってたちまちに消え、さらに迫りくる巨大な右手によって騎士たちは吹き飛ばされてしまった。


 そしてティタニスは全身を地中から出し、山の中腹に直立する。

 その全長は100メートルほどであろうか。

 山ほどの大きさを持つ形態ではなく、一回り小さいが身軽な形態だった。

 ティタニスは彫刻のような岩の瞳で地面を見下ろす。


「近衛騎士どもよ。……そなたらには死罪を言い渡す。後に改めて近衛を組織するといたそう」


「……まさか聖王ディヴァン!? 死んだはずでは!?」


 頭に直接響いてくる声は確かにティタニスの女性的なものだが、その言葉遣いなどからは聖王を感じさせた。

 そんな混乱の中で、岩の手で握られているルイーズは冷静さを保っている。


「あえてあなたを『聖王』と呼びましょう。……聖王よ、あなたは死んだはずでは?」


「あの肉体が滅びたのは誠に痛手であった。……そしてこの仮初かりそめの体も、人の世を統べるには大きすぎる」


「仮初……。なるほど、あなたは体を転々と乗り移る精神体のような存在なのですね。……ということは、次は私の体が狙いでしょうか?」


「察しがいいな、我が娘よ」


 その答えにルイーズは怒りをおぼえた。

 気高き父ディヴァンはこうやって、どこの何とも分からない闇の精霊に体を乗っ取られたのだ。

 聖王国を我が物にし、愛するローランを傷つけた存在を、ルイーズは許せない。


「あなたはお父様ではありません。そして国も渡しません」

 ルイーズは気丈なまでに言い切った。



「その通りじゃ! ルイーズ殿、よう言った!」

 ――地上から元気な女性の声が聞こえてきて見下ろすと、そこには大きなハンマーを肩に乗せたセレーネが見えた。

 魔力が戻ったのだろう。この人間界で初めて出会った時のように、仮面と尻尾が生じ、魔族的な姿となっていた。


「セレーネさん! もうお体はさわりありませんか?」


「完全復活じゃぁ!!」


「……セレーネ。病み上がりなんだから、無理するなよ」

 彼女の横ではローランがセレーネの肩を叩く。


 よかった。二人とも元気そうだ。――ルイーズはそう思い、心から安堵した。



 しかしそんな会話がいつまでもできる訳ではなく、ティタニスの巨大な足が大地を踏みしだく。それは山体が崩壊するかと思えるほどだった。


「……勇者とは、なんと小さき者か。つぶれて死ぬがよい」


「足癖が悪いのう、聖王よ! さぁユミルよ、育ってやつを縛り上げろ!」


 セレーネは言うや否や地に手を触れ、魔力を発する。

 そこかしこに散らばった大樹ユミルの木の実はあっという間に芽吹いて成長し、ティタニスの脚を縛り付けた。


「ふふん。やはり借り物の体。ノロいわっ! ティタニス本人の方が数倍は身軽であったぞ!!」


 やっぱりセレーネは頼もしいと、ローランは思う。

 すでに時間加速の力を使いこなしているあたり、さすがの戦闘センスと言えた。



 一方の聖王は足が動かせなくなったと見るや、その体からティタニスのしもべを次々と生み出し始めた。

 圧倒的な数のしもべはローランや騎士、そして山の民に襲い掛かる。


「天よ、眼前の敵を押しつぶせ――」


 ノエルの声と共に数十体のしもべが地に押し付けられて粉々になる。

 さらに騎士たちの魔法がしもべに降り注いでいった。


 そんな中でも文字通りに山ほどのしもべがローランとセレーネに襲い掛かるが、一閃……二人が武器を振るうだけでティタニスのしもべたちは噴水のように吹き飛んでいく。


「ふふ~ん。サイコーなわらわを止められるわけがなかろう!」


 セレーネは絶好調とでも言いたげにハンマーをブンブンと振るう。

 しかし頭上にそびえたつティタニスを見上げて、少し不安そうな顔をした。


「……しかしルイーズ殿、握り潰されやせぬであろうな」


「ルイーズさんの体を乗っ取ろうとしてるんだ。むしろ丁重に扱ってくれるはずさ」


「……そうか、確かにそうじゃな。では思い切りやるとするか! ずっと動けずにイライラしとったんじゃ!」


 そう叫ぶと、ティタニスとの間にいるしもべたちを次々に粉砕しながら突き進んでいった。

 そんなセレーネをローランは微笑ましく見つめる。

 そして騎士団に向かって声をかけた。


「ルイーズさんは俺に任せろっ! 皆はそれぞれに身を守ってくれ!」


「承知いたしましたローラン様っ!」


 ――さすがは近衛騎士団。

 彼らは見事に民を守ってくれており、その頼もしさがうかがえた。


 ローランは満足そうにうなずくと、セレーネを追って走る。

 向かうはルイーズの元へ――。

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