第2話『生きるも死ぬも、わらわ次第』

「……勇者ローラン。そなたは今から、わらわのモノじゃ」


 声の主は俺の顔をまじまじと見たかと思うと、口元に笑みを浮かべた。

 彼女の目元は前髪で隠れていて見えないが、頭の脇で大きく巻かれた角を見ると人間ではないようだ。


「……ふむ。血色は戻っておるな。…………よかった」


「誰……だ、君……は……?」


 俺はありがちな質問を投げる。

 ……しかし心の中ではそれどころではなかった。

 彼女は上半身になにも身に着けておらず、透き通る様に真っ白な女性の素肌があらわになっている。

 女性の素肌なんて見るのが初めてで、直視できるわけがなかった。


「むっ? 急に赤くなりおった! 蘇生失敗か!?」


「……ふ……ふ」


「ふ? 何じゃ?」


「服、着てくれぇぇーー!」



  ◇ ◇ ◇



 しばらくして衣擦れの音がし、俺は恐る恐る目を開ける。

 少し冷静になってあたりを見回すと、ここは薄暗い室内だった。カーテンが閉め切られ、ろうそくの光が周囲を暖かく染めていた。

 どうやら室内には俺と彼女以外に誰もいないらしい。

 俺は自分のはだけた衣服を整えると、ベッドの隅で衣服をまとう彼女に視線を送る。


 年齢はおそらく十代……俺と同じぐらいだろうか。

 細く白い腕が白銀のフリルの袖に通される。まるで暗闇に輝く月のように美しかった。

 長い銀髪を目で辿っていくと、ドレスの裾からは細い尻尾が伸び、ゆらゆらと揺れている。


 ――魔族、か。


 人間の世界とは異なる時空に存在すると言われる『魔界』。

 ……そこの住人『魔族』。

 平易な呼ばれ方だが、人間の敵対者として人々から恐れられていた。



 彼女の横顔を観察するが、目元を覆っている物が前髪なのか仮面なのかわからない。髪の毛と一体のように見えるが、人工的な装飾にも見える。

 だからなのか、露出している唇がやけに妖艶に見えた。


「……なんで半裸だったんだ? 俺、何かされたのか?」


 声をかけると、彼女の頬がみるみると紅潮するのが分かった。


「しっ、仕方あるまい! 蘇生の儀式では大量の魔力を与えねばならん。……肌の……密着で……その。そういうものなのじゃ!!」


 恥ずかしがるようにまわりのシーツを手繰り寄せ、体を隠す。

 その仕草はなんだか可愛かった。



 ふと、俺は自分の首筋に触れる。

 ……首には痛みも違和感も残っていない。

 体を見渡しても、特に外傷は見当たらなかった。


「確か、俺……殺され……」


 首を斬られた感覚は記憶にある。


 そう言えば彼女は「蘇生」と言った。

 ……そんなこと、可能なのか?

 死者を生き返らせる魔法は聞いたことがない。おとぎ話の産物だ。

 もちろん、勇者である俺にも不可能な事だった。


「ここはどこなんだ? ……それに君は?」


「わらわの名は……セレーネ」


 そう答えると、彼女は俺の方に向き直った。

 衣服で隠されているものの、先ほどまで俺の体に触れていたふくらみを前に俺は気恥ずかしくなる。

 とっさにうつむくと、ベッドが揺れた。

 いつの間にか手を伸ばせば届くところに彼女が座っている。


「魔王スルトの娘にして、そなたを蘇らせし者、セレーネじゃ」


「魔王の……娘、だと……?」


 そう聞いた瞬間、俺は無意識に周囲を探っていた。――聖剣を手に取ろうと。

 そして、聖剣が王子たちに奪われたことを思い出す。

 丸腰だった俺はとっさにベッドから降り、セレーネ――魔王の娘から距離をとった。


 セレーネは軽くため息をつき、余裕を感じさせるように微笑む。


「警戒するでない。蘇らせたのに命を取るわけがなかろう」


「しかし俺は勇者――魔王の敵だ!」


「まったく、血気盛んな勇者殿よ。……そもそも、そなたはわらわの命を貸しているのだ。わらわを殺せばそなたも死ぬぞ?」


 命を貸す?

 セレーネを殺せば俺も死ぬ?

 ……つまり、一つの命を共有しているって意味だろうか?


 本当なのか?

