第42話
パチンッと乾いた音が部屋に響いた。ティアナはゴーベル伯爵から頬を叩かれその勢いで床に転がる。
「早く作れ‼︎ 何度言わせれば分かるんだ! 私は待つのが嫌いなんだっ」
「……」
怒鳴り散らされ叩かれるのはこれで何度目か分からない。
正確には分からないが、あれから多分数日が経ったと思われる。毎日この部屋に連れて来られては、ゴーベル伯爵から花薬を作る様に言われ続けた。だがティアナは何もする事はせずただ無言を貫き耐えた。
作り方は知っている。だがこれまで成功した事はない。それにもしも作れたとしても、この男の為に作るつもりは毛頭ない。
「いいか、言う通りにしないならこっちにも考えがある」
苛立ち扉を勢いよく閉め出て行く姿に、息を吐いた。頬がヒリヒリとして痛む。身体をゆっくりと起こすと棚のガラスに自分の姿が映っているのに気がつく。頬が一目見て分かるくらいに腫れ上がっていた。
「あーあ。さっさと適当に作っちゃえば良いのにさ。そうしたらそんな痛い目を見ずに済むのに。大丈夫?」
奥の部屋から出て来たクヌートは、ティアナに冷たい布巾を差し出してくれる。礼を言ってそれを受け取り頬に当てた。
相変わらず彼はやる気なく欠伸をしながら椅子に座り、何をするでもなくテーブルに頬杖をつき暇を持て余す。そんな彼を見てティアナは唇をキツく結んだ。
クヌートの事で一つ分かった事がある。確証はないが彼は多分、ゴーベル伯爵側の人間だ。
ティアナがこの作業室と呼べる部屋に来るのは、起床して食事後から次の食事までの間だ。因みに食事は起床時と就寝前の二回だけなので、かなり長い時間をこの部屋で過ごしている事になる。その間、クヌートはただぼうっと座ったりお茶を飲んだり菓子を摘んだりしているだけで、特に何もしていない。時折奥の部屋に寝に下がるが、彼が寝ていない事をティアナは気が付いていた。
(見張られている)
「君、本当は花薬の作り方知らないの?」
距離を取り座るティアナに、彼は半笑いで聞いてくる。
始めクヌートは仕事嫌いのただの怠け者で楽天的な人物だと思ったが、そうじゃない。
彼の身の上話がどこまでが嘘で真実かは分からないが、もしかしたら始めから終わりまで全て嘘かも知れない。
「伯爵かなりご立腹だったしさ、取り敢えず知らなくてもやってみなよ。そうしたら少しは風当たりが弱くもなるんじゃないかなぁ。流石に僕も見ていて痛々しいし」
「……」
「お伺いしても良いですか?」
「良いよ、何」
「クヌートさんの作った偽花薬って、そんなに需要があるんですか」
ロミルダが生前健在だった頃は、花薬の依頼は多くて一ヶ月に数件程度だった。依頼の全ては仲介屋が行うので、正直需要がどれ程なのかを知らない。
「それはもう、欲しい人間は山程いるよ。何しろ万能薬や不老不死なんて噂もあるくらいだしさ」
「では伯爵が、態々私に花薬を作らせようとする理由は何なんでしょうか」
「それは君が本物だからじゃない?」
「どうして
「……」
ティアナの質問に彼は言葉を詰まらせた。
「例え偽物だとしても需要があるなら、態々危険を犯してまで本物を欲しがる意味が分かりません。それに私がここに来てからクヌートさんが、花薬を作っている様子もありませんし。そもそも本来花薬は一般的に流通している薬とは違う為、例え効果がなくても苦情などは一切受け付けない、完全に自己責任というのが暗黙の了解となっている筈です。なので需要がある以上、本物に拘る意味が分かりません」
あのゴーベル伯爵が、今更罪の意識に苛まれ正規品を用意しようとしているようには考えられない。彼にとって薬が本物か偽物かは重要ではなく、需要があるかないかだけだろう。そんな彼が危険を冒してまで、本物を手に入れたいのは何故だろうか。
ティアナはこれでも一応は肩書きは侯爵令嬢であり、今はレンブラントの婚約者でもある。その婚約者のレンブラントは公爵令息であり王太子の側近だ。そんな彼の婚約者であるティアナを誘拐すれば普通ならどうなるか、想像に容易い。まあ実際は悲しい事にどれも意味はなく、誰も助けには来ないし効力は発揮されない。だが第三者から見たら、これはかなりのリスクと言える。
「……本物じゃないとダメなんだ。だってさ、本物じゃないと治せないからね」
一体誰を治そうというのか、そうティアナが聞こうとした時だった。部屋の外が騒がしい事に気が付いた。
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