第二章:二話
*** ***
「お前、社会学部なんだって?」
「ん? あぁ、そうだけど」
その日の放課後、待ち合わせて大学近くの喫茶店に入った。二階建ての、レトロでこじんまりした造りのそこは、立地もさることながら、安さと料理の美味しさでうちの学生に大変人気だ。今日もよくにぎわっていた。
「てっきりお前は文学部選ぶかと思ってた」
「実際ちょっと迷ったけど」
「英米文学? 昔よく読んでただろ。主に推理小説」
「そうだな。でもあれは純粋に楽しみたいだけかなって。社会学は研究対象として興味あったんだよ。というかなんで知ってるんだ?」
「そりゃあ、あっきーに聞いたから」
「あぁ、そうか、そうだった。そこが繋がってるんだったな」
「お前の基本情報は知ってる。社会学部社会心理学科専攻で、推理小説研究会所属。合ってる?」
「合ってる」
「そういえばあっきーも推理研所属してるだろ。他にも色々入ってるみたいだけど」
「明人は正確に言えば所属はしてないよ。ただ顔出してるだけ。他にも色んなサークル出入りしてるけど、それも全部顔出してるだけだな」
「あれ、そうだったのか」
「あぁ。あいつは陸上部してるから。うちの大学、部活入ってるやつは掛け持ち禁止だろ」
「……そうだっけ?」
「自分の所属してる大学のことくらいちゃんと知っとけよ」
「そういうのあんまり興味ないからなぁ」
アハハと笑うとまた睨まれた。今日は不機嫌なのか。いや、彼は昔からよくこんな顔してたな。でもそんな顔ばかりしてたら
「……ふけるぞ?」
「はぁ?」
「あ、ごめん、口に出てた?」
「失礼なこと考えてただろ」
「いや、何も。なんでもない」
呆れたような顔も、大きなため息も、昔から。懐かしいなぁ。夏川は、多分今、緩み切った顔で笑っているであろう俺の顔を一瞥したあと、注文していたアイスコーヒーを一口飲んだ。
「で? 蛍琉は?」
「ん?」
「お前自身のことも話せよ。お前ばっかり俺のこと知ってるのに、俺はお前のこと、なんにも知らない」
少し不満げな表情。こちらを直視することはなく、視線が斜め下にずれている。
「いいけど、何も面白いことはないと思うぞ。芸術学部音楽学科所属で、部活もサークルもしてない。以上」
「俺のだって特に面白くはないだろ」
「いや、面白い。お前が何考えて、どんなこと経験して今ここにたどり着いたのか。色んなものが今のお前になってるって思うと、面白い」
「それならお前もだろ」
「でも俺は音楽だけだからなぁ。今も昔も」
「そっか」
「うん。夏川は? 俺がいなくなったあともピアノは続けてるのか?」
そう問うと、夏川はなんとも言えない表情をした。少しの沈黙。何か言いたそうだなと思ったから、俺は口を開かなかった。けれどしばしの逡巡の後、彼の口から出たのはたった一言。
「……いや、弾いてない」
一度合った視線を再び逸らして口を引き結ぶ。夏川は昔から時々この表情をする。多分何か言いたいことがあるんだろうな、と思う。けれど、俺はそれを聞いていいのか分からない。だから、俺も気づかないふりをして、いつも何も言わない。
「そっか」
この日もそう。同じ。
でも、夏川が音楽を続けていないというのは、俺の中で結構悲しかった。
昔、さよならをしたあともずっと、あいつのピアノの音は俺の中にあったから。
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