 ……仮に嘘だとしても、確かめるにはリスクが大きすぎる。


 俺はあたりを警戒する。

 彼女が魔王の娘……つまり魔界の姫なら、ここは魔王城かもしれない。


「魔王……魔王スルトも生き返っているのか!?」


 俺を生き返らせるぐらいなら、魔王は蘇っていて当然だ。

 しかしセレーネは首を横に振った。


「葬儀は滞りなく……終わったよ。……父上は復活を望まれていなかったのでな」


 影のある横顔には寂しさが感じられる。

 しかしその言葉のまま受け取るには、俺は裏切られすぎていた。

 頭のどこかで「嘘かもしれない、演技かもしれない」と考えてしまう。


「そうか……。じゃあ、なぜ俺を蘇生させた? 俺は敵のはずだ」


 警戒を解かずに質問を続ける。

 すると、途端にセレーネはそわそわし始め、うつむいてシーツをいじり始めた。


「……あーー……、えっと……その……」


「な、なんだよ?」


 その問いに、答えはない。

 セレーネはうつむいたまま沈黙してしまった。



 ……沈黙が長い。

 あまりに長すぎる。


 何かを言いたいが、言葉にするのがはばかられる。……そんな感じだ。


 その時、一つのことが脳裏をかすめた。


「そうか……!」


「な、なんじゃ?」


「殺さぬように拷問し、人間界の情報を吐かせる……ということだな?」


「そ、そ、そんなわけあるまい! そんな怖いこと! わらわにそんな趣味はない!」


 セレーネはブンブンと手を振りながら、おおげさに訂正した。

 まるで子供っぽくて、警戒している俺がバカに思えてくる。


「じゃあなんだよ!?」


「そっ……それは……」


「それは?」


「それは……その……す……す…………す……」


「す?」


「す……す……スルト! 魔王スルトを倒せるほどの勇者だからじゃ! 死なせるのはもったいなかろう!」


 そして彼女は勢いよく立ち上がる。


「そう! そなたを、手駒にするためじゃぁぁぁっ!!」


 高らかに宣言するセレーネ。

 その佇まいは自信ありげで実に堂々としたものだった。

 ……それを見ている俺は頭を抱えているけども。


 なんていうか……苦し紛れの嘘っぽい。

 俺が接してきた王族たちとはちょっと違う。

 ひょっとしてこの魔王の娘、ポンコツなのだろうか……?



 呆れている俺をよそ目に、セレーネは勢いづいている。


「そういうわけじゃ。そなたはわらわのモノ! 生きるも死ぬもわらわ次第だと忘れるな! さあ、わらわを手伝え。わらわと共に魔界を救うのじゃ!」


「……ふむ。つまり、俺の腕っぷしに期待してるわけだな?」


「そうそう。その通りじゃ! 無論、報酬ははずむぞっ! ……わ、わらわに出来ることなら……その、なんでもじゃ!」


 セレーネは口元に満面の笑みを浮かべ、期待で胸いっぱいという感じだ。

 ……やれやれ。

 聖剣を奪われた勇者なのに、ずいぶんと買いかぶられたものだ……。


 それに俺は上から目線が大嫌いだ。

 俺を裏切った王子を思い出してしまうからな。



 俺は深くため息をつくと、彼女を見据えた。


「……言いたい事はわかった。だが、お断りだ」


「えっ? え……だ、だ、だって生きるも死ぬも、わ、わらわ次第……」


 俺は今まで他人を信じて、死ぬまで戦ってきた。文字通り「死ぬまで」だ。


 それなのに裏切られた。

 殺された。


 ……もう、嫌なんだ。

 信頼した相手に裏切られるなんて、もう二度とゴメンだ。


 しかもセレーネは強引すぎる。

 「わらわのモノ」?

 それこそ、お貴族サマのおこがましさだ。

 ――魔界に来てまで、俺は誰かの所有物になる気はなかった。



「魔王軍の軍門に下る勇者がいると思うのか?」


「そっ……そなたは! わらわのモノ!」


 言い終わらぬうちにセレーネはベッドから飛び上がり、俺に抱き着いてきた。


 うぉ、なんて力だ!

 ……さすがは魔族。魔王の娘!

 しかも、胸が押し付けられて困るんだけど……。


 俺は必死に彼女を引きはがそうとする。


「俺をモノ扱いすんな! 断るって言ってんだろ!」


「そ、そ、そんな……。蘇生術、一生に一度しか使えないのに……」


「一生に一度? マジか。なんでそんな大事な……」


 訳が分からない。

 これも俺を手駒にするための方便か?

 ほんの些細なことで気持ちが揺らぎそうになってしまう。


 俺は決意を変えまいと、必死に頭を横に振った。


「とっ……とにかくだ! 本人が立ち会ってない契約は無効だっ! それに俺はモノじゃない!!」


 ピシャリと言い放つ。

 とにかく最初が肝心。情にほだされてズルズルと相手に従っては今までと同じだ。

 俺はもう、誰かの所有物にならないんだ!



 するとセレーネの力が抜け、彼女は俺の脚元にうずくまった。

 そしてうつむいたまま肩を震わし始める。


 ……泣いているのかもしれない。

 さすがに強く言い過ぎたか?


 ……そんな反省の気持ちと同時に、俺の心の傷が「仕方がない」と言ってくる。


 もう、誰にも利用されたくないんだ。

 俺はこの魔界で、自由になるんだ。

 俺はセレーネから目を背け、扉の方へと視線を送った。




 ――その時、空間が揺れ動いた。

 同時にけたたましい奇声が響き渡る。


「なんだ!?」


「――まずい。父上の結界が消失したせいか! 奴らが来おった」


「奴ら?」


「化石森の山に住まう飛竜ワイバーンどもじゃ!」


 セレーネの声と共に天井が崩れ落ちる。

 あたり一面を覆う砂埃。

 かろうじて目を開けると、セレーネの頭上から巨大なワイバーンが飛び掛かろうとしていた。


「――――っ!!」


 体が勝手に動く。

 床を蹴り、次の瞬間にはセレーネの元へ――。

 ワイバーンのかぎ爪を振り払い、とっさに彼女を突き飛ばした。


「――勇者殿!」


 セレーネの声が一気に遠ざかる。

 ……いや、遠ざかっているのは俺の方だ。

 左腕をワイバーンにつかまれ、上空へと持ち上げられていた。


 いつもの癖で腰に手をやり、そこに剣がないと分かる。

 あぁ、そうだよ。聖剣は奪われた。

 あの裏切り者たちに!


 俺は丸腰。

 そして宙づりにされ、眼下のはるか遠くには地表が見える。



「やれやれ。生き返ってすぐに前途多難だな」


 = = = = = = =

【後書き】

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